130 出立の風吹く
暖かな陽射しは差し込むが、まだ早朝の凛とした空気の冷ややかさが残る。東の間には、その冷ややかな空気すら感じさせない緊張が張り詰めて痛いぐらいだ。
向かい合うは黄大使はじめとする使節団。国書の返答となる、クマリからの国書をいよいよ預ける。サンギのよく通る声が、気持ち良い響きで流れる。ここ数日の努力の響きだ。
今回、後李帝国の要求に答えるものは絹玉と綿織物ぐらいだ。ただ。その質は最上級で、出来得る限りのものを揃えた。そして進呈であって、献上ではない事を強調する。言わば、サンプルだ。これ以上欲しいのなら「買ってくれ」という言葉なき主張。
もちろん、虹珠は送らない。精霊を酷使される上に、属性も分からないまま乱暴に扱われるのは許せない。黄大使達は虹珠を執拗に要求してきたが、これだけは強く撥ねつけた。最初の怪鳥騒ぎで後李帝国の事情が察せれなければ、虹珠を渡していたかもしれない。ゾッとする。
「クマリは貴国の末永い繁栄を望み、そして友人となり互いの民とも良い交流を続けていくことを願う。交易に関しては両国の利益を産み新たな関係を築く展望を持って、交渉の場を新たに持つことを願うものであり」
交易を盛んにすることも、織り込んだ。本来なら国交の回復から話し合いたいとこだけど、どうにも後李帝国は「クマリは属国」という認識だ。改めてクマリは独立国と繰り返し主張していくしかない。解ってくれるかなぁ。
向かい合う黄大使は、ここ数日で刻まれた眉間の皺をさらに深くして、目線は伏せたままだ。床の木目を睨みつけている。
春陽に帰ってからの事を考えているかもしれない。この返答は、大極殿が望んだものではない。言わば大失敗だ。黄大使の地位も危うくする可能性だってある。それでも、この返答をする他に、クマリは道がない。これ以上の返答は出来ない。だから付け加えた。
「以上。また聖下の訪朝をさらなる友好の発展の契機となることを望む。時期に関しては、冬至の祭事の後とする。宜しいか」
最後の文章に、使節団の皆がさらに頭を垂れる。黄大使はちらりと目線を上げ、ようやく目が合う。小さく笑うと、再び顔を伏せてしまったので表情が分からないまま。俺の春陽訪問が、彼ら使節団の成果になればいい。勿論、俺達も要求する事や実行する事キッチリする予定だけど。
「では、クマリからの国書を預け願う」
読み上げが終わり、サンギの太い指が器用に国書を巻き、箱の中へと仕舞う。全員が見守る中、封を閉じ、印をし、俺の前に運ばれる。
どうか。どうか俺達の真意が大極殿へ届きますように。皇帝の心に届きますように。
目を閉じ、祈り、封を確認するように撫でる。
雲上殿皆の努力が実りますように。
進呈品の目録と共に、互いの中間点へ差し出す。まるで儀式のような仕草に卒業式を思い出す。あの厳粛で穏やかで華やかな、希望に満ちた儀式。この時に似てるかも知らない。クマリと後李帝国の未来を創る儀式だ。
僅かな衣擦りの音をして進み出た黄大使が、慣れた仕草で箱を受け取った。
「確かに預かり申した。我ら皇帝陛下に献上させていただく」
冬の陽射しに照らされて、一つの儀式が終わった。
風も穏やかで、肌寒さはあるが苦ではない。陽射しをたっぷりと浴びながら、門前広場では怪鳥もどきが工房の面々に突貫で改良された。翼を補強し、星獣と綱で結び、空を飛べるように改良され、試し飛行が開始される。その様子を見下ろしながら、茶を勧める。交渉も終わり帰るだけだからか、後李の文官達も穏やかな顔になっている。
最初から、こんな雰囲気だったらな。
ふと、そんな有り得ない事を思ってしまう。だからって、何も変わらなかっただろうに。
「先鋒からゆっくり! 主翼同時に浮揚! 」
「左翼側! もっと柔らかく吹かせろ! 号令と共に上げるぞ! 」
