ヴィグの近習見習い日誌 15
「見事な舞でしたな。精霊と舞うとは、流石はクマリ」
「恐縮です。こちらこそ手厚いもてなしのお礼が出来て何より。皆さんの様子を国へ帰って伝えたいです。聖下もお喜びになりましょう」
「そちらの白鷺の……あぁ、今はアスラン殿の義弟ですな。いや、本当に近習でお仕えしているとは、青の民の誇り! 」
「彼は聖下の大変なお気に入りです。この度の使節団の参加も、離しがたいと随分と渋られてましたからね」
「それはそれは……! なんと光栄な事だ! 我ら氷狐からも、そんな若者を送りたいものですなぁ」
いや、それは単にハルキ様、自分を朝起こす当番が荒っぽいサイイドさんになるから嫌がってただけであって。大変な役なだけだよ。
心の中で訂正していると、ダワ様が飲み物を所望する様にグラスを少し捧げて咳払いをした。
例の合図だ。事前に各氏族の情報を伝えてあるが、押さえきれなかった所がある。それを察して伝えるのも、僕の役目。
素早くピッチャーを持って傍に添いながら、音を立てずに囁いた。
「氷狐の氏族は後李に接する最東端を守護してます。交易が滞って、最近は、羽振りは良くありません」
この情報で正解だったかなと、上目遣いでダワ様を見上げる。と、口角が僅かに上がった
ダワ様が微笑みながら、氷狐の長に向かい合う。けど、淡く青が混ざった茶色の瞳は笑ってなかった。
「氷狐の長殿にも、是非クマリへお越し願いたいものです。アスラン殿と皆さんにお会い出来るのを聖下は大変、楽しみにしています」
「それは嬉しいお言葉だ」
「いや、しかし、これからの冬の季節は、移動は大変になりますか? 確か氷狐の氏族は北東方の街道を守護されているとか」
「いやいや、我らの街道は北東ではありますが、雪が多い場所ではないので移動することは容易い。ただ最近は妖星が難儀ですな」
「ほう、妖星ですか」
聞いてもいない事を喋り出す氷狐の長。妖星が出るのは、精霊が弱り禍々しい世になりつつある証拠。その土地や国を判断する大切な情報の筈なのに、ペラペラと喋っていく。相手を気持ち良さそうに喋らせるダワ様の絶妙な合いの手。見事な手腕に、後ろで控えるシィウメイと肩を竦める。
ダワ様は、怖いお人だ。常に穏やかに笑みを浮かべて、出会う長達に誘い水を向けて気持ち良く喋らせている。宴が最高潮に盛り上がっていく中、上座の間を酌を注いで回り酒の勢いというものも借りて、次々に話を集めていく。それを後ろに控えた僕らが覚えていく。会話の内容も、それを聞き出す手腕も。鬼のど真中で学べとは、こういう事なんだろう。いや、鬼はダワ様か。
たっぷりと余計な事を喋らせてから、にこやかに「では、また明日からの会議、宜しくお願いいたします」と微笑んで挨拶をして下がる後ろ姿は戦慄だ。
「これで全部の長は回りましたね。どうですか? 」
「頭がはち切れそうです」
間髪入れずに訴えたシィウメイの言葉に笑い声を上げた。ダワ様、ホントに楽しそうに笑う。「お陰で沢山の収穫がありましたよ」と言いながら音をたてて首を回し、長く息を吐き出して伸びをした。流石にお疲れかな。
上座の隣の天幕に入り、ようやく座る。再び何処からかモルカンさんがやって来た。屋根だけの天幕だから、夜風が吹きとおる。モルカンさんが持ってきた大きな盆には湯気と甘い香りが盛大に立ち上ぼって、腹の虫が鳴ってしまう。
「あちらも落ち着いた様ですし、少し休憩しましょうか。モルカン、ありがとう」
「ダワ様は働きすぎ。上の人が休まないとオレ達下っ端は休めないんだから。ほら飲んで」
