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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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ヴィグの近習見習い日誌 22



 厨房や回廊には、ランプ当番が油を足して手際よく明かりを灯していく。それでも、中庭には届かない。ゆっくりと夕闇が深まる。まだ、互いの姿もよく見えるが。


 「ほら、いつだったかな。印刷で起こるだろう弊害は何だと思うかって、聞いたことあっただろ」

 「あーー、アレ! 」

 「エアーーッと、と、あの御方の時の! 」


 ミンツゥ様と同時に叫んでしまう。

 しまった。エアシュティマス様は極秘事項だ。あの御方、と言い直したけど、じろりとヨハン侍従長に睨まれてしまった。

 

 「そう、それ。ヨハンとヴィグにも聞いたよね」


 周りには誰も居ないから、大丈夫だよね。

 そう言って、ハルキ様は続けた。


 「印刷技術はね、近いうちにこの世界でも発達するはずだ。だって便利だし。これだけ情報が行き来するのに手書きのままは不都合だ」

 「それは、今回実感したわ。同じ情報を短時間で大勢に伝えられる。こんなに物事が速く決められのかって驚いたもの」

 「星獣で便りをやり取り出来たのもあるけどね」


 ミンツゥ様の言葉に、ツワン様の方を見て頷かれる。二国間をこんなに近くに感じれたことはなかった。神苑を挟んでそびえる山脈すら、軽々と越えてしまったのは、日頃からの厳しい訓練あってこその結果だ。


 「俺のいた世界では印刷技術で……正確には今回使ったガリ版より高度な『活字印刷』で、『革命』がおきたんだ。えーと、民が国の仕組みを変えてしまったんだ」

 

 民が国の仕組みを変える。

 意味が分からずに、周りを見る。ミンツゥ様もダワ様も、困惑してる。視線が迷い迷ってハルキ様に集まる。皆の視線を受けて、ハルキ様は頷いた。


 「一冊の本が、たった一人の男が書いた本で、民の考え方を変えてしまったんだ。しかも、国を越えて一人の書き手の考えが世界を変えたんだ」

 「世界を変えるっいうんは、どんなことや? 民が考え方を変えて、世界が変わるっいうんは? 」


 リュウ大師の言葉にハルキ様はゆっくりと湯呑を回しだす。考えをその手の中で丸めるように。


 「俺がいた世界で五百年ぐらい前の、違う国の事だけどね。当時は信仰心を使って権力者が民衆を支配してたんだよ。神様の名前で好き勝手してる横暴な権力者に対して、一人の男が本を通して否と叫んだんだ。『ルターの宗教革命』。勿論、そのルターの前にも権力者に対抗する者はいた。けど一人では絶対的権力者に敵わない。ルターは、そこが違った。民衆の前で自分の主張を叫んだのは勿論、民衆が読める言葉や絵を使って本を印刷して自分の考えを広めたんだ。まぁ、どんな考えかっていうのは割愛するけど」


 溜息をして、少しだけ目を閉じる。

 青い瞳が開かれると、ゆっくりと全員を見渡して言った。


 「その結果、何百年かけて王政が無くなった。権力は、支配者層から民衆に移行したんだ」

 「……民が世界を変えたっ言うんは、つまり民が支配層になったと? 」

 「そう。正確には、民が自分達の代表者を自分達の手で決定して数年間全てを委ねる。そういう法律に法って国を運営していくことにしたんだ」


 何を言っているのか、分からない。

 ハルキ様の声は聞こえても、何を言っているのか、理解できない。


 「ハルキの言うこと、よく解らないけど……王政が無くなった、というのは……その、取り敢えず置いといて、つまり、民衆が一つの方向を向いて意思決定をして未来を決めるってこと? 」

 「そうなんだ。何億という人々の考えを変えて、みんなの意識を同じ方向へ向けさせる。結果、印刷という技術を用いる事で、不変と思われていた世界の仕組みを変えてしまう。ミンツゥ、遠征で実際に用いた技術の応用だよ」


 アスラン殿と宴でやったでしょ、と笑いかける。あまりにも、朗らかな笑顔。

 クマリとの友好を演出したあの宴。締結を宣言したあの瞬間。皆が希望を持てるよう言葉で誘導したのは、ミンツゥ様とアスラン義兄様。

 ミンツゥ様は、両手で顔を覆い呻いた。


 「何てことなの……確かに、人の気持ちを扇動するのは昔からある手立てだわ。でも、せいぜい、声が届く程度の人達しか影響はない。けど、そんな大規模なものは……人の手で扱っていいものなの?」

 「そう。この印刷技術は、その気になったら世界を変えれる。今の、ダジョーを中心としたクマリの体制も、精霊を信仰する世界すら、上手く民衆の意識を扇動出来たら変えられる可能性がある」

 

