119 射し込む光の下で立ち上がる
「あーーっ……その、終わっちゃった?! 」
ルドラの部屋に入った俺を待ってたのは、怒気を隠さずに腕捲くりして顔を真っ赤に染めたミンツゥ。見開いた目でミンツゥを見たまま固まった、ベッドで腹部の傷口を出しているルドラ。ただならぬ気迫と雰囲気で狼狽えたハンナとリンチェン。首を傾げたヨハンと、顔を手で覆い天井を見上げたサイイド。
あー、こりゃ終わってるわ。
振り返ると、ツワンとヴィグが半歩下がる。
触らぬ神に祟りなし、だ。でも待った。俺を残して半歩さがったぞ。
まぁ、致し方なし、か。
その様相で何があったか察したものの、念の為に尋ねてみる。
「えーっと、その、傷は塞いだ? 」
「皮膚は閉じてないから。全部癒やしたら、体力使うでしょ」
「ご尤もで、はい」
「血の量が、少ないけど後は勝手にやって! 」
「了解しました……」
捲くった袖を戻し、震える唇を噛んで俯く。
そんなに噛んだら、血が出てしまうのに。
考えるべきことがあるのに、かけるべき言葉があるのに、何も浮かばない。もどかしさだけが時間を焦がす。
カタカタと鳴り出した音に窓を見れば、窓の外で風が鳴り出す。急に陽が陰り水の精霊が舞い上がっていく。あぁ、精霊の雨が降る。ミンツゥの気持ちに精霊が引っ張られている。
まずいな。嵐でもなったら大変だ。
「あの、さ」
「説教なんか聞きたくないから! 」
身を翻した勢いで、横の椅子をひっくり返す。大きな音を立てて倒れる椅子を振り返りもせずに、部屋を飛び出してしまった。
「シンハ! 」
『 合点承知! 』
足元の陰からシンハが飛び出していく。金色の塊は、あっという間に廊下の向こうに消えた。
「リンチェンも、心配だと思うけどシンハに側にいてもらうから。取り敢えず大丈夫」
「あの、一体何が起きたのですか? 癒し唄が終わったら急に怒りだされて……」
「うーん。ルドラは、その、何となく解ってるかな」
何と説明しようか。ルドラに問い掛けてみれば、今度はルドラが真っ赤になってから、口をパクパクしだす。その様子で悟った。
これは厄介なことになったぞ。
二人の尊厳を守らねば。
腕組みして唸ると、ヴィグが椅子を持ってきてくれた。
「いや、腰掛けるほどではないんだ。そうだなぁ。ヨハンは昔、俺の癒し唄を受けただろ? その時の事は覚えてる? 」
「あん時の、やろか。いやぁ、勘弁してくださいよって」
「侍従長、何か大病とかされたんですか? 」
「ヴィグ、そこは勘弁したりや」
本気で心配するヴィグと、苦笑いするサイイド。
今度はヨハンが真っ赤になる。これじゃあ羞恥大会もしくは黒歴史暴露会だな、こりゃ。
虹珠の採掘場で強制労働させられてたヨハンを助けた後の事だ。妹のハンナを深淵に人質にされて俺を襲って返り討ちされた時の事。懐かしいけど、本人にとっては黒歴史。ハンナは察して微笑んでヨハンの手を握る。
言っていいかと目で促せば、完璧なキューティクルを輝かせながら必死に首を振ってくる。
合わせて三人の尊厳を守らねば。
慈悲の心で、ここは対処するか。
「うーん。他の人が癒し唄をした時は知らないけど、俺やミンツゥは、唄ってるときに相手の意識に潜るんだ。相手の体に入り込む時に強く思ってる事を感じるし、観える。だから、その、悪いんだけど、個人的な秘密とか筒抜けです。ゴメン」
ルドラを見て一気に告白。と、見る間に血の気が引いていく。
あぁ、これはダワ達の予想が当たったらしい。
好いていた相手に、こちらの好意が勝手に伝わったら恥ずかしいだろう。まして、幼くてチョッカイ出しすぎて、傷付けた過去もあるのに。
シーツを強く握る手が震えてる。
傷に塩を塗ってしまったな。
「だから、俺が癒し唄をしようと思ったんだけどね。まぁ、ミンツゥは俺が宥めとく。けどねルドラ」
震える手を握る。氷水に浸したような手の平は幾多のタコがある。傷痕か幾多ある、筋肉のついた腕。青混じりの緑の瞳が揺れている。
「もう一度、償う事の意味を考えておくべきだ。ミンツゥの気持ちを考えてあげて。第三小隊なら、いずれミンツゥと顔を合わす。そうだろう? 」
強く握り、そっと離す。
「傷口は俺が処置する。また来るから。さてと」
シンハはどこに行ったかな。
気配を探ると、何処かで留まっているようだ。
「ミンツゥの所へ行ってくるよ。嵐になるといけないからね。ツワンは、サンギに事を伝えといて」
