ヴィグの近習見習い日誌 6
高原を流れ住む遊牧民族の僕が育った家は、天幕。たまに寄る後李帝国の街は石を積み上げたり土壁の家。エリドゥの街は日干し煉瓦を積み上げた家。
幼い自分は異国の家を眺めて、どうやら異国の街には高原とは違う暮しがあると理解した時には、クラクラした。
街は貨幣が全てで、社会的地位が全てで、それによって生活の差が大きい事は、高原で家畜を追って一族で生活する僕が理解するのは難しい事だった。何で、ご飯食べれない人がいるのか。何で、住む家や場所や着るものも、違うのか。
そりゃ、青の民だって貧富はある。両親が早くに死んだ俺のとこは、家畜の数も少なかった。いわゆる、貧しい家だと思うけど、幾つかの親戚が何かと声をかけて力のいる作業は一緒に出来たから、食うには困らずにやってこれた。服だって、手間はかかるが姉様と日が暮れてから天幕で織った布を縫った。裁縫が得意な姉は、族長の叔父の服の刺繍もしていて、それは丁寧な細工であったけど服自体は華美ではなかった。馬に乗り野を駆ける青の民には、袖や裾の長い服など無用だから。
そして、クマリに来てから何故に青の民には貧富がほぼないのかが解った。移動するのが困難になる程に物は持たない文化だからだ。
そして何より、青の民自体が、小さく貧しいから。国境の存在も曖昧で、高原を親戚単位で移動する生活には、輝くばかりの石で出来た王宮も神殿も必要ない。権威を現す大きな凱旋門もいらない。王族に華美な装飾もいらない。
そうだ。この部屋は天幕の中と、どことなく似ているんだ。住んでた天幕の思い出から、ようやく考えがまとまった。
この部屋、宮の一番エライ人の私室なのに、余分な椅子も場所もない。白い布に包まれた天幕つきの寝台と、壁いっぱいの本棚と、小さな机と椅子。この世界で、一番に清らかな魂で、精霊に愛されて、人々の尊敬を集める人なのに、こんなに飾り気のない質素な部屋で暮らしている。その事に改めて気付く。
「こんなに沢山の人が入ると、流石に窮屈だねぇ」
「そりゃ、ハルキの私室に十人近く入る用事なんか、あり得ないですから」
ミンツゥ様の言葉に、苦笑が幾つも起きる。それなりの広さはあるものの、座る椅子に困るほど大人が集まる必要がない部屋だ。確かに息が詰まりそう。思い立ってバルコニーへの扉を開ける。乾燥した心地好い風が流れ出して、帳を揺らす。風につられたように、星獣が足元にやってくる。
ここに座るのかな。慌てて場所を譲ると、体をぐいぐいと押されてハルキ様の近くへと移動させられた。聖下が寝台に座り、星獣は足元に敷かれた絨毯に座り、ペンペンと前足で「お前はここ」と言われて絨毯の端っこに座らされる。いいのかな? 聖下を振り返ると、笑って頷いたから、お言葉に甘えよう。
これで全員揃ったのだろうか。サンギ様、ミンツゥ様、リンパ様、ダワ様、ツワン様。テンジンさん、ヨハンさんとハンナさん。モルカンさんと、サイイドさん、リュウ大師まで。数少ない椅子に大師とサンギ様、カムパ様が座られ、残りは各々で壁にもたれたり床に座ったり。
「これで、関係者は全員揃ったかな」
「あと、ラビィやな。ちょいとお茶を用意するゆうて、遅れとるわ。ホンマに、これ以上いたら大変やで。何とかこんだけに止めたんやからな」
「すみません。リュウ大師にまでとは、思いませんでした」
「さあ、説明しいや。何が起こっとったん? 」
聖下の側を世話する奥宮を含め、政を決定する雲上殿の主要な大臣も集まり、皆が聖下の言葉を待つ。聖下の何時もの柔らかな笑みが消え、集まる視線の痛みに耐えるように眉をひそめた。
「全部、夢だと思ってたけど、そうだなぁ、何から話せばいいか」
何度もため息をこぼし、言い淀み、何度も手を組み替え、そして背を正し、ゆっくりと話し出した。