広場から工房長や近衛隊達の声が聞こえてくる。風鳴りの音と共に、雲上殿中程のここまで風がフワリとやって来た。その風に誘われるよう、後李の使節団達が身を乗り出して広場を見下ろす。
改造された怪鳥。その周りには十頭程の星獣。鞍や荷輿には岩小桜の紋章を染め抜いた布地が巻かれている。さらに、遠目にも鮮やかに黒龍と小岩桜が描かれた旗を幾つかはためいて。
星輿を動かし警備する名目で第三小隊が使節団と共に春陽に入る。大極殿にも立ち入れるだろう。内情に触れられるかもしれない。更に、倶利伽羅を連想させる黒龍を岩小桜に並べて旗にした。春陽の空にはためく黒龍を見て、倶利伽羅側が気づき接触してくれたら事が進む。そんなに上手くいくはずはないが、可能性はある。
しかし、大極殿が倶利伽羅を知っていたら、「何故にクマリが黒龍を旗にしているか」と不審に思うかもしれない。そう言ったらダワもツワンも「では第三小隊の旗をこの図面にすれば良い」と断言した。思い切りが良すぎるよ。
ともかくも、これぞ一石二鳥の妙案。他にも良い案があるだろうけど、これしか俺とダワは思いつかなかった。
「見事なもんですな。二日程で飛行艇を星輿に改良されてしまったか」
「いや……私が壊してしまったから、ご迷惑をかけてしまった」
「ハッハ! まさか酔うて雷槌を下ろされるとは思わなんだわ」
「は、は……」
黄大使の言葉に乾いた笑いしか出てこない。誤魔化すように、用意された茶器に手を伸ばす。
広場を見下ろすテラスに後李式に卓上に用意された別れの茶会。このまま試し飛行が成功すれば、使節団は昼前に旅立つ。緊張から解き放たれ、交渉を重ねた互いを労りつつ、別れの挨拶を交わす。目の前の黄大使は、多少皺が増えた気もするが鷹揚な雰囲気で笑う。最初に会った印象よりは、柔らかい。宴で卒倒してから、何か吹っ切れたようだ。こちらの皇女の件を内密にする様子に態度が軟化したのは予想外だった。もちろん、完璧にこの件を無かったことには出来ないだろうが。
そして、宴で怪鳥に取り付けられた水晶釜は、雷槌の振動で大きなヒビが入り、後李の技官もようやく「飛行不可能」と報告を上げてくれた。驚くことに、予備の部品も、控えの機体の準備もなかったらしく、仕掛けた俺達が唖然とするほど順調に改良出来てしまった。自分達の技術に自信があったのかもしれないが、余りに恐れ知らず。工房長は「墜落とか不時着とか、考えなかったんですかね」と引き攣った笑顔で作業してたらしい。
予算の関係なのか。納期の問題だったのか。
「しかし、星輿を用意してくれても、虹珠は用意してくれないとは参りましたな」
「国書の返答を、お返ししますよ。我々には余裕がないですから」
「いやいや御冗談を。虹珠なら満潮になれば掬って用意出来るというのに。精霊だって、沢山おるのでしょう? 何せ酔おた戯れに雷槌が出てくるのどからな」
「はは……どうでしょうね」
バレているか? いや、大丈夫なはず。
視線を感じて、引き攣る口元を湯呑で隠す。温かな茶を飲んでから目線を上げると、鋭い眼光に射抜かれる。
まだ睨んでる。
「もう終わりだから良いだろうて。聖下、わざと壊しましたな」
「何をです? 」
「ここまで直してくれたら、責めることはせん。ただ、何故に飛行艇を壊されたか訳を教えてはくれぬか」
完全に感づいている。ここで否定しても、なぁ。春陽で再び顔を合わすことを考えて溜息が溢れる。
「……俺のいた世界にも空を飛ぶ機械がありました。実際に、俺も何回か利用した事はあります。庶民でも乗れる交通機関でしたから」
「ほぉ……庶民が飛行艇に乗れるのですか? 」
「旅行や仕事で、よく使われる乗り物でした。だから、少し懐かしいです。しかし、この飛行艇は似てはいるけど別物だ」
