124 ねこだまし
一瞬の迷いを感じたんだろう、足元のシンハが冷たい鼻先をちょこんと指先にくっつけた。まるで「大丈夫か?」というような仕草に、小さく笑って金色の毛並みを撫でる。大丈夫。やってみせる。
一拍、深呼吸。
「さて、皆さん先程着いたばかりでしょう。荷解きもまだかと思われるが、それ程に急がれる様子ならばどうでしょう、昼餉を共にしながら話し合いをするのは」
「……昼餉を共に? 」
「そうです。私の居た世界では、物事を解決したい時は食卓ですると良い結果が出る統計があります。『ワーキングランチ』と言うんですよ。共に食事をすれば心内を話しやすい。国政や外交は勿論、庶民達の業者同士の会合にも使われてます」
俺が昼餉を使って使節団を留めておくうちに、殿中及び城下の被害を把握するために人員が割ける。うまく行けば治療もできるだろう。後李のペースからこちらのペースに移すこともできる。
が、こちらの世界では、来賓の者と歓迎の意味で食事をすることはあっても、食事しながら会談をすることは皆無らしい。相当に無礼な事を言ってるかもしれない。さあ、どうなるか。
もう一度、無垢な笑顔心がけて、駄目押し。
「時間の短縮になるし、有意義な昼餉に出来ますよ。あぁ、異世界帰りの私の習慣ですから、後李の皆さんに馴染まないでしょうが如何ですか」
「や、いや、ダジョー様と昼餉を? 」
「迷惑ですか? 」
「迷惑だなどと、そんな事は」
「では、決定だ。左様に進めよ。あぁ、後李の方々、まずは荷解きをしてください。それぐらいの時間は許されるでしょう」
相当に無茶苦茶な提案だったのだろう。黄大使以外、口を開けたまま固まっている。横柄な雰囲気だった黄大使まで啞然とし視線は彷徨っている。
構わず立ち上がり「では昼餉が楽しみだ」と微笑んで歩き出す。視線は真っ直ぐ。控えの間を開け、奥で立っているヴィグとシンが祈るように手を合わせている。あそこまで、あそこまで行けば……!
背後の大きくなるざわめきに、リンパ達が指示を飛ばす声が重なる。あぁ、ツワンが上手く伝えてくれたらしい。
安心と同時に控えの間に入る。扉の閉まる音と同時に座り込んでしまった。
「ハルキ様! 」
『 おい! どーした! 腹でも痛いか?! 』
心配して腕の中に飛び込んできたシンハの毛の中に顔を埋めて音を立ててモフモフを吸う。日向の匂いがアドレナリン爆誕中の脳味噌に効く。
あぁぁーー怖かったよぉ。
でも、そんな事は口に出来ない。シンハにしがみつき、モフモフを吸い続ける。
もうしばらく、精神安定の為に吸わせてほしい……。一般庶民に国主のフリは難しい。
冬の昼とは思えない、暖かな日。まさに小春日和なのだろう、冬独特の透明感のある陽射しが差し込む東の間は、戦場のような忙しさだ。
昼餉の配膳準備に、厨房との連絡、議事録作成の為の準備と控えの間では印刷の準備、補佐官達がぎりぎりの時間まで準備をするために走り回っている。
「先の戦を経験してない者や記憶にない者には、あの絶叫は悪夢そのものでしょうな。被害が少ない年配の楽師達に、あちこちで唄を唄わせ始めてますが」
俺は窓際でリンパの報告に頷いて、ボレロを弾き続ける。とにかく、雲上殿を中心として乱された精霊達をもとに戻そうと、音を奏でハミングを続ける。黄大使達と昼食を取るまでの間、僅かな時間も無駄にしたくはない。
音が届く範囲、僅かな風で音が流される範囲でも、皆が元気になれますように。回復しますように。ただそれだけを念じて音を奏で続け、手を絶えず動かし、ハミングを続ける。音を流し続けながら簡単な報告を受けていく。
城下にも具合が悪くなるものが出ていて療院に人が集まりだしている事。サイイドが幾人かを城下の民間の療院へ派遣した事。殿中では特に若い世代に被害が多い傾向だ、と。
ミンツゥも、あんな音は初めての経験だったんだろうな。俺も、あの音は悪夢で観た音だ。先の戦でクマリの大地が焦土となった時の、忘れられない記憶だ。
と、廊下からドタドタと馴染みの足音が聞こえて扉が開かれた。金色の毛玉も突進してくる。
『 ハルルンー! 』
「ぅわ! お前、ミンツゥところだろ! 」
『 ボレボレ沢山唄ってくれてありがとなー 』
衝突寸前で三線を離した場所に、シンハが飛び込んできた。衝撃を受け止めきれずに、ひっくり返る。三線を守ろうと腕を宙に伸ばした結果、後頭部を床に強かにぶつけてしまう。
『 大分精霊達は元気になったぞ! 神苑に逃げてた子達も戻ってきてる! 後は他の楽師に任せても大丈夫だろ。 』
「戻ってきた? 」
『 おう! ミンツゥも元気になってきたぞ! 』
ひっくり返ったまま、ベロンとシンハに顔を舐められていると、サンギが天井から覗いてきた。何時もの豪胆な笑顔が戻っている。
「あの子なら、もう大丈夫。念の為に昼餉の会議は休ませるよ」
「うん。今無理するとこはないと思う。良かったよ」
「それと、あたしの顔を立ててくれて、ありがとうよ」
「だって、サンギしか外務局を仕切れる人はいないだろ。頼りにしてる」
「……煽てたって、これ以上何も出来ないよ」
「煽ててないさ。これからも宜しく」
