120 怪鳥来る
眼下に広がる城下町からの大通り、正門から雲上殿前の二の御門、雲上殿入口広場。初冬の穏やかな陽射しが、飾り付けられた青や真っ白の幕を照らしている。昨日のミンツゥの嵐も酷くなく収まり、今朝は風もなく天気が良くて助かった。
朝早くから殿中の人々総出で幕を張り、花を活け、香を焚き、雲上殿初となる使節団を迎え入れる準備で、『猫の手も借りたい』てんてこ舞いだ。本当ならフフタル連合国の使節団が「お初」の予定だったけど、後李帝国となってしまった。こんなに急な来訪にも対処出来てるのは、フフタルを受け入れる計画があってこそ。まぁ、今回は不手際があるだろう、が、そこは改善の機会としようと話して皆の溜飲を下げてもらっている。いやはや。
朝議は最低限の連絡事項で終わり、各自握り飯を受け取って解散。役付けの上下もなく駆けずり回ってる中、俺の役割は「大人しくしてる事」。使節団との対面は明日だから、今日は何もない。近衛士も侍従達も補佐官達も、文官武官総出の中で俺に人手を取らせたら勿体ない。ミンツゥにもリンバ達にも念押しされて、リュウ大師の部屋で大人しくしている訳だ。
窓から見下ろした入口広場は、それはもう華やかで人が走り回って祭日のよう。あそこに行って働きたいよ……。
「シンは包帯を巻くのが上手ですねぇ。軟膏を替えるのも手早くてキレイだし。侍従長がやった所みたいです」
「ホントですか? えへへー」
「うん。シンが巻いた所は弛まない。器用だね。サイイド殿の手付きをよく見てたんだな」
「ありがとうございますっ」
「こちらこそ。沢山巻かれてるから大変だろ? ありがとな」
ヴィグとシンは、ヨハン達から頼まれたルドラの薬の交替を仲良くこなしている。リュウ大師はお茶を啜りウトウトと舟を漕ぎ、俺はベッドサイドで窓の外を眺めたり、手製の法律辞書を読みながら。戸口で警備に当たっているモルカンは大あくびをして。恐らく、ここだけ別世界のノホホンさ。
ルドラも顔色が良くなってきた。傷口は縫合されてて、明日か今晩かにくっつける予定だ。これだけしっかり起きてられるのだから大丈夫だろう。若いっていいねぇ。
朝、この部屋に入った時こそ赤面して目が泳いでいたけれど、今は表面上は何事もなかったかのように過ごしている。豪胆じゃなきゃ、第三小隊はやってられないのかもしれない。とはいえ、ヴィグ達と笑い合ってる顔は、兄弟のような優しさも垣間見える。
「後李の使節団が帰るまでは、ボクが侍従長の代わりに巻きますねっ」
「ゴメン、今夜か明日にはくっつけて完治予定なんだ」
「ええーー?! 」
ヤル気満々のシンに予定を告げると、心底残念そうな声を上げた。その顔が仕草が何とも可愛らしくて笑ってしまう。
「そうか、ようやっと治るんか」
「はい。大師の御部屋を取ってしまい、申し訳ありませんでした」
「かまへんで。聖下の部屋で寝るのも楽しませてもらいましたわ」
「俺も楽しかったよ。こういうのもいいですね」
「いや、偶にでえぇで。聖下の目覚めが悪ぅてな、何回もヴィグが声掛けるんが見ててしんどいわ」
「……」
そんなに寝起き悪いのか。
自分の自覚ない悪癖に赤面する。戸口にいるモルカンすら肩を震わせて笑ってる。参ったな。
ヴィグ達とルドラ、リュウ大師が楽しげな様子にスゴスゴと窓際へ椅子を移動させる。これ以上やぶ蛇になるのはゴメンだ。
暖かな陽射しをガラス越しに浴びて、城下町を何気に見下ろす。
上水道の延長工事も始まっただろう。冬至祭にむけて、街中も賑やかだ。この目で、人々の往来をまた見たい。喧騒の中で辻楽師の奏でる様子を見せたい。
玄恒に、今のクマリを見せたい。
白王家玄武当主としてではなく、船団では名を伏せて顔を見せていた頃が懐かしい。玄恒は、後李の将軍としてクマリを焦土にした罪を背負って、船団へ援助をしていた。時に商談を、情報を伝え、そして後李本土から逃げる共生者に手を差し伸べてた玄恒。
でも、クマリを焦土とした将軍の一人だったことを責めていた。船団の誰もが、皇帝の命を拒絶など出来ない立場の彼を、責めたことなどないのに。
多分、きっと。
