ヴィグの近習見習い日誌 11
昼を過ぎると、高原に冷たい風が吹き出した。といっても晩秋の晴れた日だ。冬に比べれば、凌ぎやすい。さらにストーブが焚かれた天幕の中は春のように暖かい。はずなんだけど、この天幕の空気は冷えきっていた。
「まさか、こんな事になってるとは。ヴィグ、双頭鷹の氏族ってのは、大きいのかい? 」
舌打ちでもしそうなサンギ様の言葉に、茶をいれながら頷く。これから喋る言葉は、今回の条約は勿論、クマリの施政に影響を与える。気を付けて、よく考えて言葉を選ばなくては。急須にお湯を注ぎ入れ、茶葉が踊るのを眺めなら、スレンの顔を思い出す。大丈夫。
「青の民では族長は、各氏族長の話し合いで決まります。クマリの方と違って、族長というのは、単に高原の守護者という感覚ですね。とりわけ大きな権限が有るわけではなく、例えば氏族同士の揉め事の仲裁をしたりとか。ハルキ様が以前仰有った『各氏族に自治権がある集合体』というのが正確な表現だと思います。大狼と双頭鷹は族長の座を交互に務めてる大きな氏族で、二つの違いは……そうですね」
茶碗を並べ、軽く湯を注ぐ。温まった加減を見る余裕もなく、手が覚えてるままに動いて湯を捨てて。ヒラヒラと、まるで自分の手ではないみたいだ。
「大狼は、武勇に長けます。顔も広く他の氏族と婚姻を深めて交遊を広げてます。街道の外を移動する時も、他の氏族と事前に話を通して領土を通ります。いざこざや衝突は殆ど起こしません」
急須から茶を注げば、芳香が漂う。本当に上質の茶葉だ。細かな気配りは、こんなところにも表れている。でも、これはクマリに恐れおののいている証拠だった。
「双頭鷹も武芸に秀でた一族です。流鏑馬では名手を多く輩出してます。術師も多いですね。勇猛果敢で、唄い手も多い。才能溢れた一族です。だからこそ、大狼の氏族と張り合う場面が多いんでしょうね。僕のとこは、そういう争いとか無縁な生活してたから詳しく知りませんが」
一旦、言葉を止める。僕の判断を入れてはいけない。必要とされてるのは、僕の知っている事柄だけ。事実だけ。
何度も言い聞かせている事を、もう一度心で復唱してから口を開く。
「各氏族が集まる夏至の大祭は、僕も何度か参加してますが、大狼と双頭鷹の若い衆は祭で、必ずケンカしてました」
ため息が天幕の中に溢れる。お茶を配り、最後にミンツゥ様の後ろに控える。シンハも僕の横に座り直し、大あくび。人間の憂い事など、我関せず。
「双頭鷹が壊滅とは、具体的に被害はどのぐらいか知ってるかな?」
「ゆ、知り合いが言うに、生き残ったのは若い衆が少し、と。見たことのない大きな竜巻に襲われたそうで、家畜の世話で天幕から離れていた者のみが生き残ったそうです」
スレンは友達、と言い切っていいのか迷って知り合いと言った。その事が自分の心をチクリと刺す。いや、今はそんな場合じゃない。顔をあげてダワ様を見て報告を続ける。
「生き残った者を大狼が保護して詳しく事情を聞いているそうです。まだクマリにどれ程の術をかけたかは、少なくとも知り合いは知らないと言ってます」
「その知り合いというのは、どんな立場の人かな?」
「義兄の側近の弟です。先ほどの謁見で左手に控えていた髷を切ったばかりの若い男性の弟になります」
「その知り合いのお兄さん、髷を切ったばかりなら、家を継いだばかりかな?」
「春に。でも、それ以前から父親の側で義兄の補佐をしていました」
「なるほど。信頼のおける情報のようですね」
「いやいや。一応別の筋からも聞いてみよう。ちょいと勝手しますよ」
ツワン様がミンツゥ様に軽く会釈して天幕の外へ顔を出す。戻ってきたツワン様の後ろには、ひょろりとした下人がいた。顔を伏せて側に控えるその姿に、何か見覚えある感じがする。
「アスラン殿が保護した双頭鷹の話を探ってくれ。最近、竜巻に襲われて一族の殆どが失くなったらしいが、その真偽が知りたい」
「畏まりました」
「あと、若い側近の評判も調べてくれ。どちらも夕刻の宴迄にだ。ヴィグ、名前は? 」
「バータル、です。ツァー・バータル・ゲリエル。弟はスレン」
「だそうだ。出来るな」
「お任せを」
短く返答して顔をあげた。
「仕事だから、調べさせてもらうよ。悪いな」
「モルカンさん?! 」
雲上殿でハルキ様の側にいると思っていたのに、何でここにいるのか。
人の良さそうな笑顔を浮かべてスルリと天幕から出てしまった。丸めた背中を見送りながら思い出す。近衛第三小隊は、内密の仕事。相手の懐に入って情報を集めるということは、つまり、こういう事だったんだ。ヒヤリとしたものが胸から腹へと落ちていく。