 トドメの一撃。

 目の前がクラクラする。よく解らないけど、とんでもないことだけは判った。ダワ様も大きな溜息をついて額を手で覆い呻く。


 「……これは、印刷技術は、封印しましょう」

 「いや、このまま活版印刷まで開発しよう」

 「なんで?! ハルキ、今、言ったでしょ! こんな危険な技術は」

 「遅かれ早かれ、他国も印刷を発明する。情報の重要性には、もう気付いてるんだから時間の問題だ。それなら、クマリは他国より進んだ技術を所有していたほうが有利だ」


 呻くようにリンパ様やダワ様が息を吐き出した。いとも簡単に「所有する」と断言したハルキ様の言葉に、揺れ動いている心内が見えるようだ。そんな皆の様子に、丁寧な言葉が続く。


 「印刷技術の危険な面を知った上で開発を進めるんだ。恐れるからこその、慎重さがあれば大丈夫だと思う。この技術を悪用させないようにしていけばいい」

 「それが難しいのです」

 「活版印刷の技術は、金属加工や造幣にも使える。様々な分野が発達する。もちろん、これも短所をきちんと理解した上で活用するか決定しないといけないけど」

 「やること多すぎ! 」


 ミンツゥ様の言葉が全てを語っている。苦笑いをしたハルキ様は、全てを出し尽くしたかのように、カクンと頭を垂れた。


 「俺のせいで、この世界を変えたくはないんだけど、変わるのかな。この世界は、精霊とかで全然別の進化してて、最初は戸惑いしかなかったけど……ここを、ミルの連れてきてくれた、この世界が好きなんだ……」

 「それこそ、変えたくない気持ちを忘れんといけばいいんや。悪用しないよう、気ぃつけていくしかないて。人が同じ方向向くと走り出すのを知っているなら、走り出さんようにする方法も然り。解っている者達が知恵を出して、良心に背かんでやってけばいいんや」


 リュウ大師がお茶を啜りながら頷く。

 ハルキ様を慰めるように、この場にいる役付きの大人達に言い含めるように。


 「ハルキ様が、この世界が好きだと言うでくれた。それが老いぼれには嬉しい事や。なら、この世界を大事に守っていきますわ。それが、この世界で生まれた儂らのすべき事や。なぁ? 」

 「そうですね。ハルキ様がいた世界より、ここは過ごし難い場所ではと考えてましたが、好きと仰るなら我々はこの世界を大事に守っていきましょう」

 「難題は散乱してますがね。私の出来得る限りを尽くしていきますよ」


 リンパ様とダワ様が頷き、ふふっと笑い合う。

 何で、笑えるんだろう。何で嬉しそうなんだろう。そう思ってから皆を見て気付く。

 「この世界が好きだ」。

 ハルキ様が言った、この言葉が嬉しいんだと解った。

 あらゆる事が違う異世界より、この世界が好きだと言ってくれた。こちらを選んでくれた事が、嬉しいんだ。

 そうだ。きっと、ハルキ様と、もっと一緒に過ごしたいから。生きていたいから。もう、無くてはならない御人だから。


 「ハルキがそう言うなら、仕方ないなぁ。この世界が、この世界らしくいけるように、私も頑張っちゃおうかなぁ」

 「うん。お願いします」


 ミンツゥ様のふざけた言葉に、ハルキ様はようやく顔を上げて笑って頷く。


 「この世界が、この世界らしく。色んな不幸は数多あっても、少しでも幸せを数えて、人が上を向いて進めるように、俺の限りをこの世界に尽くしたい。だから、皆……一緒に仕事をしてほしい。俺の我儘だけど、どうか、どうかお願いします」


 立ち上がり、深く頭を下げる。再び顔を上げると、青い瞳に強く力を持って見詰められた。

 空よりも青い青。草原で見上げてた夜空のように吸い込まれる。


 「ヴィグ。近習として側で仕えてもらって、俺からどれだけ学べることがあるのか、もう教師でもない、今の俺が教えられる事があるのか解らないけど…それでも側にいてくれるかな」

 「もちろんです!! 僕じゃ、まだ未熟なのに、それでも側において下さるのなら……」


 僕の腕はスレンより細い。賢さだってシュウメイに敵わない。何一つ秀でてない僕だけど、お役に立てるならば。ならば全てを差し出して学ばせてもらう。


 「僕がお役に立てるのならば、どうかお側においてください」


 夜風の中庭でハルキ様に誓う。

 身を挺して、この国に、この御方に、この世界に尽くしていこう。ダワ様に誓った事が繋がる。クマリと草原を見守る夢と、この世界を守ろうとするハルキ様の夢。大きな、大きな夢だ。

 見習いから、近習へ。

 僕は少しだけ、歩み出す。まだまだ先は途方もなく遠く彼方だけど、近づく為の一歩。

ようやく ヴィグ編 終了です。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

次から、新しい章に入ります。

次回は 6月15日 水曜日に更新予定です。



作中の宗教革命に関する事、うろ覚えの世界史からなので間違ってたらゴメンナサイ。もう少し色々したかったのですが、語彙力とか諸々の足りなさが……。また後で手直しがあるかもしれません。

 

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