玄恒が船団に協力していたのは、クマリへの贖罪だけではないだろう。幾つも理由に心当たりがある。幼馴染みの皇后への感情も。皇后が視る予知夢も。あまりにも純粋な恋心と、帝国の終焉への道が混線している。きっと。
人の心は、正道と外れると解っていても、道を外れる弱さがある。
玄恒は、今どこにいるのだろう。何もかも背負い、重すぎる想いに潰れていないだろうか。やはり、国内の謀略戦で追われているのか。いや、生きているのか。
「なぁ、ルドラ」
思わず問い掛けて、一度口を噤む。
玄恒は生きてるかな。
そう言葉にするのは怖い。
「劉大夫は、玄恒の昔の部下だと聞いてるけど……彼は何か、玄恒の事を話してたりしてたかな」
腕に包帯を巻かれつつ、ルドラは姿勢を正した。
「聞いてはおりません。ただただ豊北道の大夫として小隊を率いていました。かつて春陽で白王家の護衛をしていた事も、自分から話されてはいませんでした」
「そっか……玄恒の部下らしいね。主にそっくりだ」
潔く、真っ直ぐ。自らの地位など言わなかった玄恒。会っていない彼を、奔放で鷹揚な彼を重ねてしまう。
これ以上は言葉に出来ずに、ろくに読んでない辞書を閉じる。
「後李帝国は、国内は、どうなってるんだろうなぁ」
「豊北道は、田畑は荒れて旱魃が酷かったです。用水路の整備も遅れ、耕作の為の人手も不足し、来年の種籾すら食べてしまうのではないかと、杞憂されてました」
「種籾に手を出すとは、苦しいのぉ……」
リュウ大師が零した言葉が重い。冬を越すだけで精一杯な状態で、どう国体を保てるのだろう。地方がこの状態なのに、皇帝はクマリに使節団を出すとは、何用だろう。
戦を仕掛けるのか? そんな余裕があるのか。いや、無いからこそなのか?
分からない。
それが、怖い。
そもそも、異国からの使節を迎えるなんて、日本では新聞やテレビのニュースでしか観たことない。それなのに、庶民な俺に重大な判断が求められている。
俺の判断に、クマリ中の民の命をかけなければいけない。分からないだらけで正解を求められる怖さ。
既に、後李の行動には疑問点がある。この疑問は、後李の内情に繋がっているのか、否か……。
「聖下」
「あ、いや、大丈夫」
「聖下の「大丈夫」は、何か悩んでる証拠や。どうされました」
参ったなぁ。大師にはバレてるよ。
辞書をサイドテーブルに置き、腕を組む。
「大した事じゃないと思うんだけどね」
「言ってみなされ。心の迷いはあきまへんで」
リュウ大師の促しに誘われて、口が不安を紡ぎ出す。
「使節団の手紙、リンバに来ただろ? そういうのって、外務局のサンギ宛じゃない? 貿易の窓口もサンギだし。何で先触れの商隊はサンギに手紙渡さなかったんだろう。普通、商隊なら外務局のほうが馴染みがあると思うのにさ、普通さ」
いや、普通とはなんぞや。この世界の普通と、日本の普通は違うと嫌ほど経験しているけど。
「後李の内情が、まだ分からない事だらけだし……俺はこの通り異世界育ちで常識がないしさ。どうなんだろう? 」
「それは最もや。リンバとサンギも困惑して相談に来たんや」
「で? リュウはどう考える? 」
「サンギには、言えへんかったけどな……恐らくサンギが女だからやもしれへん」
言いにくそうに千手で背中をポンポンと叩き、溜息をついた。
「冬至祭で見た限りやけど、後李は面子やら誇りやらを大事にしとる。大臣とはいえ女のサンギに手紙を渡しとうなかったかもしれへんなぁ」
「そんな阿呆な事……今更だけど、こっちは女性が大臣になったら駄目なのか? 」
「まぁ、多くはないわな」
「でも、聖職は別ですよ。女神に仕える場所は女性が長を勤めますし、まぁ、その」
ヴィグの濁した言葉に、目を覆い天井を仰ぐ。
しまった! こっちは男女同権の感覚が薄かった! そりゃそうだわ、地球でも、地域や宗教によって格差はあるんだから。
「……やってしまった……」
「でも、ハルキ様は最善の判断と思われたのでしょう? なら、良いじゃないですか」
「サンギ以外に、適任が居らんじゃろ。皆も賛同しとる。問題はそこやないで」
「うーーでも、でも、『日本』の感覚でやらかしてしまった……」
