118 底から立ち昇る冷気
「ほら、私のカンが当たっただろう? 」
賑やかな声と共にサンギが補佐官達とやってきた。何が起きたんだ?
「執務室、東の間だったのに変えられたんですね」
「今朝から暖筒が開いたそうで。冷えてきたので、有り難い限りですね。天幕の頃と雲泥の差の心地良さですよ」
「違いない。あの時は、それもそれで楽しかったけど」
サンギを先頭に、書類を抱えた補佐官達がやってきた。
外務局と内務局の補佐官達の会話で、サンギ達が昼から俺が勝手に変えた執務室の場所を探してた事に気付く。通常は日中の執務は東の間とされる広間で行うのが、どうにもここ数日の寒さが我慢出来ず南の間に変更してしまった。
南の間は、若干手狭だけど陽射しがよく入り、床暖房も設置されている。なんと雲上殿には一階の調理場から煙突が各階の一部の床下に張り巡らせてある。高地に建てられたからだろう、それは床暖房といってもよいシステムで、俺にとっては冬の救世主。エアコンも羽毛布団もダウンコートもないこの世界は、俺にとっては過酷過ぎ。お尻から伝わる微かな温もりは、幸せそのものなんだよ。
と、言うわけで。
勝手に昼下りから執務室を南の間に移してしまった。これぞ権力の私物化!
「変更なら教えておくれ。南の間に見当つかない輩は迷子になるだろ」
「すぐそこだし」
「そういう問題じゃないんだよ。大体、リンパさん達も分かってたなら連絡ぐらいおくれよ」
「同じ階で、すぐそこでしたから」
「ったく! そうやって面白がるのは悪い癖だよ」
「ふふっ。張り紙でもしときますか」
ダワまで笑いながら応じた時点で、サンギは鼻息荒く向かい合って座った。忙しなく手を動かしながら「確かにこの部屋は暖かいね」と言ったので納得してくれたと思う。暖かいは正義。
「それで? 急にお越しのお客さんはどうすんだい」
「取り敢えず、宮中でおもてなし予定ですよ。市井に放り出すには危険でしょう」
「は! 危険ってのはお客さんが襲われて危ないからかい? それともお客さん自体が危険人物だからかい? 」
「両方ですよ。まだ後李に敵意を持つ者も多いでしょうし、昨年の冬至祭の件から素行が宜しく無いでしょうし。国書だけでしたら、こちらの返答の用意次第でさっさとお帰り願えますからね」
会話が氷点下まで急降下。リンパ宛に今朝方届いた先触れの手紙で、雲上殿は大騒ぎだ。冬至祭で忙しない中に飛び込んだ急な報せは、各部署で猛烈なブーイングで迎えられている。超過勤務は確実になってしまった。
「後李って冬至の時期は暇なのかな。新年の儀式も控えてるだろ? この世界は、冬至とか新年とか、キチンと祭事をして迎えるから忙しいと思うんだけど」
「忙しいですよ! 赤子が泣き止むぐらい忙しいですよ! 何が狙い何だか解らないですよホントに! 」
半分ブチ切れ気味のリンパの言葉に、控えた補佐官たちが首を縦に振りまくる。だよね。
思わず苦笑いしてしまった俺の袖が、ツンツンと引っ張られた。控えたヴィグが、小さく「ツワン様がいらっしゃいました」と囁く。
時間だ。
「何が狙いか、ホントに見当つかない。だから、国書を受け取り、内容を確認次第で後の事はそれから考える。迎え入れる手順はサンギとリンパに任せようと思う。出来るだけ手早く御国へ帰ってもらえるよう、各所尽力しよう。俺も頑張るから」
要約すれば「さっさと使者を帰らせよう」。
全くもって、隣国の使者を迎え入れるような言葉ではないけど、俺の言葉に皆が少しだけ安心したようだ。それを確認して書類をまとめ揃える。
「ごめん、用事があって少し外す。戻ってから明日の流れを教えてくれ」
「畏まりました」
「ミンツゥのとこかい? 」
ルトラの回復を速める為に、月の癒し唄の処置を行うことになったが、過去のイザコザから俺が引き受ける予定だった。それを、急にミンツゥが引き受けたと聞いて慌てて政務の合間に抜け出す次第。それに勘づいたんだろう。サンギは眉をギュッと歪ませた。
「大丈夫。俺が付き添うから」
「すまないね……頼ってばかりだ。全くもって叔母として不甲斐ないよ」
「きっと何もないよ。もう大人だから、大丈夫」
前回の精霊の暴走を心配してるのだろう。またミンツゥが傷つくのも心配なんだろう。
どれだけミンツゥが大人になったとしても、サンギにとっては可愛らしい姪なのだから。妹の忘れ形見なのだから。
普段は厳しく接してるサンギの姿から、こんなに心細い様子は想像出来ない。絶賛反抗期のミンツゥに見せてやりたいよ、ホントに。
笑って立ち上がり、足早に廊下へでる。と、ツワンが足音も立てずにやってくる。
「お待たせ。どう? 間に合う? 」
「あちらには遅らせた時間を伝えてあるからな」
分かってらっしゃる。髭に隠れた口元がニヤリと笑った。大柄な体と厳つい髭で、見るからに屈強な武人の姿だし事実だけど、心配りは細やかだ。直属の部下はもちろん、末端の一兵にも気軽に声を掛けに行く姿を何度も見ている。頼れる上司だと思う。