「俺の中に、二人の魂があるんだ。男性と女性の魂と、自分の魂が……俺以外に二人の魂があるんだ」
ちょっと、何言ってるか、わからない。
「取り敢えず、男性の魂が、さっきまで俺の中で喋ってた奴で」
「……エアシュティマス様、ですかな?」
リュウ大師の一言で、聖下が勢いよく顔をあげた。何で、そんな悲しそうな顔をされているんだろう。泣きそうだ。
「大師、何で知ってるの……」
「そりゃ、あなた様を吾子と呼んでましたからな」
「あぁ……そっか。そうか」
「ちょっと待ってください、あの、エアシュティマスって、あの創世の術師のエアシュティマスですよね? 僕、さっき、か本人からソンツェと呼べと言われたんですが」
「あぁ、ヴィグにはそう言ってたね。うん、彼はソンツェという名から、エアシュティマスと改名したんだ」
さらりと、聖下が言った言葉の内容が、歴史や常識を引っくり返す機密。
頭を殴られるような衝撃で、俺は口が開いたまま固まる。
それは大人達も同じのようで、声にならない動揺の息が幾つも漏れて、普段声をあげないダワ様が頷いた。
「エアシュティマス様に関することは、もう伝説みたいなもので、確かなことは分かってない。でも、我らクマリの伝承の一つにクマリの昴家出身であると、ソンツェという名が、伝えられてました。まさか伝承通りだったとは、驚きです」
「昴、ソンツェ……本当に、エアシュティマスっていたんだ……」
青の民でも知っている。昴家はクマリ建国から続く名家だ。今は深淵の神殿に囚われた姫宮様が昴家最後の方だったはず。
「我らクマリも、船団の皆さんも、元を辿れば昴家とは縁がある身。他人事ではありませんな」
「サンギ様、その、俺、不勉強で申し訳ないのですが、船団の皆さんも昴家とご縁があるんですか? 」
船団は、貿易を生業にした青の民と同類だと思ってたんだけど、違うの?
自分の知識不足が情けない。でも、分からない事を恐れず聞いてみなければ、この話を理解出来ない。声を上げると、意外にもヨハンさんとハンナさん、サイイドさんも首を傾げていた。
「あんた達が知らなかったのも無理ないよ。秘密にしてた訳じゃないけど、別に言う必要もなかったからね。一応、私達はエアシュティマス様の吾子タシ様の血脈を継いでいるそうだよ。薄っい血になってるだろうけど」
一気に言うと、鼻から長いため息を吐き出した。
「それに、長老達から寝物語で聞いちゃいたけど、当の私達もエアシュティマス様なんて、夢物語の登場人物なんだから。つまり、私達はここ二、三ヶ月ほどエアシュティマス様に会っていたと、そういう訳かい。いやはや……まいったね」
サンギ様の愚痴なのか呟きが、この場に居合わせた人の本心だろう。
伝承を信じていたとしても、それが自分の目の前に実体をもって現れたら、戸惑いもする。
それこそ、夢みてるようだ。
「で、もう一つの魂の女性は誰か、目星はついてるのかい?」
「あぁ、まぁ、その、はい」
サンギ様から目をそらし、ため息を繰り返し、手を組み替え、観念したように告白した。
「多分、ナキア妃かなぁ、と思うんですけど」
一瞬の間が開き、そして盛大などよめき。天井を仰ぎ、顔を覆い、口を開けて放心して、其々が衝撃を受け止めている。えーと、俺は完全に出遅れてしまった。ナキアって誰ですか。
挙動不審気味に視線を彷徨かせると、ミンツゥ様が苦笑いして教えてくれた。
「あのね、ナキアってのは、エアシュティマス様の唯一の妃。四大国へ自らの子を送り出した『始まりの女性』なの。後李帝国の白王家、マリ王国、メロウィン公国、かつてのエリドゥ王国、その四つの血統の始まりの女性。もう、何が何だか解んない!」
怒ったような最後の一言に、ハルキ様が肩を竦めた。まるでイタズラがばれた幼子のようだ。
ストックが厳しいので、少し間をあけます。
次回 11月3日 水曜日(祝日) 更新予定です。