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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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ヴィグの近習見習い日誌 21



 夕方になり、流石に冷えてきた。湯気の立ち上がる湯呑を差し出すと、すぐに受け取ってくださった。


 「今夜も冷えそうだねぇ。もう冬だ」

 「遠征中の者からの手紙には初雪が書かれてましたよ。こちらも直に雪の季節ですね」

 「駐在組は大変ね。私、寒いのは苦手。あ、でも、ソフィアのお茶は美味しくて助かったなぁ。あの牛乳とスパイスを入れたお茶! 体がポカポカするの」


 僕の差し出したお盆からお茶碗を受け取ったミンツゥ様が、ウットリと呟く。姉様得意の蜂蜜生姜入りの牛乳茶のことだ。

 気に入ってくれた事が嬉しくて、思わず声をかける。


 「僕でよろしかったら、作りますよ」

 「本当に?! また飲めるなんて、楽しみだわ! 」

 「俺も飲みたいな。スパイス入りのお茶……『チャイ』みたいなのかな」

 「ハルキはこーひーがあるじゃない」

 「たまにはお茶もいいじゃないか」


 まるで兄妹のような会話。そんな二人を下座に座った大臣達が笑いながら見ている。

 無礼講のお茶会も、夕方になりようやくお開きとなった。仕事を残している者や次の当直の者は職場に戻り、終業時間で大勢が中庭を追い出された。それまでは背筋を伸ばしていたお二人だったが、流石に疲れてる。曰く「偉い人のフリは疲れるんだよ」、と。温かいお茶と席を用意すると、崩れるように座ってお茶で暖を取っている。


 「あの、遅くなりましたが、ハルキ様」


 お疲れのところ申し訳ないが、お礼は早く伝えたい。そっと腰を下げて頭を垂れる。

 

 「法務局での研修を許可していただき、ありがとうございます」

 「あ、それか。いやぁ……こちらこそだよ」


 ハルキは僕に頭を上げるように手を差し出す。慌てて宙で気持ちを受け取り、一歩下がってから頭を上げると、照れ笑いをしたハルキ様がいた。


 「許可といっても近習をしながらだから、どこまで時間を与えられるかまだ分からないんだ。でも、上手く遣り繰りしてやってみよう。俺もヴィグがどう成長するか楽しみなんだ」

 「が、頑張ってご期待に応えていきます! 」

 

 僕の渾身の宣言にふふっと笑うと、首を振った。

 

 「俺の期待なんか気にするな。ヴィグがやりたいように、やってごらん。俺は、そっちのほうが楽しみだから。ねぇ? ダワ」

 「そう言っていだだけると、助かります。ハルキ様からのお心遣いと大切な人材、育てさせて頂きます」

 「和やかな会話のところ悪いんですが、ハルキ様を毎朝起こす勤めは暫くヴィグにお願いしますよ。私は御免です」


 ヨハンさんの言葉に、皆が大笑いをする。

 遠征中はヨハン侍従長が起こす役を引き受けてくれたのだけど、大変な苦戦だったと聞く。僕が遠征から帰って来たとき、本気で喜んでくれたヨハンさんの様子を思い出す。一体どんな寝起きだったんだろう。でも、あれ以来エアシュティマス様は表に出てきてないらしい。雲上殿は、何とか平和だ。


 「お待たせしました。皆さんの分をお持ちしましたよ」

 「厨房長! 夕方の仕込みで忙しい中でありがとう! 」

 

 ご飯が炊きあがる香りとともに、厨房長が大きな皿を手にやって来る。後ろにはシュウメイのお母さんも沢山の小箱を盆にのせている。

 目が合った僕に、微笑んでくれた。何だか嬉しい。


 「さっき記念品で配ったお菓子、皆にも食べてほしくて別に用意してもらったんだ」

 「各部署に配ると言ってたじゃない? 」

 「どうせ、自分は食べないで部下に渡すんじゃない? 皆、良い人だからさ。ほら、どうぞ」

 「そんなに褒められても、何も出来ませんぞ」

 

 言いつつ、最初にお皿に手を伸ばしたのはツワン様だ。強面の武人で呑兵衛で、大の甘い物好き。大きな手で、小さな丸い焼き菓子を摘む。鼻に近づけ、首を傾げた。


 「うーん……小麦の香りはしませんな」

 「こちらのデコボコしてるのは砂糖菓子だね。ツワン。その丸い菓子、どんなんだい? 」

 

 同じ甘い物好きのサンギ様に言われ、髭に覆われた大きな口に入れると、小さな菓子がますます豆粒に見えた。そして、目を見開く。

 何て感想が出るだろうと、皆で次の言葉を待つが口を開いて次の菓子を放り込んでいく。三粒、五粒と消えていく。あまりの勢いに、リンパ様が「おいおい」と太い手首を掴んだ。


