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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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ヴィグの近習見習い日誌 16




 姉様は変わらず美しい。

 でも、幾分か細くなった身体が、僕の胸を抉った。拳を握り締め、目を反らそうとする自分を叱咤して、ただ前を向く。姉様から目を反らしては、いけない。反らしては、生きていけない。


 「ヴィグ……? 」


 名を呼ばれて、震える。耳飾りがリンと鳴る。

 姉様の身体を細くしたのは、間違いなく僕だ。 

 知り合いも居ない場所で暮らすのは心細かったはず。頼る顔馴染みすらいない家で、違う氏族の中で暮らすのは苦労しかないはず。気が休まる場所も、自分の居場所も、何一つないはず。

 きっともがいて、足掻いて、ぶつかって、いっぱい泣いて、自分の居場所を確保しなきゃ、造り出さなきゃいけなかったはず。

 僕は、クマリで送った時間で、それらを学んだ。孤独と、恐れと、悔しさと、もどかしさと、哀しさと、たくさん。

 でも、それは自分が決めて挑んだ場所で学んだこと。味わった事。僕の勝手で身に沁みた事。

 姉様は違う。本当なら、僕も側で支えているはずたった。慣れない大狼の氏族での生活も、若奥方という立場も。

 僕の半年と、姉様の半年。互いに苦労はしたけれど、姉様の半年は、僕のせいで背負わなくていい苦労を背負ってしまった。

 本当なら、唯一の身内である兄弟に祝われ支えられて迎える新婚生活だった。それを、僕の我儘で支えを失って、小さな弟を連れて孤独に耐えなくちゃいけなくなった。その苦労は、僕のせいだ。

 僕のせいだ!


 「ヴィグ……また背が伸びたね」

 「姉様は、痩せたよ」

 「そうかしら? ねぇ、こっちにいらっしゃいな、私の自慢の舞手さん」


 夜風が、銀色の後れ毛を流していく。


 「どうしたの? お腹、減ったの? 」


 前掛けで軽く手を拭いて、首を傾げた。

 冬の終わりと変わらない微笑み。

 責めることもなく、問い詰めることもない。姉様は変わらず優しい。


 「舞、見たわ。とても綺麗だった。父様と母様も観てくださったわ。誇りに思ったはずよ」

 「姉様……」

 「三日月刀に相応しい、白鷺の長に恥じない姿だわ。よかった……。こっちにいらっしゃい。ご飯、用意するわ。まだ食べてないんじゃ……」

 「姉様! 」


 震える拳を握りしめ、わななく口元から声を絞り出す。今、言わなければ。言わなければ、生けない。赦しを請わなければ、僕はこれから、どう生きていけばいいんだ。

 食いしばって、いつの間に噛み切った唇を開く。


 「姉様、ごめんなさい、傍に、いれなくて、ごめんなさい」  

 「ヴィグ? 」

 「勝手をして、家を飛び出して、逃げ出して、ごめんなさい! いっぱい泣かせて、ごめんなさい! 僕は、僕が、傍にいなかったから姉様は」

 「ヴィグ……、クマリに行ったことを、後悔してるの? 」


 満天の星空の下の姉様が、静かに問うてきた。真っ直ぐに、僕を見据えて。

 僕の声を一つとして逃さぬよう。


 「ヴィグ、答えなさい」

 「……後悔、してない! 後悔する余裕なんか無い! そんな時間も余裕も全て使ってきた! 僕は出来ること全てを」

 「なら、良いわ」


 世界が眩く輝いた。満天の夜空から光が零れ落ちたように微笑む。

 優しい姉様。どんなことも受け入れてくれる、けど間違ったことは許さない、靭やかな温かさ。鋼のように強く、輝く刀身のような美しさ。

 優しくて、強くて、美しい姉様。まるで、紫水晶の三日月刀。


 「クマリで、一生懸命やってきたのでしょう?  悔いなんて一片も無いのでしょう? なら、良いわ。何も謝る事なんて無い。そうでしょう? 」


 立ち尽くす僕に歩み寄り、腕を伸ばす。今は姉様より伸びた僕の頭を撫でられた。クマリ式に結った髷を撫で、耳を触り、頬を撫でてくれる。


 「ヴィグが元気に頑張ってるなら、何も謝る事なんて無いわ。……あらあら、泣いてるの? ヴィグは昔から泣き虫さんねぇ」

 

