115 命がけの対価
日が暮れて薄暗い雲上殿を照らし出すのは、ランプの灯り。幻想的に揺らぐ小さな炎に案内されるように、リンパと回廊を駆け抜ける。本当は走りたい衝動を抑えて、奥の宮へ大股で速歩き。
ルドラの意識が戻ったと一報を受けたのが、半刻前。今日は偶然にも城下町で仕事だった俺たち二人が、多分最後の到着だろう。
今、城下町で進められている大きな水道計画。最近は、その準備で忙殺されている。日毎に人々が転入して大きくなる雲上殿城下で、一番必要とされるものはキレイな水だ。だから、ここ数年で驚異的な速さをもって上水道を整備している。もちろん、これは旧クマリから戦火をくぐり抜けた設備や知識ある人々がいたし、その設備を再び手を入れて使っているから出来ること。それでも足らないから、新規の工事を執り行う。そして、工事の開始前には土地の精霊達にお伺いをしなければならない。日本で言う地鎮祭だ。となれば、俺が祀りを取り仕切らなせればならない。
「俺達が最後かな」
「おそらく。城下に出たのは、私達だけでしたから」
「今日に限って、地神祭があるなんてなぁ。ヴィグ、これ頼む」
儀礼用の上衣を歩きながら脱いで、後ろをついてるヴィグに渡す。大振りな袖に長い裾が、どうにも歩きにくく苦手だ。頭の上も、ようやく伸びた髪を結った髷に被せるような冠も苦手だ。サラサラと玉が頭の上で音を立ててるのが邪魔で、どうにも慣れない。思わず手を伸ばすと「それはなりません」とリンパに止められる。
「貴人が人前で髷を見せるのは良しとされておりません。もう暫くご辛抱を」
「そうなのか……分かった」
苦笑いをして誤魔化すしかない。冠についた玉ですら邪魔だと思うのに、礼装をした時のミンツゥは頭に簪やらブスブス刺さってたのを思い出すと尊敬しかない。女性は凄い。
「奥宮に入ったら、冠を外されても大丈夫ですよ。あぁ、そうだ君達は先に総務局へ戻るよう。私は用事があるので、仕事が終わり次第下がってよい」
後ろをついてる補佐官達に告げて、奥宮の入口で彼らと別れる。確かに、このままリュウ大師の私室に連れて行くのは不自然だ。
ふと思い至り、俺も後ろを見る。歩きながら器用に上衣を畳むヴィグが、視線に気づいて顔を上げた。
「いや、ヴィグは血とか平気かな、と」
「フフタルでは羊の解体とか朝飯前でしたから、その辺りは平気ですよ」
「解体、ね。うん、そっか」
そうだった。知性溢れる細身の少年、意外と逞しかった。もしかしたら、俺が一番弱いかもしれない。
「失礼します。聖下とリンパ様、到着いたしました」
畳んだ上衣を小脇に挟んだヴィグが、器用にリュウ大師の私室の扉をノックして開ける。内側からサンギが顔を出して招き入れてくれた。
「おや、早かったね」
「おまたせ。すっかり暗くなってしまった。どんな様子? 」
「かろうじて、何とか起きてるよ」
横に伏せているとはいえ、体の負担は大きいのだろう。
部屋の中は薄暗く、強く軟膏の匂いが漂っている。サイイド特製の、とても臭いが効用はある軟膏だ。壁際の簡易ベッドの横に置かれたランプに照らされている人影は白い包帯で巻かれている。
「彼が第三小隊所属、ルドラです。豊北道の国境の街道近くの駐屯地に潜入任務でした。一刻ほど前に目が覚めたところです」
「気力で起きとる感じなんで、手短にお願いしますよって。今は彼の体力と気力が頼りやさかい」
サイイドに譲られた椅子に座り、そっと手を握る。掛け布団の上に力なく置かれた腕は、筋肉質であるけども細く伸びやかだ。
大人のようでまだ未成熟。まるで、高校生の年の頃か。
「確認の為に、直接の返答を許可する。ルドラ、今回の潜入任務の目的は」
「劉大夫の、監視と情報収集です。下人として駐屯地に潜入しました」
乾いた声が応える。ツワンを見上げる青混じりの緑の瞳は力強い。意志の強さを感じる真っ直ぐな視線だ。次の質問で、その強い視線がゆれた。
「それで、どうなった」
「劉大夫の、死亡です。あれは、惨殺です」
「見たのか」
「隊長室での勤務時間中でのことでした。最初の発見者かオレだったので、その現場を調べている時に、他の兵に見られてしまいました……それで、犯人に間違えられて、しまい、ました……」
揺れる声色に、思わず手をそっと包む。