てきぱきとお茶を注ぎ、僕らはダワ様にクッションを当て、膝掛けを渡し、快適な場を素早く作る。休息をとってもらわないと僕らも休めないと、ようやく気付く。成る程、休んでもらえば僕らも休めるのか。
四人で車座に座り、熱々の甘いお茶を啜る。夜風に冷えた体に染み渡って、無意識に力んでいた肩が解れていく。ほぅ。
「先の話、明日の朝迄に要約で良いので印刷しておいて下さいね」
「何人分ですか? 」
「八人……いや、十人分で。表に朱墨で機密と書いておくのを忘れずに。二人分はミンツゥ様の手紙と一緒に明日の朝イチ、シンハ殿に雲上殿へ持っていってもらいましょう。」
「畏まりました」
「あと、地図も用意しときたいですね。取り敢えず、街道図を青の民側の分も印刷しておいて下さい」
「はい」
「後は……」
「後で伺いますから」
モルカンさんの停止に小さく笑い、息を吐き出す。やっぱり疲れてる。そりゃそうだ。今朝は日ノ出前にクマリを出てから、ずっと気を張り続けてんだから。僕らもお茶を啜って息を吐き出す。あー、クマリの渋いお茶じゃない、いつも飲んでた甘いお茶だ。バター入れて飲みたいなぁ。
「何とか、会議は進みましたねぇ。代償は大きかったですが」
「十日で締結は無茶な話ですね」
「猶予がない。深淵の雲水が彷徨いているとなれば、急がねばいけません。聖下の懸念してた事が芽をだし始めている。芯が有れば張りぼてでもいいから……いや、でも、何とかなるかもしれない」
まるで流れる風を見るように虚空を見つめ、頷く。
「あの朝議の出来事、あの時の聖下から出された課題を覚えてますか? 」
突然変わった話題に、シィウメイと顔を合わせる。そんな僕らに笑いながら「シィウメイくんもいましたよ」と付け加えるダワ様は、悪戯を仕掛けた様に笑う。
「オレが朝議の場にいたってことは、『ガリ版』を御披露目に行った時ですよね」
「あー、エア……っ! 僕が聖下に連れてかれた時のですね」
危うくエアシュティマス様と言いそうになり、モルカンさんにデコピンされた。「虫がいた」と誤魔化すが晩秋にソレは無理がある。
シィウメイは僕らの様子に首を傾げながらも印刷の弊害な何か、と問われた事を口にした。本当によく記憶してると驚くばかり。
「印刷は便利なモノと理解してますが、何が問題なんでしょうか。工房のオレ達は、この技術をもっと磨いていこうとしてるんですが」
「私も素晴らしいものだと思いますし、工房の働きは素晴らしい。今回も助かっています。同行させて正解でした。貴方達の働きで、多分成功すると思ったんですよ」
小さく笑い、頷いた。
「ガリ版で素早く議事録が配られて、出席者はもちろん、居ない人達にも同じ考えや情報が共有される。皆が同時に同じ事を考え、同じ方向を向いて進むことが出来る。それは大きなうねりとなります」
「うねり……」
「先程我々やアスラン様がやってみせたでしょう? 舞で場の雰囲気を造り友好を演出したり、共通の敵を意識させて、誰と手を組むべきか氏族長達にはっきりと示した。場の盛り上げも、言葉の使い方も、絶妙でした。人の気持ちに興に乗せて、人の気持ちや考えを一本化して進ませるのは、悪用も出来ます。恐らく聖下はそれを懸念してるのでしょう」
「悪用? 」
それは何だろう。
途端、モルカンさんが素早く片膝をついて腰に手を伸ばした。
「お疲れ様です。先程はありがとうございました」
若い男の声が上座から歩いてくる。近くの松明に懐かしい顔が照らされた。
背筋の伸びた綺麗な立ち姿と無駄のない動き。常に笑ったような一重の目元。
僕らも反射的に馴染んだ動作をする。
身を軽く引いて、頭を下げた。