「問題はクマリに自国の考えを適用しようとしてる後李やと、儂は考えとるで」
千手で脇腹を小突かれ、我に返る。
リュウ大師の言葉が、混線状態の頭の中を照らす。
「大臣が女だろうと我が国は巧くやっとる。なのに、女だから気に入らんと使節団の手紙を渡さんとは何ぞや。もし、大臣の性別で渡さなかったのなら思い違いや。ここはクマリや。後李帝国は女を採用しないでえぇかもしれへんけどな、クマリは違うん。相手国へ訪問したらな、その地の法や慣例に従うもんや。それが、外交をする上で最低限の礼儀。礼儀を守らん使節団など、程度が知れるわ」
断言。その言葉に混線してた考えが整った。
混乱してたのは、後李が自分達のペースで話を進めようとしたからだ。
落ち着け。慌てるな。
視線を広く持つよう、自分に言い聞かせる。考え方が固まらないように、柔軟に、と。
「リュウ大師の仮説が、そうなのなら、成程、彼らの行動も納得です」
「そうや。儂の仮説としては、や。他にも理由があるやもしれへん。慌てなさんな」
「はい」
「慎重なのはえぇこっちゃ。聖下の目で見て、聞いて、考えればえぇで」
「はい」
目を合わせ頷くと、リュウは微笑んでくれた。皺くちゃで、歯も抜けた口元だけど、変わらない笑顔に安心する。やっぱ、クマリに来てもらって良かった。
「そろそろ昼ご飯が気になるわぁ」と包帯を片付けるシンと話し出す、その切り替えの速さに笑みが浮かぶ。そうだな。成るように成るさ。
もう一度サイドテーブルの辞書を読もうか、手を伸ばしてから気付く。
何か音がする。
「何、これ」
「どうしました? 」
遠くから聞こえてくる音に耳を澄ます。気持ち悪くなる、不快な音。人の声でも、獣の鳴き声でもなく、雷でもないけど大きく響いてくる音は、ヴィグとシンには聞こえてないようだ。二人共、固まる俺や大師の様子に驚いている。
「ルドラ、動けるか」
「動きます」
「いい返答だ」
モルカンが棚に置かれていたルドラの刀を取り出し、横になっていたルドラが素早い動きで起き上がった。少しだけよろめくも、手を伸ばしてモルカンから刀を受け取る。傷口が開いてしまうのに、肌けた寝間着のまま小走り。携えた刀を構え、外からの音を確かめるため窓を開け放つ。冷たい風と共に、大音響が一気に飛び込んできて、耳を押さえるも音は止まない。黒板に爪たてたような、悲鳴のような音が空間を埋めていく。
「ハルキ様! 大師もどうされたんですか?! 」
「これは精霊の声か! 」
共生者だけ聞こえる精霊の大音響だ。こんなの聞いたことがない。
あまりの音量と不快さに固まるルドラの脇から、ヴィグとシンが窓の外へ顔を出して素っ頓狂な声を上げた。
「「赤い鳥が飛んでる! 」」
「シンまで何言うて……何じゃあ、一体……」
大師の言葉が途切れる。
顔を顰めたまま固まったモルカンが開けた窓から俺も身を乗り出す。城下町の遥か上空に大きな赤い影が見える。が、羽ばたく事なく浮かぶそれから不快な大音響は聞こえてくる。
「鳥?! 精霊?! デカいよ!」
「妖獣?! 怪鳥なのか! 」
「違う! 『飛行機』だよ! あれは空飛ぶ機械だ! 」
精霊の大音響に負けじと声を張り上げ、解らぬ恐怖で慄える心を叱咤する。落ち着け、自分。
俺が怖がるな! 俺が怖がっては、皆が不安になってしまう。だから、大丈夫だ、自分。
強く窓枠を握りしめて、腹の底に力を込めて。震えないよう、悟られないよう。
「あれは、カラクリだ。ただの、精霊を使った機械だ、多分。大丈夫、カラクリだ」
ただの機械から、精霊の絶叫が聞こえる。
絶え間なく、そして次第に大きくなるそれは、もはや断末魔のような悲鳴を轟かせて雲上殿へ近付いていた。
次回は 11月2日 水曜日 更新予定です。
今回は、少し長くなってしまいました。
リュウ大師達の関西弁が、どんどん怪しくなってきてますが、まぁ、その、気にせず読んで頂ければ……(個人的に姫路や神戸、三重辺りと縁があるので、そっち系のアクセントやリズムなのかなぁ。分からんけど)。
季節はどんどん晩秋に近付いてます。
お体 お気を付けて。