傷ついたのは、体だけじゃない。
「現場の状況は? 殺害したやつの目星はついているのか? 」
「それですが、劉大夫は刀で首を斬られていません。人の力では、首は、千切れません……あの血飛沫の状況は、生きたまま、千切られたようです。そんなの、見たことが、ない……」
「殺害したやつは」
「わかりません……外部からの侵入者しか思いつきません……。殺害後で、机や引出しが荒らされて……特に、手紙を、往復書簡を、荒らされていて、荒い手口は、素人かと、思う雑さで、それ以上は、分かりません……」
徐々に息が切れていく。その様子にヨハンが立ち上がり、ベッドサイドに跪く。サイイドは後方で何やら準備しだす。時間がない。
ツワンを見上げると、頷いた。
「成程。それで、この傷はどうした? どうやって緑江口のイルタサの船まで移動した? 」
「それで、処刑されそうで逃げるオレを、副官が、劉大夫の副官として、春陽から派遣された男が、オレを助けてくれて……」
「春陽からきた副官が助けてくれた?! 」
「彼は、共生者、です。呪術を、風の使い手でした。星獣を、持っていました。それで、緑江口、まで、運んでもらい……」
「副官の名は」
「林亞夢。彼が……我等は、倶利伽羅と」
「林亞夢、倶利伽羅……。その副官以外とは接触出来たか? 」
「いえ、オレが、会ったのは、その男だけで、ただ、「火は燻っている。春陽は風を待っている。そう伝えてくれ」、と、伝えてくれと……」
「そこまでや。もう彼が限界や」
リュウ大師が千手をポンと叩いた。それを合図に、ツワンとベッドの間にヨハンが入り込む。脈や息の荒さを確認しながら、そっと背中の枕を抜き取る。その途端に、軟膏の臭いが強くなる。
まだ少年らしさが残る身体は、どれほど傷ついたのだろう。俺の考えで動いた彼が、傷ついている。この事実を、この光景を、一生忘れてはいけない。
包んだ手を、そっと握る。
あぁ、祈る言葉が、見つからない。気持ちばかりが溢れ出す。
「任務を遂行出来ず、申し訳ありません……劉大夫に繋がる情報を、途切れさせてしまい、申し訳ありません……」
「ルドラ。違う。君が帰ってくれた事が、大切なんだ。よく、生きて帰ってきてくれた。彼らからの話を伝えてくれた。ありがとう」
ルドラの目が彷徨い、ようやく手を握っている俺に気付く。緑の瞳と視線が合わさり、そして見開かれる。
「……ダジョー、様……?! 」
「先ずは、体を労って怪我を治してくれ。後は、こちらが引き受けた。ルドラが命がけで持って帰ってきた貴重な情報を、必ず活かす。だから」
「ダジョー様っ! 」
「大丈夫。今は、ゆっくりと休みなさい。これは俺からの命令だからね。サイイドとヨハンの言うことをよく聞いてね」
「オレは、オレはまだ罪を償っていません! どうか、どうか今一度だけ……っ! 」
「ルドラ……? 」
見開かれたルドラの瞳から涙が溢れ出す。息も切れ切れで、突然の贖罪の言葉。血の気のない冷たい手が、急に力一杯に握ってくる。その力強さが、急変に恐怖を感じて固まってしまう。何が起きたんだ?!
「あかん! もうお仕舞や! こんなに興奮させんといて下さいよって」
「下がってください! 皆さん、部屋出てって下さい! ハルキ様もほら! 師範もさっさと出る! 」
ヨハンに手を引き裂かれるように開放され、サイイドの大きな手で背中をグリグリと押し出されてしまう。
呆然と廊下に立ち尽くす。
「取り敢えず、今夜は立ち入り禁止。明日の朝議に容態を報告しますから、今日は、もう、来んといて下さい」
ヨハンが怒り狂った天使の顔で宣言して、目の前でピシャンと扉を閉じてしまった。
追い出された役付が、顔を見合わす。
「……儂の部屋なんじゃがな……今夜何処で寝りゃいいんや」
リュウ大師の言葉に、日暮れの寒さが襲いかかった。
突然の遅刻、すみません。
次回は 8月24日 水曜日に更新予定です。
何とか、書き起こしました。が、最初の原稿と色が変わってしまったのが悔しい。
校正してたら、秒で眠気に襲われ画面操作を誤って全文削除とか……悪夢でした。はぁ……真っ白になったディスプレイって、恐怖でした……。今回の教訓を受けて、こまめにバックアップをしようと思います。 いつも読んでくれる方、本当にすみませんでした。