「ツァー・バータル・ゲリエルと申します。先は慌ただしく挨拶も充分に出来ずに失礼しました。是非ともダワ様とゆっくりお話したく、時間を頂いても宜しいですか」
「これはこれは。斗家のダワと申します。アスラン様の参謀をされていましたね。先程はバータル殿の働きで素晴らしい結果が得れました。ありがとうございます」
「発案はダワ様。我らは話を合わせただけです」
「いやいや……では、一番の功労賞は彼らですね」
「それは間違いない」
賑やかに、まるで以前からの知り合いのように会話を進める。初対面なのに。
「そうそう。肝心な事を聞き忘れるところでした。ヴィグさん、ソフィア様に会いましたか?」
突然バータル様に問われ、ただ首を振る。
姉様の事を聞かれると思ってなかってので、驚いて固まる。何でそんな事を聞くんだろう。
「似た者姉弟ですねぇ。まだ舞の装束だし、会ってないとは思いましたが。ダワ様、休息を彼らに与えて頂いてもよろしいでしょうか。我等長の奥方が、厨房で皆様の夜食を用意しております」
「あー、成る程! これは失敬! 気が回らずに申し訳ない! 」
ペチンと額を叩いたダワ様が、天を仰ぎ笑った。
「二人とも、ここはいいから夜食を頂きに行ってらっしゃい」
「え、あの」
「ヴィグくんをこれ以上働かせては、アスラン殿に怒られてしまう」
「いや、あの」
「御姉様に宜しく伝えておいて下さいね」
「ヴィグ、ほら行こうっ」
「スレン、頼んだよ」
いつの間に控えてたスレンとシィウメイまで僕を強引に引き摺り始める。形だけの礼をして、モルカンさんに手を振られ、されるがままに走り出す。
松明の照らす天幕と天幕の間を、風に運ばれるご飯の香りに誘われる様に。
「お前さ、最初に言えよ」
「何がさ」
「まだ家族に顔見せてないってさ」
言えるわけないし、会わせられるわけないじゃん。
シィウメイの言葉に、言い返す文句が喉の奥で唸る。顔を、見せる訳にはいかない。
自分の結婚で居場所がなくなった僕と、姉様はどんな気持ちで会うのか考えたら苦しい。クマリへ行くことは、反対されたし。そんな僕が、どんな顔して会えばいいんだろ。
「ソフィア様、心配してたぞ。これ以上心配させたら、アスラン様がぶちギレるから仲直りしろ」
「別に喧嘩してる訳じゃないし」
「家族は大事にしなかんっ」
「とにかくほら! 」
一際賑やかな天幕の前に、スレンに引っ張られシィウメイに背中を押されて、二人揃って「オレ達は食ってるからな」と厨房兼食堂の天幕の中に入ってしまう。
置いてきぼりの僕は、ただ立ち尽くす。耳元で鳴った耳飾りの音で顔を上げれば、その先に懐かしい人影が見えた。竈や松明の灯りに照らされて、くるくると立ち働く懐かしい後ろ姿に、目を奪われる。
直ぐに分かった。姉様だ。姉様が、そこにいる。
僕と同じ銀の髪を結い上げて、既婚の髪型にしている。細い首に、時折光る銀色のアレは義兄からの贈り物だろう。
身に付けた装束、装飾品、まさに若奥様に相応しく可愛らしく美しく上品で、これを自然に着こなしている姉様はやっぱり美人だと嬉しくもあり。
でも。
あんなに細かった?
姉様。ソフィア姉様。
「ソフィア、姉様」
大声で呼べず、ただ口にした。
でも、たったそれだけで、姉様はゆっくりと振り返った。長い睫毛に縁取られた紫の瞳が見開かれる。
ああ、痩せたな。
姉様に負わせた孤独を、重荷を、悲しみを、僕は思い知った。僕の未熟で身勝手な考えと行動で、背負わせてしまった負担を、思い知った。
次回ですが、家の用事で忙しいので、一週余分に開けて
3月23日 水曜日 更新予定です。
宜しくお願いします。