 「口の中で消えてしまう! ホロホロと無くなるんだ! 取り敢えずリンパも食べてみろ! 」


 目を白黒させたツワン様の様子に、リンパ様も呆気にとられながら、一粒口に運ぶ。途端に頷いた。


 「……うん、これはまた上品な……」


 唸るような言葉に、残された全員が手を伸ばし菓子を食べだす。僕も最後に手を伸ばしたけど、二度目三度目の手が皿に伸びている。

 ハルキ様は何も言わずにニコニコ笑って、皆が手を伸ばしてるのを眺めてお茶を飲んでいる。


 「俺がいた世界では、赤ん坊や小さな子どものお菓子なんだけどね。『玉子ボーロ』」


 たまごぼーろ。

名前とともに、口に入れた途端に微かに甘い香りを残して消えていく。僕も、気付けば二粒目を求めて手を伸ばしてしまっていた。


 「芋粉と砂糖、卵黄と僅かに豆乳を使用してます」

 「それだけか?! 」

 「それだけです。いやぁ、材料の配合と焼き具合が難しかったですわ」


 難しかったという割に楽しげな厨房長の説明に、全員が唸る。


 「菓子といえば、甘くした小麦の生地を揚げたり焼いたりするものと思うとりましたわ。クマリに来てから米粉を蒸す饅頭も美味しう頂いとりましたが……芋粉ですか」


 ハンナさんの言葉に、エリドゥ出身のサイイドさんや大師が頷く。

 クマリの菓子は、米粉と甘く煮詰めた豆が基本だ。甘い豆を米粉の生地の中に包んで蒸すか、豆を漉して叩いて粘度を上げた米にのせて食べるか。


 「後李は、小麦も米粉も使いますが、取り敢えず蒸すか揚げるか。青の民は牛の乳を発酵させた甘い飲み物がありますが、菓子自体の発想がないです。大抵、乾燥させた果物を齧ってました。芋粉は初めてです」

 「そうなんだよ。皆の話を聞いててね、他の国にはない保存の効く菓子が欲しいなって考えてたんだ。どこにもなかったみたいで成功だね」


 ハルキ様が厨房長と悪戯が決まった子どものように笑い合う。これは、大分苦労されたんだろうなぁ。三度目の手を伸ばし、たまごぼーろを食べる。美味しい。


 「乳脂も使わなくても、こんなにサクサクした食感になるんですね」

 「牛乳は、秋から冬は手に入りにくいからねぇ。保存方法があれば、『バター』で菓子や料理の幅が広がるけど。ここには『冷蔵庫』も『冷凍庫』もないしなぁ」


 また異世界語が飛び出した。そんな時、少しだけハルキ様は小さく微笑む。僕には、何となく解る。きっと故郷を懐かしんでいるんだと。僕とは違い、もう二度と帰れない異世界の故郷。話に聞くと、精霊の力を借りずとも、随分と色々な事が出来る世界らしい。カラクリで馬よりも速く走り、鳥よりも速く飛んで行ける、とか。そんな世界から来たのなら、この世界は不便極まりないだろうな。


 「まぁ、いいさ。何とかなるだろ」

 「たまごぼーろみたいに、創りますか? 」

 「その時はまた宜しく」

 

 ハルキ様の言葉に大笑いをして、厨房長達が下がっていく。夕飯の支度があるから、なかなかに慌ただしい。「厨房も交代で休みを取ってね」と声を掛けられ、厨房長はじめおばさん達が深々とお辞儀をして奥へと下がった。こういう気配りがあるから、ハルキ様は慕われていると思う。


 「創ったといえば、今回の遠征で印刷は大分役に立ちましたな。あれがあったからこそ、雲上殿と息を合わせて作業が進みましたわ」

 「ツワンが鍛え上げた近衛隊のお陰でもありますよ。どんな風のある日でも、朝に出した便りが夕刻には帰ってきましたからね」

 「あれは凄かったねぇ。船団でも、これだけの距離を一日で行き来するのは難しいよ」


 サンギ様はたまごぼーろへ伸ばす手を緩めることなく、頷いた。「これからは船じゃなく空かねぇ」と寂しそうに呟いた。


 「船は大量の物資を陸路より速く運べるじゃないか。使い分けだよ。今回みたいな書類を運ぶのなら星獣も有効だと判った。色々試してみようよ」

 「ハルキは本当に、色んな事を変えるわね。こんなに美味しいお菓子も、便利な道具も」


 ミンツゥ様の言葉に、それまで笑顔だったハルキ様が真顔になった。その変容に、賑やかだったテーブルが静まる。僕もたまごぼーろに伸ばした手を引っ込める。


 「変えたくは、ないんだ。こっちに来たばかりの時は、落ち着いたらアレやコレやをつくってやる! 便利にしてやる! って考えてたけどね」


 細く長い指を握り締めて、そっと開けた。タコも傷もない、荒れたことのないようなハルキ様の綺麗な手。

 

 「この世界は、俺のいた世界とは違う進化をしている。それを、乱したくはない。でも、いずれ変わるだろう事もある」

 「それが、印刷ですか」


 ダワ様の言葉に頷かれた。苦笑いをして空を見上げられた。もう夕焼けが夜の帳に覆われつつある。

長くなったので、続けます。

このままどうぞ。

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