 勝手に零れる涙も、細い指で拭われる。冷たい指先が心地良い。撫でられる感触が安心する。昔からの変わらない仕草、声、体温、匂い。全てが心地良い。


 「さあ、ご飯を食べましょ。今日着いたばかりで疲れてるでしょ?」

 「……うん」

 「羊のモモスがあるわ。好きでしょ」

 「うん」

 「蕎麦のクレープもあるわよ」

 「うん、食べる」


 まるで幼子に戻ったように頷く。涙を手の甲で拭い、真っ直ぐに姉様の瞳と目を合わせる。僕と同じ、紫の瞳。

 銀の髪も紫の瞳も同じ。だけど、僕は姉様のように強くなれるだろうか。優しくなれるだろうか。いつか、こんな大人になれたらいいな。

 それから、食事をしてから天幕の外でお茶を飲んでた。冬告の赤星が地平線に輝いて指先が凍えるまで、たくさん喋った。選抜試験のこと、そこで出会ったシィウメイのこと、宮の食堂で初めて食べた生魚の刺身のこと、夏至祭で初めて見た海や船に乗ったこと。幼い頃に遊んで川に落ちた思い出も。たくさん、たくさん喋っても笑っても、時間は足りなくて。

 今回の滞在時間は、限られる。あと九日間で、どれだけの想いを伝えられるだろう。

 喋りながら、姉様の笑顔を見ながら、頭の片隅で考えてた。どうしたら、こんなにも大好きと伝えられるだろう。




 次の日、雪梟は数人を残して引き上げていった。残された幹部達は後始末に追われ、最小限の処理と無礼を各部族に侘びて立ち去った。

 それを非難することも追い縋ることも、どこもしない。そんな時間も余裕もなく、大狼の周りは忙しく変貌した。絶えず各氏族が出入りして会議が続く。

 会議、そしてまた会議、会談の繰り返し。話し合わなければいけないことは山のようにある。

 僕はシンハの御守り役だけど、気付いたらダワ様から祐筆の仕事を頼まれた。ダワ様が出席される会議には全て付き、会議中の青の民の注釈や議事録の仕上げをする。シィウメイも時折引っ張り出されて、その場で印刷までこなしている。その間、シンハといえば、僕の横やミンツゥ様の膝の上で居眠りをしたりしてる。そしてとうとう、お茶を配膳しに来た姉様について行って天幕から離れ、そのままマキシムや幼子達と草原を転がり草の実を毛につけて遊んでいた。

 「連れ戻しましょうか」と問えば「ハルキも子ども好きだから、好きでやってるんでしょ」とミンツゥ様は苦笑いをして放置してしまう。サンギ様達もシンハが遊んでいるのは「この場所が安全と判断したから」だから「放っておけ」。

そんな日が続いて、残されたのはあと二日。シンハは今日も朝から幼子達を背中に乗せてたり、草花の冠を何個も掛けられたりしてる。周りの精霊はどんどん増えているらしく、空気までキラキラしてるのが共生者じゃない僕でも分かる。シンハもご機嫌なんだろう。すっかり草原に馴染んだ平和な光景だ。

 が、会議はそんなに呑気じゃない。残された二日で成果を最大限にするために、朝から各氏族長、クマリ側は役付全て出席の会議が天幕で続いてる。

 ここ数日で壁となってる難題は、不可侵条約を結ぶ上で必要な国境だ。青の民は、草原を各氏族で分けて支配している。クマリと領土を接する氏族は大狼と岩熊と兎岳。三氏族の合意が必要になってしまう。

 さらに、接する場所は玉獣が住む神苑。「何人たりとも入らずの場所」だから、国としての境界線をクマリも決めていなかった。

 祐筆として末席に控える僕も、解決策なく繰り返される議題に不安になる。これ、締結できるのかなと、この場にいる誰もが感じて時間だけが過ぎていく。そして腹は減るのだ。

 昼食の時刻が近づいてきた頃だ。モルカンさんが忍び足でダワ様の席の裏に控え、何やら紙を差し出した。素早く目を通したダワは、「急の知らせが入った故、クマリに少々の時間をくれまいか」と声を上げた。いつも崩さない柔和な顔が緊張しているのをみて、青の長達も異議を唱えずに退席になる。クマリは役付のみ残り、僕ら下っ端も退席で、シィウメイと裏に控える。そして、この空き時間にご飯を食べとこうと交代で抜け出た。下っ端は食べれる時に食べとかないと食いっぱぐれる。


