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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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ヴィグの近習見習い日誌 3



 慌ただしく十数人が手に紙の束を抱えて板の間に入ってきた。いつもの朝議とは違う展開に、ざわめく。この部屋は私的な部分の奥宮と公の仕事場との狭間に位置する。ここに入れるのは許可を得た者だけだ。厳重な身辺調査はもちろん、信頼のおける者とされなければ入れない場所。そこに雲上殿という大きな宮の敷地の中で端っこの目立たぬ場所にあったはずの工房からこんなに沢山の人が入ってくるのは珍しい。奥宮への許可証でもある岩小桜が刺繍されたつけ襟は、上役らしき年配者の数人のみ。本当に急ぎ用意された場のようだ。

 

 「ヴィグ、お膳下げてくれるかな」

 「え? 今日もあまり口にしてませんが……」

 「昼にしっかり食べるよ。お茶と、蜜漬けのそれは置いといて。木の実のそれも残りは食べるから」

 

 ひょいと、お膳の上の湯飲みとお茶うけの小皿を持ち上げられてしまう。慌ててお盆を差し出し、脇に揃える。顔は既に工房からの人達に向けられ、いつもの穏やかな目元は鋭さを帯びている。そうなるとこちらの言葉は耳に入っていない。頭の中で猛烈な速さで何か考えている何時もの姿。

 仕方ない。殆ど手のつけられなかったお膳は、勿体ないから僕が頂くとして。手早くお湯やお茶の予備を後ろに準備しながら、お膳を持って後方へ控える。他の侍従や部下の方々も、期待や不可解さをまぜこぜにした顔をずらりと並び揃える。何が始まるんだろう。


 「工房の皆も朝議に来た皆も、急なことで驚かせたね。今回は、新しい試みを見てもらおうと思って、ここに集まってもらいました」

 

 丁寧な語り口で静かに、聖下の声が広間に響く。賑やかな朝議の雰囲気が一変した。


 「以前から気になっていたのだけど、朝議での通達方法を正確に速くしてみたくて考えてたことがある。この朝議の時間に決まった方針や考えを、今は控えの人に書き留めてもらって各省に持ち帰ってるけども、それでは各省で僅かな擦れ違いが起きることがある。現に先日は書き写した農地の記録の間違いから、収穫高の計算にズレが出てしまった。連絡で伝える時に間違いは起こってしまう。勿論、今までの伝達方法も間違いではない。ただ、他にも方法があれば試してみたい」


 あ、こないだリンパ殿とタワ殿がサンギ殿呼んで頭抱えてた件だ。持ち寄った資料を互いに書きうつして、来年度の税収を大雑把に予測してみようとなった話。各省の貸出禁止の資料の数字を書き写して各々計算しようと試みたら、大元の数字を書き間違えて何だかおかしな結果が出てしまって発覚したんだ。気をつけても、こういうことは起こりうる。まして、ここから大きくなる組織では、起こりやすい失敗。けど

、起きてはいけない失敗。親戚一族単位で商売する青の民では起こりえない。クマリみたいな一国という大所帯は大変だなぁと、後方から覗いてた記憶を思い出す。お偉いさん達で頭抱えてたな。


 「だから、僅かな手間と時間で沢山の事を共有して、それを正確に記録出来る手段があればいいなと考えて、工房に『ガリ版』印刷を造ってもらったんだ。あぁ、その、『ガリ版』ってのは俺がいた世界の言い方で、此方は何て言うのかな。その説明は、うん、専門家に任せた。宜しく」


 聞き慣れない単語に場がざわめき、何だか小難しくなった所で聖下は肝心要の説明を工房の責任者に丸投げしてしまった。この辺り、本当に大雑把というか、よく言えば部下を信頼してることなんだろうけど。急に会議の主導権を投げ渡された工房の管理職のおじさんは、汗をダラダラ流しながら慣れない視線を集めて喋り始める。こりゃ大変だ。傍観者の僕は、皆の背中を見ながら工房のおじさんを応援する。頑張れー。