何と言えばいいのか。どこまでなら、倶利伽羅との接触を勘付かれないですむだろうか。
黄大使の言葉を肯定もせず、独り言のように話しだした俺の様子に隣席のリンバやサンギ達が黙って見てくる。
どこまで、どう言えばいいか探りながら。手の中の湯呑をテーブルに置き、真っ直ぐに黄大使を見据える。
「俺がいた世界の飛行艇は、翼のヒレの角度を変えられる。動力は蒸気ではないけど、もっと力の出る『内燃機関』……火力の釜。蒸気では精霊の力を使うにしても、重すぎるし非力過ぎる。あまりにも、アレで空を飛ぶには心許ない。後李に無事に帰って頂かなくてはいけないのに、危険だと俺が判断しました」
俺が決めたことだ。そう明言した。
「今、クマリは貴国と事を荒立てることを望まない。何度も伝えたが、貴国と我々は互いに友好を基盤とした交流を願っている。だからこそ、貴方方を丁重に迎えたし安全に帰国して頂きたい」
「成る程。異世界育ちの聖下から見て、我が国の飛行艇では危険と判断された。だが表立って改良する訳にはいかんと、そういう判断か。まぁ、筋は通りますな。お互いに事を荒立てたくはないと、一応そう受け取る事で宜しいか」
それだけではない。使節団を送り届ける名目で、倶利伽羅という反体制組織と連絡を取ろうとしている。ただ、彼らが国内を不安定にするのなら、倶利伽羅を大極殿へ差し出すつもりだ。
腹の中は、話せない。それでも、ある程度の信頼を勝ち得たい。何て我儘で身勝手だろう。これが国と民の為でなければ、こんな矛盾はしたくない。
「先の戦で、俺は母の胎内で1度死んだ。焼けた大地に無数に黒焦げの死体が転がる光景は、二度と見たくない。……掘り返せば、まだ炭となった骨が出てきますよ。黄殿は、見たいですか? 」
「儂も孫がいる爺だ。それは、望まん。儂はな」
「儘なりませんね」
「厄介な事だ。国同士となれば、途端に人の気持ちなど吹き飛ぶ」
黄大使がようやく自分を「儂」と言った。個人の意見と気持ちを、少しだけ露わにした。眼光鋭い目元が、僅かにやさしく綻んだ。が、すぐに鷹のような目になる。
「心内を見せてくださった御返しに、一つ」
テーブルに空になった湯呑を置き、茶菓子の卵ボーロを摘むフリをしながら音なく囁いた。
「大極殿には気を付けなされよ。水臭い魔物が潜んでおる」
「魔物……」
思わず顔をあげると、再び綻んだ顔をして摘んだ卵ボーロを口に放り込んだ。
「この菓子は実に美味い。孫の土産に幾つか包んで下さらんか」
「も、勿論! 使節団皆様の家族にと用意してあります。サンギ」
「既に荷の中に包んでお渡ししております。宜しければ、ここの分もお包みしましょう。子どもにも評判の良い菓子です」
「有り難い。娘の子なんだがな、なかなか儂に懐かんのだ。この菓子で膝に乗ってくれたら万々歳だ」
大きく笑い、楽しげに頷く。本来はこういう人なんだろう。控えていたヴィグがパタパタと用意し包んでいると、和やかな茶席に風が吹き抜け下から歓声が届く。試し飛行は成功したようだ。
「色々ありましたが、帰らねばな。冬至を越して春陽でお会い出来るのを楽しみに致しましょうぞ」
「はい。次は春陽で会いましょう」
立ち上がり、歩き出そうとする黄大使に思わず手を差し出す。
ポカンとした間で、握手が異世界の慣例だった事に気づき、苦笑いしながら強引に手を繋ぐ。
「俺のいた世界の挨拶です。無事の帰国と、皆様のご安泰を願ってます」
「ははっ! 誠に変わった方だな」
力強く握り返された手が温かい。
「春陽でお待ち致す。楽しみだ」
前回、間違えて一週早く宣言してしまいました。取り敢えず、up。直すかも。
次回の更新予定は3月15日水曜日予定です。
先日、ちょっと変わったチケットが取れました。上手く行けば、4月にチラリとエッセイを上げるかも。体力と気力と時間があれば、多分。