 「ヴィグ! ようやく終わったの? 」

 「姉様……まだかかりそうです。長丁場に備えておいたほうが良いですよ」

 「そう……じゃあ、軽い点心も用意させましょう。ヴィグはご飯? 私も少し時間が空いたの」


 天幕から抜け出ると、お茶を運び終わった姉様に出会えた。あれ以来、時間が合えば一緒に食事をするようにしていた。姉様も忙しそうだ。「マキシムは? 」と尋ねれば、笑って天幕に囲まれた広場を指差す。子ども達が歓声を上げてシンハと踊るように駆け回っている。数人の大人達が目を配っているから大丈夫か。

 二人で厨房兼食堂の天幕に向かって行くと、何やらそちらも騒がしい。顔を見合わせて近づいていくと「若奥様だ」と幾つもの呟きと共に人垣が分かれた。そこから覗いた顔に、思わず声が出る。

 

 「テンジンさん?! 」

 

 雲上殿にいるはずなのに、何でここにいるのか。言葉が続かずに突っ立っていると、テンジンさんが

駆け寄ってくる。珍しく満面の笑み。惜しげもなく見せるのは、僕の隣の姉様だ。なるほど、よそ行きの笑顔とは、こういうのか。口角の上がり具合が怖い。


 「はじめまして。近衛第三小隊長のテンジンと申します。ヴィグ、こちらは」

 「僕の姉の……」

 「ホラン・ソフィア・オユン・バトバルヤと申します。弟がお世話になっております」

 「とんでもない。ヴィグの頑張りに助けられてます。いや、ほんとによく似た姉弟……成程、皆が大輪と言う言葉通り。お会いできて光栄です。」


 前のめりな自己紹介にと不自然な愛想笑いに、姉様は礼儀を守りつつ少し仰け反り気味だ。少し助けを求めるように僕を見てくる。良い人なんだよ、無理して笑ってるだけで。


 「あ、あの、何かあったんですか? テンジンさんが来られたら、聖下のお側は大丈夫ですか? 」

 「シャムカンが帰ってきたし、そこは大丈夫。聖下からの急ぎの荷物とか持ってきたんだ。アレとか」


 ひょいと指差す方から、僅かに異臭がする。ここ最近ようやく慣れ始めた臭い。


 「もうじき帰る予定だけど、みんな慣れない食事は大変だろうなって、夜中過ぎに出てきた。昼飯に間に合いそうで良かった」

 「ツゥーナアンを?! 」

 「何あれ! あれ、お魚なの?! 」


 人集りの向こうには、外洋で採れる夏至祭のご馳走で振る舞われた赤身の大型魚。あれをわざわざ持って来た事に、呆れてしまう。慣れぬ食事で皆が苦労してるだろうと、慰安の気持ちは分かるけど、どんだけ魚が食べたいんだ。


 「あと、聖下の手紙と、ヴィグ達に土産。秘密兵器っていうか、えげつないっていうか」


 少し呆れたような物言いに、テンジンさんを見上げる。ニヤリと笑ってきた視線がぶつかり、どきりとする。


 「あとはお偉方の仕事だ。俺達は飯でも食って待ってよう。そうだ、奥方様、あの魚を捌いて皆に振る舞いたいのです。こちらの方々のお手を煩わせるのも申し訳ないので、料理人を連れてきております。厨房をお借りできまいか」

 「そ、それは勿論! あれ程の魚、私達では捌けません。クマリの方々で調理して頂けるなら助かります。トヤ! 厨房方を呼んでちょうだい! 」


 姉上も「またね」と目だけで僕に言うと、小走りで人垣の中へ飛び込んでしまった。

 暫くすると「役付も追い出された」と、シィウメイ達も厨房にやって来た。

 魚を捌く臭いと薪が燃える匂いがする頃には、スレン達青の民や長達までやって来た。離れた天幕を見れば、上座に向かい合って座るミンツゥ様とアスラン兄様だけが見える。

 潮汁の匂いが草原に漂う頃には、最後まで控えていたダワ様とバータル様もやって来た。二人とも並んで上座を見詰めている。息を潜めて、という雰囲気に声もかけれない。

 会談の天幕を見守るように人垣が出来た。


 「ヴィグ兄様、何かあるの? 」

  

 雰囲気が変わった事に幼子達も気付いたのだろう。広場で転がり駆けていたマキシムが服の裾を引っ張ってくる。

 