 「え、えー、まず、今行われている、皆さんが知っている印刷というのは聖文が書かれた経典や土産物の絵やまあ、黄絵とかですね……いや、失敬!」


 黄絵という言葉に、場から笑いが起きた。何だか隠れるような笑い。非難する言葉は女性から漏れる。黄絵って、何? 隣にやって来たハンナさんを見ると「ヴィグ君はまだ知らんでよろし」とにっこり微笑んだ。思わず答えを求めて視線をさ迷わすと、目かあったモルカンさんが真顔で首をふった。あ、これは触れてはいけない事だな。

 おっほん、とわざとらしく咳をしておじさんは続ける。何だか調子が出できたらしい。


 「主に木板に絵や文字を浮き彫りして、墨を塗って紙に擦り付けて出来上がりとする、あれです。仮に「活版」印刷と呼ばせていただきます。聖下の受け売りですがね。まあ、こんなの見たことありますよね」


 後方の部下から渡された木版を掲げて見せて、講釈を続ける。なるほど。沢山の人に同じ内容を伝える、紙に文字を浮き上がらせるように彫って刷ってる、アレか。神殿の祭文で見たことある。納得。「黄絵の版じゃないのか、それ」という囃し立てる声がした。


 「朝の議題には相応しくない言葉やな」


 反対側に聖下の後ろに控えてたヨハン侍従長が座ってきた。両側を宮一番の美形兄妹に挟まれて、肌に感じる圧力が凄い。この、集中する視線が体を何本も貫く痛みよ。仕事柄、聖下に近い場所で働くから侍従や祐筆を担当してる美形兄妹の横に居ることが多い立ち位置だけど、この圧には未だ慣れない。なのに当の本人達は周囲からの視線は既に慣れなのか、にこやかに微笑みながらお膳にあった揚げパンを僕に渡してくる。


 「阿呆な話は聞かんでええから、今のうちに朝餉食べとき」

 「はぁ」

 「蜂蜜つけると美味しいで。ハンナ、もうちょっと付けてあげ」

 「兄様、ヴィグ君は子どもやないからサモサにしてあげましょ。そんな甘いもんばっか飽きるやろ?」

 

 両脇からにこやかに微笑みながら、目の前のお膳に歯に染みそうなぐらい蜂蜜がかけられた揚げパンや、肉がはみ出そうなほど包まれたサモサが積まれていく。朝から凄いご馳走なのに、手をつけるのが怖い。

これは……ここは触れてはいけない案件なんですね。なにも言わない笑顔が、何だか怖いです、僕。で、黄絵って何。怖いよ、もう。二人からの圧にも負けて、蜂蜜どろどろの揚げパンを咥える。


 「一つの木版があれば、同じものが大量に刷りあげることが出来るのが大きな特徴で、同じ内容の文章を一定の量の紙に書き写したいという今回の問題を解決する為には、印刷が一番です。が、一つの木版を彫るのに時間がかかるのが欠点でもあります。聖下は印刷の準備にかかる時間を極力減らしたいと考えられました」


 再び控えの部下が何かを差し出した。それは木の板ではなく、木枠の何かだった。僅かに蝋の匂いがする。ねっとりとした揚げパンを咀嚼しながら、傍らで何やら準備をしだした工房の人達の動きを目で追う。と、見たことある特徴的な髷が見えた。クマリ特有の真っ黒な髪がボサボサに結われてる、あの髷は見覚えがある。最終選抜で、突然泣き伏して何処か連れてかれてた。何やら事情持ちなのは感じたけど、あれからなにがあったのだろう。

 それでも、だ。彼も合格して、工房に配属されたんだ。誰よりも手を動かし、手際よく先輩方に筆や墨入れを渡していく仕事ぶりに、心の中がもやりとする。良かったと思ってるのに、心にかかった薄曇りは、ひやりと胸の奥を凍らせていく。 

 凄いな。僕と違って、仕事をこなしてる。失敗ばかりの僕とは大違いだ。

 もちゃり、もちゃり、蜜だらけの揚げパンを無理矢理に飲み込んだ。胸につかえて、苦しい。

次回 10月6日 水曜日 更新予定です。

もう、もう、10月……。

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