ヴィグの近習見習い日誌 7
「まぁね、こういう時は茶でも飲みましょうよ。はい、そんなシケた顔しとらんと」
軽やかなエリドゥ訛りで、大きなお盆に茶碗、大きなヤカンを持ってきたラビィさん。遅れてきたのは、お茶を用意してくれてたからだったらしい。まだ湯気が立ち上るヤカンからお茶を注ぎ、配り始める。
それ、一番下っ端の僕の仕事だ! 慌てて立ち上がろうとした途端、シンハに「座ってろ」と前足で服の裾を踏まれてしまう。
「ヴィグくん聞いたよー。ハルキ様の、あの中の人と大変だったんだろ! 分かるわー。本っ当にあの人我が儘だし」
「知ってるんですか?!」
「知ってるも何も、オレも会ったし。この場にいる人は全員振り回されとるし。ほら、まずは茶ぁ飲んで落ち着け」
「振り回して悪かったとは思ってるよ」
「あはは。思って下さってるんなら、これ以上しょげた顔せんと。ハルキ様もほら、気分変えて」
恐れ多くも聖下に軽口叩きながらラビィさんは手際よく、お茶碗を二つ渡してくれた。まずはハルキ様にと渡すが、熱くて落としそう。あちち。お盆にのせてとか、そういうお行儀の良い方法ではなく、熱々なお茶碗を直接手に渡していく。一応、上座の役回りの人から渡しているようだけど、その乱暴な渡し方にミンツゥ様は盛大に文句を言う。が、ラビィさんは、何を言われても笑顔で聞き流してるから、この人スゴイ。重い雰囲気だった部屋も、お茶を持ってきた途端に朗らかな空気に変えてしまった。
小隊所属、だったはず。でもテンジンさん達みたいな、素破っぽさがない。時々、聖下に頼まれた内密の仕事とかで、ふらりと出掛けてる。帰ってきたら、奥の宮で僕やハンナさんと侍従の仕事の助っ人してくれるし。ミンツゥ様にちょっかいだして口ケンカしたりしてるし。人懐っこくて、よく笑って、優しくて、不思議な人だ。
「ヴィグは、こういう状況なのに、よぉ落ち着いてるね。仕えてた主人に、もう一人の人がいたってのに」
お茶を配り終えて、ラビィさんは僕の隣で胡座をかいてお茶を啜る。「無作法!」とミンツゥ様の小言が飛んできても、気にもしない。
その鋼の心臓っぷりを見習いたい。そう、多分、僕は落ち着いてるんじゃなくて。
「理解が追い付いてないだけだと思います。あと、最初にハルキ様を見たときがエアシュティマス様の時だったから、こういう二面性があるのかなぁ、と」
最終選抜試験の時の、誰よりも支配者らしい顔は、エアシュティマス様の顔だということ。笑顔で朗らかな顔は、ハルキ様本来のものだったということ。そういう事だ。
「でも、ナキア妃の時は見たことないです。僕だけですか?」
「表に出てきたのはエアシュティマスだけ。ナキアは、基本表に出てこないよ。意思がないんだ。だからこれからも表に出てくることはないよ」
フウフウと、お茶を冷ましながら普段は慎重に話すハルキ様が断言した。
「ナキアは、タシとエアシュティマスが心配なんだ。だから、オレの中にいるだけ。でも、……いや、不確かなことは言うべきじゃないな」
「なんや途中でやめはって。ここまで話したんや。ぜーんぶ話し?」
「大師、いつも「憶測で喋るのはあかん」って言うじゃないですか」
「そうやな。でも気になるわ」
「憶測になりますから」
「憶測でもえぇで。皆も聞きたいやろ」
「興味ありますね」
仕事以外は物静かなダワ様の間髪入れない声に、全員が笑う。さすが『クマリの生き字引』『歩く好奇心』とカムパ様が言ってただけある。
「ダワに言われたらしょうがないや」
その言葉にダワ様は照れてるが、目は好奇心で溢れてる。
続きを催促するような視線が集まり、ハルキ様は小さく笑った。
「オレのいた世界にはさ、魂魄って考えがあってね。魂と魄」
うろ覚えだから間違ってるかも、と言いながら慎重に言葉を重ねていく。
初めて聞く異世界の話。
「人には魂があって何度も生まれ変わる…その考えは不思議なことに、こっちの世界と同じ。で、その魂魄と言うべきものは人の魂なんだけど、二つのものが組合わさってる。魂は、その人自身の心…というのかな? 意識をもってる『自分』というもので。魄は、それ以外のものになるんだけど……何て例えようかな」
手の中のお茶碗を包み、フゥーと息を吹きかけて湯気を揺らす。揺らぐ湯気を眺めながら。
「悲しいとさ、心の奥が痛むだろ? 嬉しいとホカホカするし、愛しいときは温かなものが溢れる…強いて言えば、そこのそれが魄だと思う。ナキアは、魄に溶け込んでる感覚なんだ。だから表の意識の所に出てこない。深く自問したときに、囁くような…唄が聞こえてくるような、そんな感じ……なんだけど」
伝わってるのを確かめるように、皆の顔を見渡す。当然というか、初めて聞く話に反応出来ない。リュウ大師だけが、髭をさすりさすり首をかしげた。
「その魄いうんは、『星の一雫』のことやろな」