夕暮れ時の廊下を速歩きで奥宮へ向かう。中庭に面する回廊は、木枯らしが吹き抜けている。
もう、冬は目の前だ。
「後李の使者が明日来るってぇのが信じられねぇな。街道の監視からは、それらしい旅団は確認出来てねぇぞ」
「うん。サンギも言ってた。そもそも春陽からの商隊が、日付指定で国書を持ってくるのが不可解だよ。『新幹線』とかないから急な長距離移動は難しいはずなのに」
思わず日本語が出でしまった。チラリとツワンを見れば苦笑いをされた。まぁ、意味合いは伝わっただろう。
「オレはどうにも苦手だ。そういう謀略とかやら考えるのが出来んのだ」
苦笑いしたまま、ツワンが言葉を零していく。
突然の愚痴に、ちょっと驚いた。どんなに忙しい時も困難な局面も笑い飛ばしてきた人だし、豪胆な人だと思っているから。
「そう? ツワンは、色んな人とすぐに打ち解けるじゃないか。船団と一緒になるときだってさ……」
「あれは腹を割って話す時でしたからな。そういうのは構わない、というか……そういう付き合いしか出来ん。ダワのような笑顔で別事を考えたり物事の裏を見たりは、出来ん。元々そんな頭も良くない」
「頭の良し悪しは関係ないんじゃ……」
「だからカムパ殿をエリドゥから呼び寄せて欲しい」
「ツワン……? 」
俺の言葉に被せた、そして唐突に出た名前に足が止まる。
上階の回廊は、風が強い。舞い上がってきた枯葉が音を立てて床を転がる。
耳元で風が鳴る。多分そうだ。そうに違いない。
「えっと、その、よく聞こえなくて……」
「カムパ殿をエリドゥから呼び寄せてください。オレじゃあ、第三小隊を使いこなせねぇ」
もう一度、はっきりと口にした。
エリドゥに潜伏させている、第三小隊の元となった素破のリーダー、カムパ。船団の武装集団として指揮を取っていた武人だ。
カムパには、エリドゥに居てほしい。囚われたミルの側で、逐一様子を報せて欲しい。何かあれば護って欲しい。その為に、カムパをエリドゥに残している。けど、それは俺の我儘でもある。
逃げ場所を失った。心臓がドクンと不自然に脈打つ。
「後李帝国が動き出した」
「まだ分からないよ」
「聖下はご存知ないかもしれないが、先の戦で傍観してたエリドゥ法王国の奴らは、戦の後で我が物顔で神苑に入ってきやがった。星獣や精霊を掠奪していきやがった。……勿論、殆どは撃ち返したがな。後李にとっても、エリドゥにとっても、クマリは宝の山。彼奴等は、聖下が還って来られても蠢き出した。クマリを諦めてねぇ。戦はまだ終わっちゃいねぇんだ」
一気に言い切り、深く息を吐き出した。
真っ直ぐに、俺の目を見てもう一度。逃げられない。
「戦は、まだ終わっちゃいねぇんだ」
「……うん」
「聖下が、姫宮様を大事に想って下さっているからこそ、カムパ殿をエリドゥに残しているのは解ります。クマリの者として、本当に有り難く嬉しい事です。けど、軍務局の長として考えれば、これからの局面で第三小隊を最大限活用すべきだ。しなければ、大きく国益を損なう恐れがある。……違いますか? カムパなら、第三小隊を巧く使える」
「……うん」
無意識で考えたくなかった事を、ツワンに言われてしまった。恥ずかしさ、悔しさ、申し訳無さ、体中が脈打って感情が暴れ出す。反するように、腹の底から冷気が一筋立ち昇りだす。肌に触れたら、切り裂いていくような冷気。拳を握りしめる。
落ち着け。鎮まれ。お前は出でくるな。
「……テンジンにも、聞いてみよう。ツワンの指揮で不満は出てなかっただろう? 」
「良く出来たやつらですから。不平不満を言う奴ぁいませんよ」
「……うん。良い奴らだ」
馴染んだ幾つかの顔を思い出して、深く息を吐き出した。落ち着け、自分。エアシュティマスを表に出すな。
再び、拳を握りしめる。
「もう少しだけ、考えさせてくれ。ツワンの気持ちも考えも、よく解った。リュウ大師と話し合ってから、朝議で皆と決めよう」
「申し訳ない。オレが不甲斐ないばかりで、こんな事を頼んでしまって……すまない」
「いや。的確な意見だし、冷静に言ってくれてありがとう。さ、もう行かないと。ミンツゥが先に着いてると面倒な事になる」
笑ってツワンの背中を叩いて歩き出す。チラリと後方で控えたヴィグの視線に気づく。不安げに伺う視線。恐らく気づいたかもしれない。
俺の中のエアシュティマスは、もう起き出している。感情の乱れ、昂りで、俺の意識の上へ出ようとする。その気配を感じているのだろう。
誰にも言えない。この忙しい最中に、言うべきではない。
「大丈夫」
笑いかけて、歩き出す。
まだ押さえ込めれる。大丈夫。
台風がようやく通り過ぎましたね。皆さんの場所は大丈夫でしたか? 被害にあわれた方々、場所が癒やされますように。復旧作業の方々も、気を付けてください。
次回更新日 10月5日 水曜日 予定です。