「南の間ですかな。畏まりました。嵐は避けて下さいよ」
「任せろ。リンチェン、ちょっと待っててね」
「ミンツゥ様をお願い致します! 」
ヴィグと慌ただしく部屋を出る。外へ繋がる廊下の先から、冷たい風が勢い良く吹き抜けていく。
穏やかな陽射しは消えて薄暗い。
「こんなに急に天気が変わって、雪まで降ってきそうですね」
「まずいな」
後ろをついてくるヴィグの言葉が洒落にならない。早足で気配の先へと急ぐ。そんなに遠くじゃないはずだ。風鳴の音が激しくなっていく。
外廊下の回廊を抜けて、立ち止まる。先だったシンハの気配が後ろからする。でも、ミンツゥの姿もない。シンハの気配だけ、後ろからする。
ひょっとして。
「ヴィグ、今からすることは他言無用。黙って向こうで待ってて」
返事を待たずに回廊の欄干からグルンと前回りで身を乗り出す。声なき悲鳴と共に、裾を掴まれた。
ヴィグが身を挺して、飛び出した俺にしがみついてる。
『 ほら。ハルキはすぐにオイラ達の場所が分かっただろ 』
シンハの声に視線を向ければ、回廊下の屋根との間に綺麗な袴を捲くりあげて座り込むミンツゥがいる。シンハの背にもたれ掛かり、金の毛に顔を埋めて、青の瞳から涙が幾筋も流れ落ちていた。
「ヴィグ、大丈夫だから! とにかく手を離して! 」
『 オイラがいるから大丈夫だってば! そこで待ってな! 』
「シンハもいるんですね?! 良いんですね?!
手を離しますよ! 」
シンハの声でようやく納得したのか、裾を掴む手が離された。鉄棒の要領でぐるりと回り、屋根の上へ飛び降りた。ガシャンと瓦が鳴ってヴィグの小さな悲鳴が聞こえたが、どうやら堪えて待ってくれるようだ。ソロリと足元に気をつけて這うようにミンツゥの側へ行く。
吹き荒れる風が裾を乱す。飛び回る精霊に微笑みかけて、鼻唄を。ミンツゥの肩を寄せて、そっと頭を撫でて。
以前に精霊を暴走させた時は、もっと髪は短かった。肩も小さかった。ふわりと焚きしめた香もしなかった。大きくなった。
「ここ、秘密の場所なの」
鼻唄を幾つか唄い終わると、ミンツゥがポツリと呟いた。吹き荒れてた風は、落ち着き出した。水の精霊も、消えていた。
「ナイショだよ」
「こういう下はバレないよな。俺も放浪してた時はよく橋の下で寝泊まりしたなぁ」
「そうなの? 」
ようやくミンツゥが俺を見た。まだ涙が零れる青い瞳がキラキラと光る。綺麗な瞳。
ふふっと小さく微笑み、「絶対にナイショにしとく」と囁いて頭をくっつける。仄かな温かさが互いを包む。
「人って勝手ね」
「うん? 」
「私の事、好きだって。好きだから虐めてたって」
「うん」
「私のせいじゃ、なかった。虐められたのは、私が、何か悪いのかって思ってた。ダジョーだからって思ってた」
「そっか」
リンパとダワの予想が当たったかぁ……。
心の内で天を仰ぎつつ、ミンツゥの言葉に寄り添う。少しでも痛みが和らぐように。温もりが伝わるように。
「私じゃなくて、ルドラの問題だった。なのに私が傷ついて悩んで怖がってた。何なのよもう! 」
呟くような言葉に、感情が溢れ出た。涙も再び零していく。それでも、風は穏やかだ。
「怖い。人って、勝手で怖い。私も、こうやって誰かを意図せず傷つけるのかな……こんなに辛いのは、嫌なのに」
「……優しいね」
「臆病者なのよ、私」
「自分が傷ついてるのに、他の誰かを心配してるのは優しいよ。目の前の誰かではなく、未来の誰かにまで心を痛めてる。ミンツゥは優しいよ」
「ただの弱虫だよ」
「自分以外の人を気遣って守ろうとする余裕がある。優しい人はね、誰かの為に動く人はね、強い人なんだ」
「そう、かな」
「そうだよ。ミンツゥは、優しくて強い子だよ」
「もう子どもじゃないわ」
「もう淑女だったね。強く美しい淑女」
「なにそれ! もう! 」
ブハッと笑うと、残っていた涙が零れ落ちた。柔らかな風が、ふんわりと濡れた頬を撫でていく。頭を撫でて、何度も囁く。
「良い子だよ」「大好きだよ、淑女さん」と。
その度に小さく笑う。
笑う顔は、昔と変わらないな。
「ねぇ、ハルキ」
「ん? 」
「ありがとね」
「どういたしまして」
灰色の雲から光が射し込む。舞い降りたのは、新しい淑女。強く優しい、美しい淑女だ。
次回更新予定は 10月19日 水曜日 です。
まいた伏線を、回収していきます。多分…。
少し、秋らしくなってるかな。季節の変わり目。お体に気をつけてお過ごしください。