ヴィグの近習見習い日誌 14
それまでの義兄と雪梟との言い合いを消してしまう程のどよめきに、臥せていた顔を上げてしまう。
上座のミンツゥ様が微かに頷き、横に侍っていたシンハがゆっくりとした動きで近づいてくる。どよめきは、シンハの動きとともに鎮まった。
ゆっくり尻尾を振り、全ての視線を集め、全ての生き物を平伏させる、美しい金色の玉獣。
ぐるりと僕らの周りを回り、僕の顔をベロンと舐めた。濡れた鼻先がくっついて、思わず抱きついた。日向の匂いを胸一杯に吸い込む。
「 ヴィグ、よく頑張ったな 」
囁かれたシンハの優しい声に、金色の毛の中で頷く。まるでハルキ様に褒められたようだ。
「この玉獣は聖下の双子星。我らクマリの民にとって、双子星とは魂の絆で結ばれた己自身。この事がどういう事か、お分かりになりますか?」
ミンツゥ様の言葉に、風も止まった。
「聖下はこの優秀な青年を信頼しております。彼を通し、青の民に想いを寄せております。でなければ、聖下の双子星がこのように懐くことはない」
そ、そうなの? 初めて聞いたんですけど。
大真面目な顔でミンツゥ様が言い切り、立ち上がる。謁見の間の時みたいな、堂々とした振る舞い。
「クマリは青の民の善き友となるべく、ここに来ました。精霊を信じる同志として、隣国の貴殿方の手を繋ぎたい。先の戦で荒れ地となったクマリに、最初に手をさしのべて下さったのは、青の民。我らはその事を忘れてはおりません」
そうだったか? ただ単に交易でクマリに行ったんじゃないのか? クマリを援助した話なんて聞いたことない。
僕はそう思ったけど、場の雰囲気はどんどん盛り上がっていく。誰もが息を飲んでミンツゥ様の言葉に耳を傾けているのを感じる。
不安に捕らわれていた場の流れは、いつの間にか高揚した前向きな雰囲気に変わっていた。
「聖下がこのように信頼を寄せてくれていたとは、望外の喜びだ。精霊と共に草原を駆ける我らにとってこれ以上の名誉はない。皆のもの、クマリと手をとり友好を結ぶ事に異論はないであろう? 」
義兄の言葉が、場の感情を切る。
一斉に飛び上がるように立ち上がり、誰もが雄叫びを上げた。手を振り上げ、足を踏み鳴らし、地響きをおこす。
何なんだこれ。なんだこれは!
衝動に突き動かされるように、皆が拳を上げてクマリとの友好を叫んでいる。
隣のシィウメイも、唖然として回りを見渡している。上座への礼儀とか、そういうの全部吹き飛んで半開きの口のままだ。
「貴様……っ! 長になったからと勝手な事をっ! 」
「勝手ですかな。皆、クマリと手を結ぶ事を喜んでるようですが? 」
耳をつんざくような歓声の中、雪梟の長が震えていた。真っ直ぐに義兄を睨み付けて震えている。
「クマリは双頭鷹を滅ぼしたのだぞ! こやつらは、我らの氏族一つを滅ぼしたのだ! 何故に大狼はクマリに加担するのだ! 」
「逆に聞きたいですな。何故に雪梟は、あの日に限って十字街道を離れたのですか」
青の民は街道を離れることはしない。
守護する街道を離れるのは、家畜の放牧地を替える、季節の節分の期間だけだ。あの日はまだ秋の中日。絶対にあり得ない行動。
そして西北十字街道は、双頭鷹と雪梟の領地が重なり守護する街道。
雪梟は、エアシュティマス様の大竜巻を事前に知ってた? いや、何か起きると知っていたから、移動したのか?
雪梟は、何かした? 何か知っている?