「星の一雫、とは?」
「サイイドにも話したこと、なかったかいな」
「私も初めて聞く言葉ですわ。師範、それ何ですか?」
深淵の神殿に伝わってる事なのか、サイイドさんとヨハンさんとハンナさんが促すと大師が宙を睨んだ。
「古い記録に、そんなん書いてあってな。持ち出し禁止のとこのな。人は何処から来るのか、そんな問答や」
「何処から来るのか……」
「そや。死んだら何処行って、何処から生まれるんかっていう、問答や」
「死んだら、河の向こう。産まれるのは母ちゃんの腹からやん?」
ラビィさんの即答に大師が声をあげて笑った。細い目が楽しそう。
「そうやな。母ちゃんの腹から産まれるん。その母ちゃんの腹にやって来る魂は何処から来たか。ラビィ、何処や思う?」
「え? そう、だなぁ」
大きな目が、暫し天井を見上げて、ふと何か思い出したように動かなくなる。ぽつり、呟いた。
「奥底の、青い光……? 水の底の、深い青い中の、何か?」
「……何で、そう思うん?」
「エリドゥの河船頭してた時、よく見てた水底に青があるん。船の底板一枚はさんで、上の俺は生きてるし、水の底に沈んだら死ぬし。だから、その、死んだら河の向こうっていうのは、水底の青い光の中にいくのかなって、何となく。何か、曖昧やなぁ。うーん、難しいわ」
最後はニカッと笑ったが、周りの大人は皆真剣な顔のまま動かない。え、何、変なこと言った?と、僕の方をみるラビィさん。いや、僕に聞かれても分かんない。
「たまげたわ……それが深淵の神殿の名の由来や。水底の青い光は、全ての神の父エリを現すん。この星の源。神様の御心」
「『深淵を覗き青い光を見つめよ。それこそ命の煌。全智の青』……ですか? 讃美歌の一節の言葉が、そんな意味があったなんて」
「そや。その青い光の一雫から人は生まれる、されとる。ラビィ、お前さんはそれを自分で感じたんやな。不思議な子やなぁ」
リュウ大師は、嬉しそうに微笑んだ。
「死んだら水底の青い光に還って、星の一雫を頂いて生まれ変わるんや。みぃんな、星の一雫を頂いて胸に抱いてな。それが、同じ生き物の中でも人間だけが人間である理由。泣けば痛むし嬉しければ温もりが生まれる。互いを愛しむ感情もある。そこに溶け込んどるナキア様は、星の一雫になったんかもしれへんな」
難しくてよくわからない。
「難しい話になったけど、要するに表にでてくるのはエアシュティマス様ってことなのよね」
「まぁ。イライラしたり、嫌な事思い出した時とかね……。でも、エアシュティマスはラビィやヴィグを気に入ってたから、対応に困ったら二人に任せればいいんじゃない?」
「冗談じゃない! ミンツゥ、お前完全に他人事だと思っとるやろ! ハルキ様まで恐ろしい事をっ」
「そうですよ! もう、最初は無茶苦茶怖かったんですからっ」
「でも、二人相手に無茶ぶりはないよ。二人はエアシュティマスお気に入りの『器』だからね」
ニッコリ笑ったハルキ様から、また謎の言葉が出てくる。
「なんや、ラビィ坊まで『器』なんか」
「そりゃ安心してエアシュティマス様をお任せ出来ますな」
「『器』が揃うなんて、そないな事があるんやねぇ」
口々に勝手に安堵してく重鎮達に、ラビィさんと俺は文句言おうにも言葉が出てこない。知らないことで状況が進んでいく。とんでもない事に巻き込まれたくないけど、既に時遅しなのか。
血の気の引いた顔を見合せてると、後ろからぽんぽんと頭を撫でられる。
「大丈夫。何とかなるよ。さて、今のうちにエアシュティマス対策しとこ。俺が寝てる間に随分と勝手をしてくれたみたいだからね」
振り返ると、ハルキ様が手に持ったお茶碗を渡してきた。受け取りつつ、見上げた顔は引き締まって強い視線で部屋を見渡す。
あ、何かやる気だ。本気で仕事するときの目だ。
察した皆が、静まり返る。
そしてとんでもない発言をした。
「懸念してた後李の玄恒から連絡が途絶えてる。エアシュティマスも本気だし、ここは後李帝国へ遠慮なく内政干渉していく。その上で、新生クマリは青の民との不可侵条約を早々に締結しようと思う。各々の分野から知恵を貸してほしい」
寝台の下から手紙を取り出した。青い蜜蝋の封には、狼の紋章が刻まれていた。青の民の長のみが使える印。義兄からの手紙を、何故ハルキ様が持ってるの?
補足
魂魄について、ハルキに喋らせましたが、宗教とかオカルトとかは関係ないです。昔に読んだ古神道の記述を思い出して「設定で使えるかもー」程度の考えです。うろ覚えで適当です。
あまり設定を書くのもなんですが、書いとかないと後々困るかなぁとか、迷いつつ書きました。
次回 11月17日水曜日 更新予定です。
また隔週ですが、よろしくお願いします。
追加
書き足りない部分があったので、急遽書き足しました。失礼しました。
11.16