 「アスラン兄様とミンツゥ様がお話してるんだよ。静かにね」


 母様譲りの癖っ毛に絡まった草を取ってやりながら抱っこしてやると、周りをキョロキョロ見ている。


 「ねぇ、シンハがいないよ」

 「え!? 」


 慌てて見渡せば、上座の二人の間に堂々とした風格すら漂わせて座っている。一瞬で腹が縮み上がり、マキシムを抱いたまま駆け出す寸前でダワ様に肩を掴まれた。


 「シンハ様はお役目をしてますから、大丈夫ですよ」

 「あの、でも、お邪魔では」

 「神苑の事は神苑の主に聞くのが一番ですから」


 その言葉で、最大の障害だった国境の問題を解決する話し合いが佳境に入ったことを知る。国の利益や名誉、在り方の問題を、其々の代表者が顔を合わせて本気で解決する場面に、立ち会っているんだ。

 自分が今居る瞬間の重要さを理解して、全身に鳥肌が立つ。身震いする。一刻一刻が、祈りのようだ。


 「潮汁、出来ましたよー」

 

 後ろから穏やかな声が掛けられ、慌てて振り返る。この世の平安を体現したような姉様の笑顔に、慌てて首を振る。

 違う! 今はソレ駄目! 昼飯どころの事態じゃない!

 抱っこされたままのマキシムが身を乗り出して姉様の口を手の平で塞ぐ。目を白黒させた姉様に、アレ!と天幕を指さしていると、周囲がざわめいた。

 上座のふたりが、シンハを引き連れて天幕から出てきた。


 「マキシム、分かったから手を離して。こっちにいらっしゃい。姉様が抱っこしてあげる」

 「しーっ、なの! 」

 「マキシもね」


 風が幕をはためかす音だけが草原に響く。この場にいる全ての生き物が、人も家畜すらも息を潜めて見守る。


 「皆の者に告ぐ! 我ら青の草原を駆ける同志よ! 我らは新たな友を得た! 」


 アスラン兄様の言葉が、空いっぱいに広がる。

 心地よく、低く耳に響く声。


 「ここに宣言しよう! 我ら青の氏族は、クマリを友として支え、共に生きていこう! 」

 「創造主、愛しき精霊達の名の下に誓いましょう! 我らクマリは、草原の支配者たる青の民達と共に生き、そして友として支えましょう! 」


 朗々と響くミンツゥ様の声。続く賛美歌の一小節。

 途端、一斉に風が舞い上がり宙から無数の花弁が湧き上がる。様々な色の花弁が雪のように降り注ぐ。


 「青の民に、この草原に、祝福を! 」


 大地を踏み鳴らし、声にならない大歓声が世界を揺らした。

 青の民もクマリ人も、互いに抱き合って飛び跳ねる。歓声を上げ、指笛を鳴らし、地を踏みしめて飛び上がる。

 ダワ様とバータルさんが、肩を抱き合い背中を叩いている。シィウメイも、サンギ様も、ツワン様も、岩熊の長も 身分に関係なく互いに手を組み、抱き合い、泣いている人もいる。

 

 「ヴィグ、これ、旦那様は、アスランは」

 「不可侵条約どころか友好条約まで締結だよ! 姉様、凄いよ! これで僕らは……っ」


 不意に、マキシムを抱いたままの姉様に引き寄せられた。痛いほどの力で、抱き寄せられた。


 「ヴィグのいるクマリと、ずっと行き来出来るのね……もう、これでずっと安心して暮らせるのね? 戦なんて、起きないのね? 」

 「うん……もう、ずっと大丈夫」


 姉様の背中を、そっと抱く。

 青の民という小国は、精霊を統べるダジョー様の庇護下に入った。これから、時代の荒波が襲おうと、きっと大丈夫だ。

 生きていれば、二国に生き別れても、何時だって会いに行ける。僕の奥勤めで、思うように行けなくとも、僕が頑張って勤めれば、二人を護れる。

 真ん中に挟まれたマキシムが痛いと言うまで、僕らは抱き合った。

 無数の花弁が鮮やかに世界を彩り、空気を揺るがす歓声が絶え間なく続く。

 世界が、祝福に包まれた。

切りどころが上手くできなくて、いつもの二回分の量になってしまいました。あと、推敲が甘く削り足りなくて、読みにくい。すみません、暫くしたら少し変わってるかもしれません。


活動日誌のほうに、今回の「近習見習い日誌」のプロット代わりのプレイリストから数曲、再生回数が多いものを記録として書いておきました。

興味ある方はどうぞ。趣味ダダ漏れですが。


 次回更新は 4月6日 予定です。

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