この場にいる各氏族長達が、喧騒の中で二人のやり取りを見詰めている。息すら潜めて。
そして、恐らく事前に幾つか知らされているだろう上座後ろに控えたクマリの役人も、耳をたてて。
「聖下は、送られた精霊を反復されただけだそうだ。つまり、先に手を出したのは双頭鷹になる。そして、例えその話が間違いであったとしても、腑に落ちぬ事がある。呪を使うなら、土依り代を用意したはずだが、双頭鷹は集落全体が竜巻に襲われていた。生き残りの者に話を聞いても、現場を見聞した者の話でも、全体がやられている。どうにも、不可解と思いませぬか? 」
呪術で動いた精霊は、反復されれば命じた人に呪術を返す。自分が送った精霊に襲われる事を防ぐために、呪術を行う時は身代りを用意するのが当たり前だ。僕らは家族のように大事に育てる羊や馬達をも護るために、家畜全ての土依り代も用意する。だから集落全てが襲われるなんて、確かにおかしな話だ。
あのエアシュティマス様の事だから、つい倍返ししたとか考えてたけど、土依り代が準備されていたら、倍返しだろうと依り代として作った土人形が粉砕か、遥か彼方に吹き飛ばされれば済む。集落全てが竜巻に襲われるなんて……。
まるで、家畜達の事すら案じてないような不自然さ。
「……何が、言いたいのだ」
「最近、十字街道で雲水達をよく見かける。ただそれだけですよ」
朗らかな笑みを浮かべ、朗々とよく通る声が上座に広がる。その瞬間、歓声さえ遠くなる。
深淵の神殿からやってくる流浪の神官、雲水。この宴の場に、最も異質な言葉。
ヒヤリと冷たい風が首を撫でた。
有り得ない単語が響き、上座の誰もが顔を強張り固めた。ただ雪梟の者達だけが震え出す。長と上座を何度も見て震え出す。
それを一瞥し、義兄は上座に並ぶ各氏族長を見渡した。低く響く声が宣言する。
「さあ、大狼はクマリと手をとる。皆さんは如何する」
「……我ら岩熊、同じくクマリと手をとりましょう。大狼と共に進みましょうぞ」
「お、おぅ! 氷狐も同じく! 」
「我ら兎岳もだ! 我ら大狼と共に! 」
間を空けずに、次々と声が上がる。雄叫びのような賛同に、満足げに頷く義兄。
なんてこった!
この人、たった今、クマリの威光を使って各氏族長の支持を取り付けた! ハルキ様の、エアシュティマス様が見せつけた恐怖を使って、青の民の外交姿勢を固めやがった!
長達は口々にクマリと大狼を誉め称え、その栄光を唄い出す。それを背景に、雪梟の氏族のみが足早に会場を去っていく。
あぁ、これで決まった。
大狼の氏族が、青の民族長が前代未聞の決定力を持ち、他国との交流を圧倒的多数の支持を持って公に決定した。のんびりした高原の歴史で初めての事を、目撃してしまった。
なんてことだ。
驚嘆なのか、感動なのか、恐れなのか、よく解らない感情でため息が溢れる。でも、とりあえず分かったのは、これで懸念は終了。万事解決、ということかな。深淵の神殿が出てきたのは驚いたけど、僕の出来ることは終わった。
騒がしくなった宴の場を眺めて肩を撫で下ろす。さて、下がってご馳走を食べようかな。
「さぁ、会議がこっから始まるぜ」
「ひゃあ?! 」
「ぅわ! 」
耳元で囁かれて、シィウメイと妙な声で飛び上がる。シンハも背中の毛を逆立てた。
いつの間に、僕らの背後にモルカンさんがいる。この人、わざと耳元で囁いたに違いない。シィウメイは大きな目を更に見開いてる。さっきの下人の服ではなく、紺に染め上げた近衛隊の服をピシッと着こなしている。
「二人とも、これで終わったとか思ってないだろな。こっから政は始まるんだ。ほれ、行くぞ」
「モルカンさん、行くって何処へですか」
「宴だよ。鬼のど真中に行って勉強しろってさ」
相変わらず足音たてないで歩き出すモルカンさんを、シィウメイと二人で小走りに追いかける。その先にはダワ様が上座の端で微笑んで手招きしてた。
「これ以上何が始まるんだよぉ」
半分泣きそうなシィウメイの言葉に、頷く。本当に何があるんだ。
次回 3月2日 水曜日に更新予定です。
いやー、ハーフタイムショウ、豪華でバブリー。なんか、マスクしてた観客とか少なかったし。以前のスタイルでゴージャス演出。凄かったー満足。
なかなかソフィア姉様が登場出来ない……。もう少しの予定です。おかしいな、何か長くなってしまってます。すみません、何とか描いていきますね。