ヴィグの近習見習い日誌 20
冷え切っていた朝方の空気も、天頂に太陽が登った頃には綻び暖かくなってきた。北風もおさまり、穏やかな冬の昼下がりに僕らは集う。
大食堂に面した中庭。紅葉した葉が舞い落ちる中で椅子が並べられ、ちょっとした臨時の上座も用意された。座っているのは足元にシンハを従えたハルキ様だ。一段下に、ミンツゥ様。もう一段下に並ぶは各省庁の長。そして前列に並ぶのは草原に行った面々。勿論、僕も端っこにて直列不動。いつもはハルキ様の後方から控えて見る景色が逆転している新鮮さ。
あぁ、そうか。みんな、こんなに眩しく見上げているんだと実感する。
青の民との条約仮締結に関しての俸禄授与と慰労の茶会。
仮締結で俸禄授与は早いんじゃないかと声も出たが、初めての他国間交渉で成果を上げた者を慰労したいとのハルキ様達の要望で行われる事になった。
「この度の諸君らの働きは、実に素晴らしく我がクマリの将来に有益なものとなった。この功績を称え、ここに俸祿を授与する」
右大臣リンパ様の言葉に、深く頭を下げる。名を読み上げられ、上座に上がり、ハルキ様から直々に俸祿の目録を手渡されていく。
なんという名誉だろう。俸祿自体は、流石に僅かなものだ。今のクマリに余裕は殆ど無い。だから、役職が僅かに上がって課長補佐官とか新たに出来た曖昧な役職を与えられるのが殆ど。給与も僅かな昇給だ。それでも、聖下の御手からの目録は、大変な名誉だ。
僕も、俸祿を与えられる。
近習見習いから、近習へ昇格だ。
「ホラン・ヴィグ・オユン」
「はいっ」
名を呼ばれ、上座に上がる。満面の笑顔のハルキ様がヨハン侍従長から目録を受け取り、差し出してくれる。何だか夢のよう。
そしてもう一つ。
目録とは別に、小さな銀色の円筒が渡される。
何だろ、コレ。
「大変な役目を果たしてくれて、ありがとう」
「こ、これかもクマリの為に精進してゆきましゅ……っ」
最後の言葉を噛んでしまった。ハルキ様の青い瞳が見開かれ、その後に控えてるヨハン侍従長の綺麗な眉は跳ね上がる。
やってしまった! やらかしてしまった!
宮中作法が染み付いた身体は勝手に動き、頭を垂れ足が動いて上座から退出するが、頭の中は噛んでしまった事で一杯だ。顔どころか、耳からも炎が出そう。
「以上。皆の者、御苦労。なお、俸祿と共に渡した記念品は、今回の遠征は勿論、日頃からの皆の働きを支える家族や大切な人を労えるよう、聖下自ら厨房方と創り上げた菓子である」
リンパ様の言葉に、手にした銀色の円筒を見る。
何かと思ったら、聖下自らの発注による菓子とは。
「忙しい毎日だが家族と過ごす事を忘れぬように、との聖下からの心遣いだ。また、関係部署の者達も御苦労。互いに仕事を支え合って今回の成功があった事に感謝している。故、各部署宛に些少ではあるが同様の菓子を後程配布する。休暇も交代で取れるよう、通達済だ」
途端に、後方から歓びのざわめき。
リンパ様が口の端で器用に笑い、ツワン様が、咳払いをして静める。
「これにて授与式を終了する。以後は茶会だ。この後に業務がある者もいる故に酒は出んぞ。無礼講とはいえ、節度を守るよう。以上! 」
酒がないのに無礼講とは何だと思っていたら、想像以上に盛り上がっている。ハルキ様も、上座から降りられて各部署の輪に混じって談笑している。勿論、横にはツワン様が付き添い警備はしている。ミンツゥ様もサンギ様やリュウ大師に付き添われて様々な役職の者に声をかけていく。
局長や部長から以下では奥宮に入る為の岩小桜の付け襟は貰えない。働き次第で朝議の場に行くことは出来ても、ハルキ様方にお声を掛けていただく機会など皆無。ならば、無礼講の茶会は最高の機会だ。
自分の名を覚えてもらおうという者がいれば、ただ近くでお姿を見たい、という者もいる。入り乱れて大盛況だ。気を抜けば人の波が押し寄せるだろう場を、ツワン様達が睨みを効かせて制している。
ヨハン侍従長からも、この場は近習として控えなくても良いと言われているのは、こういうことだったのかな。僕じゃ、足手まといだ。
「ヴィグ! 昇進おめでとう! 見習いから近習だって? 」
「シュウメイ! ようやく会えたね」
「そんな端っこで茶ぁ舐めてるなよ! こっち! 」
隅の椅子に座ってた僕を見つけたシュウメイが、手を引っ張っていく。懐に入れた目録と円筒がカサカサと揺れた。
「何、どうしたの? 」
遠征が終わってから互いに忙しく、夜遅く食堂に行った時に挨拶程度しか会えなかった。話したい事は沢山だ。