サンギに一任する、その決定を誰彼に文句言われる筋合いはない。ましてや、仕事ぶりを知っている国内の声ではなく、初見の国外からの無責任な声に振り回されるのはゴメンだ。
手を差し出すと、分厚い手の平が握り返されて引っ張り上げられた。何時だってサンギには助けられてばかりだ。
「さて。これで役付は全員揃いはった」
リュウ大師の言葉に、シンハに三線を預けて座りなおす。抱える程の書類の束を後の補佐官たちが整理する中、円陣になり窓際の陽だまりに集まった。朝に顔を合わせたのに、久し振りのようだ。皆の視線が俺に集まる。さあ、ミーティングだ。
「ツワンに大雑把に説明したけど、今回の使節団の乗り物から後李帝国の虹珠事情が関係してるかもしれない。その想定はしておいてほしい」
「話は聞きましたが、虹珠の不足だけとは思えません。虹珠が足りないならば、大潮の夜に南海へ繰り出せば良い事」
「それですが、ここ二年の虹珠の量自体が少ない気がするんだな。とにかく値段が高騰してる」
イルタサの言葉に後方の補佐官が積まれた書類の中から一冊引っこ抜く。小さな雪崩が起きたものの、構わずページを捲って差し出してくれた。
「主な採掘場がなくなった今は、波間に漂う物を捕獲するのが主になってる。捕獲者には、国が高値で買い取ることは周知しているので、我が国はある程度の数は保持してる。が、まぁ、闇取り引きはどうしてもでてきてしまうんだな。それに対抗して買い取りも値段をあげなくちゃならん」
「あー、それで軍務局への臨時予算をって話になったのかい」
「まぁ、虹珠の買い取りだけじゃないんだがな。他には」
「臨時予算の話は又にして、つまり虹珠を不法に手に入れようとしている所があると? 」
「そこが何処だか判らないがな。後李、とは決まってねぇが」
十中八九、後李が関係してると考えてしまう。
誰も口にこそしないが、きな臭さが漂ってきている。イルタサは、細かく数字が書き込まれた報告書を真ん中に置くと「あと一つ気になることもありまして」と続ける。
「東桑の街で、タマコメ師を高給で募集している噂が流れてるんです」
「タマコメ? 」
「えぇ。生粋のクマリ人には馴染みがない言葉だと思いますが」
目を丸くする俺やリンパ達にイルタサが手早く説明をしてくれる。
つまり、虹珠の中に精霊を入れるだけの作業をする者のことらしい。共生者ならば、精霊の存在を感じれるし見ることも出来るので、虹珠に精霊を込める作業は造作もない。ただ、本来なら自由気ままな精霊を閉じ込める事に良心の呵責を覚える。平気な人もいるらしいが、あまり仕事にする事でもない。だからタマコメ師、という職業になってることに驚いてしまう。
「かなりの高給を提示されるようです」
「ふうん。じゃあ、お金に困ってる人は出稼ぎに後李の東桑まで行っちゃうかな」
「それが、変な噂も同時に流れてまして。東桑まで行くと、そこから春陽へ連れて行かれると」
「春陽? 」
「そこから帰ってこない者が何人か出てきている、という噂がありまして」
「おいおい。きな臭ぇな」
「あくまで噂です。あまりに突飛ですし、関係ないかと調べた話ではありませんが、船乗り達はこの話で最近もちきりで」
最近まで船で走り回ってたイルタサの話なら、信憑性が高い。
眉間を抑えて唸ってしまう。
「たかが噂と思い、今の今まで報告することもないかと思ってまして。遅くなったこと、申し訳ない」
「いやぁ、こんな噂を議題に上げることもないさ。まさか、ねぇ。いや、まさか」
「まぁ、後李が仲良し小好しで使節団送ってきたんやないことは、ハッキリ解ったで。それでえぇ」
「ですね。限りなくきな臭い。友好条約どころか、通商条約も危うい」
ダワの断定に、それが生粋のクマリ人の率直な意見だと納得する。
先の戦で国土と国民を蹂躙され、十四年後に「仲良くしましょう」と急に来られても疑いしかないだろう。貿易を行うにしても、信頼関係が不可欠なのに。
「後李の方々が部屋を出たそうです! そろそろ移動をお願いします」
ヴィグが東の間に飛び込んできた。いよいよだ。
頷いて、立ち上がる。一気に緊張感を張り出す皆に、敢えて笑いかける。
「さて、と。色々最悪を想定してきたけどさ、『ワーキングランチ』って名前の食事しながらの会議なんて、いつも俺達がしてる朝議と変わらずだ。雰囲気は俺達の方が慣れてるんだから何とかなるさ」
「朝議と同じって、まさかその為にわーきんぐらんちなるモノ提案されたんですか?! 」
「俺達の土俵でやっていいだろ」
「そらそうや。俺達の土俵とは、まさにそうやな」
リュウ大師の大笑いに、リンパも吹き出す。「また無茶苦茶をしだす」と言いつつサンギも笑顔になる。ダワは苦笑しているが、さっきより明るい表情だ。
大丈夫。このメンバーなら、どんな難題だって答えが出る。出せれる。
笑いながら廊下に出て歩き出す、と向こうから使節団が丁度やって来た。笑い合っているこちらを見て、顔を強張らせている使節団に笑いかける。
大丈夫。こちらの土俵に持ち込める。
「さぁ、昼餉としましょう」
次回 12月21日 水曜日 更新予定です。
毎週更新は、やっぱり無理があったかな……すみません。隔週更新にします。余裕があるときに毎週、ということで。