「で、どうするか……よね」
長く深いため息をして、ミンツゥ様が後ろにひっくり返る。綺麗な正装を身につけた体は、たくさんのクッションに受け止められた。
艶やかな髪が広がり、眉間にシワが寄り、紅を塗ったふっくらとした唇をつき出す。
「もし、ヴィグの話が本当なら、青の民はこちらを警戒したまま話なんて進まないわ。道理で会話が止まりがちの筈よね」
「神経質なぐらい細やかに気を使ってたのも、そういう訳ですな」
「さても厄介な事ですね。期限内で話し合いが出来るかどうか」
「出来るかどうか、じゃない。やるのよ」
ダワ様の言葉を強く訂正して、弾むように起き上がった。
「ハルキは李薗帝国への内政干渉を始めるって、断言したわ。やるなら農民に時間のある冬の農閑期に動くと以前から言ってた。なら、時間はない。早く後方の憂いは無くしたいはず。青の民が守る街道は必ずクマリが押さえないといけない場所でしょ。今回の会談で国境の決定と不可侵条約に向けて交渉継続を約束させるのは最小限必須なの。ここは譲れないわ」
「しかし」
「やるの。やるしかないの」
青い瞳が、力強く前を見据えた。ハルキ様とよく似た、青い瞳。後継者という重責を背負った背中を伸ばして。
「何か手があるはずよ。こういう時、商人ならどうするの? 」
「そりゃ、相手が萎縮してたら、こちらは下手にでるさ。威圧的にすれば、本音も言えないからね」
「しかし国の付き合いでは、そうはいかんだろう」
「だわな。そこがねぇ、元商人の私じゃあ分からないんだよ。ダワさん、何とか知恵はないかい?」
サンギ様の言葉に返事をせず、床の一点を睨んだままのダワ様が唸る。何度も顎を撫で、眉間を撫で、特大のため息と共に顔をあげた。
細面の顔が、渋っている。刻まれた眉間のシワは深い。
「手が無いわけではない、ですけどね」
「何?」
「古典的な手法ですが、時間も所持品も限られる中で出せる方法はこれぐらいですが」
「だから何?」
「少々、一芝居をしなければなりません」
「だから、何をすればいいの?! 」
焦れたミンツゥ様と向かい合ったダワ様が、視線を後ろに反らした。僕を見てる。
「今からヴィグくんには覚悟を決めてもらわなければいけません」
いつも穏やかに微笑んでるダワ様が、真顔で頭を下げた。誰とでも穏やかに、見習いの僕にさえ言葉を気さくにかけて下さるダワ様が、頭を下げている。だから、考えるよりも先に体が動いてた。座り直し、手を添え、深く身を伏せた。僕で出来ることがあるのなら、喜んでやろう。僕で役に立つことがあるのなら、喜んでやろう。溢れた気持ちが、体を動かしていた。
天幕の中央に置かれた焚かれたストーブは、明々と燃えている。のに、僕の指先はどんどん冷えていく。震えていく。身につけた装束はかつて着慣れた毛織物なのに、肌触りがチクチクする。すっかりクマリの綿に慣れてしまったのだろうか。
「もう一回、手合わせしとこうか? 」
「うん、その、ちょっと待って」
「これ以上、茶を飲むと手洗いに行きたくなるから止めとけ」
「うん、うん、分かってる」
「なぁ、お前、ホントに大丈夫か? 」
「大丈夫な訳ないじゃん! この状況で大丈夫な訳ないじゃん! 」
ダワ様の出した、青の民の誤解を解く手段は、まるでお伽噺のような手段だ。
つまり、新しく共同作業をする型を面前で行う。限られた持ち物と時間で表現して実行出来るものとして、クマリと青の民に古くから伝わる共通の舞を舞うというもの。演目は一対の精霊が永久の子孫繁栄を唄う『高砂』だ。それをクマリの者がクマリの装束を纏って、もう一対の精霊役は青の民の装束を纏って舞うというものだ。二つの民族が末長く繁栄するように祈る型になる。
理屈も、道理も分かる。
青の民出身の僕が舞うから意味あるものになるのも分かるけど、重責過ぎる。
僕は、確かに青の民から、クマリの官僚見習いになった。もう、クマリ側の人だ。その自覚はある。でも、青の民であった自分も心にいる。
ダワ様の気持ちを受けて、確かに「僕に出来ることならば」と思った。けど、受けたけれども。
僕は、自分がどの気持ちで舞えばいいか分からない。
明けましておめでとうございます。
慌ただしい日常が戻ってまいりました。まだ松の内ですが、忙しい日々になりますね。ほんの一瞬ですが、これが清涼剤になればいいなぁ。
亀の歩みですが、今年も『見下ろすループは青』をよろしくお願いいたします。
次回は1月19日水曜日 更新予定です。