グイグイ引っ張られるままに付いていく。中庭を通り抜け、厨房への入口にたどり着く。髪を手拭いで纏め上げ、前掛けをして幼子と手を繋いだ女性が僕を見るなり深く頭を下げた。
「母ちゃん、そんな頭下げたら挨拶出来ねぇよ」
「……母ちゃん? 」
「そ。オレの母ちゃん。ヴィグのこと話したら、挨拶したいって。ほら、母ちゃん、ヴィグ連れてきたよ」
後李帝国から人質として救けられたという、シュウメイのお母さん。手を繋いでいる子は、妹さんだろう。赤ん坊と言っていたが、手を繋ぎ僕を見上げる。それはマキシムの幼い頃を思い出させる。
姿勢を正し、僕も頭を垂れた。
「はじめまして。 ホラン・ヴィグ・オユンと申します。今回の遠征では、シュウメイに沢山助けてもらいました。僕はお礼を言わねばなりません。本当に、ありがとうございます。シュウメイに出会えて、僕は本当に助かったんです」
シュウメイに、会えてよかった。
誰とでも臆せずに話せる彼に会えて、僕は救われた。機敏なシュウメイに、どれだけ助けられたことか。
思わず、手を取る。逃げるように引く手を、そっと包んで握る。
水仕事で荒れた手。ようやく顔を上げ目が合った。焦げ茶の瞳。日に焼けた肌。シュウメイの大きな瞳は、母親譲りだ。驚いた目がこぼれそう。
「そんな、ありがとうだなんて……。お礼は私がしなくてはいけないのに」
「いえ。僕は……青の民出身です。だから、僕の立場は非常に脆くて曖昧で……シュウメイが側にいてくれたから、僕は真っ直ぐに立てたんです。クマリの中で働けたんです」
あの場所で、僕は間者として見られて当然だった。別け隔てなく声を掛けてくれたシュウメイがいたから、僕は遠征でクマリの仲間として見られた。
「いや、ヴィグがいたから、オレ、皆と働けたんだ。オレが後李に脅されてたの、知ってる奴もいたから。でも、ヴィグはそんなん関係なく一緒に仕事してくれた。近習なのに、工房の下働きのオレにも声掛けてくれたし」
「僕が近習なのは関係ないだろ」
「偉そうぶらないだろ? 」
「偉いのはハル……聖下であって僕じゃない」
シュウメイは真ん丸の目を真ん丸にして、それからクシャリと顔を歪めた。
太い眉も、へニャリと垂れてる。
「シュウメイ? 」
「……オレ、今度、法務局に新設される公文書作製部に行くんだ」
「凄いじゃないか! 良かった! ……どうしたの?」
「もし、ヴィグがいいなら、また遠征の時みたいに、一緒に仕事してぇな……」
絞り出すような言葉に、雷に撃たれたように思い出す。慌てて懐にしまった目録を取り出し、広げる。手が震えてる。飛び込んだ文字に、視界が歪む。
「シュウメイ、多分、きっと一緒に仕事出来るよ……聖下からの許しが、ダワ様の所へ勉強して良いって……」
言葉が続かない。ただ、目録を広げて差し出す。
『近習見習いから近習とする』
『法務局への随時研修を認める』
ただ、これだけが書かれた目録。
シュウメイが、僕の手を握った。震える手で、強く握った。
「オレ、オレ、またヴィグと並んでいいか? 一緒に仕事、していいんかな? 」
「うん……また、一緒に仕事しよう。また、仕事しよう」
自分を認めてくれる人がいる。理解して求めてくれる人がいる。それは、なんて幸福なことなんだろう。互いに手を強く握りしめて、そんな僕らの手に小さな手が重なる。シュウメイの妹だ。
「にぃに、だーぁ」
幼子特有の温かな手の平が心地良い。僕らは手を解いて、シュウメイは妹を抱き上げる。ふっくらとした頰は、マキシを思い出させた。そっと手を伸ばすと、不思議そうな顔をして僕の指を掴んだ。
「何だぁ? ファンはヴィグ見ても泣かないな。人見知りでしょっちゅう泣くのに」
「本当ねぇ」
「あの、抱っこしてもいいですか? 」
返事の代りにファンを差し出される。腕にかかる重さが、ますますマキシを思い出させる。そっと髪に顔を寄せるとマキシとは違う、懐かしい匂い。甘く、日向の匂いだ。
「良かったら、また遊びに来て? ファンも貴方が好きみたい。何もおもてなしは出来ないけど、ご飯を沢山作るわ」
「母ちゃん」
「ありがとうございます。是非、お邪魔させて下さい」
「本当に、ウチ何もないからな? 」
「うん……」
「今度、晩飯食いに来いよ? 」
「うん。ありがと……」
髪に寄せた僕の息がくすぐったいのか、ファンが腕の中で笑い転げる。
昼下がり、中庭からの喧騒を聞きながら、草原へ想いを寄せる。
新しい生活が、また始まる。
次話で『ヴィグ編』終わる予定です。
次回更新日は 6月1日 水曜日 です。