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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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ヴィグの近習見習い日誌 2



 夜明け前の空気は、季節を先取りして晩秋の気配。肌の奥まで届く冷気が、お盆を持つ手を凍えさせる。盆を持つ手に下げた鉄瓶から立ち上る湯気は僅かな温度を漂わす。今朝の果実の蜜漬けは気に入って下さるだろうか。今日の午前は来客もあって忙しかったはず。少し滋養をつけられた方がいい。そしたらきっと、いつか、寝起きも良くなる。多分。


 「失礼します」


 馴染みになった寝ずの近衛兵に目配せすれば、絶妙な気配りと間合いで扉を開けてくれる。少しはココに慣れてきた。まだ暗い室内の間取りもすっかり頭に入ってるから、明かりを用意しなくても注意深くして動き回れる。手に持った鉄瓶とお盆に気をつけながら、壁際の長椅子にそっと声をかけた。


 「お疲れ様です、モルカンさん」

 「……はようさん。朝かぁ」

 「おはようございます。寝てましたか?」

 「……いや、寝てないし。寝ずの番だし?」


 あくびを噛み殺して伸びをして立ち上がるモルカンは、ひょろりと長い手で僕から鉄瓶を取り上げて先を音もなく歩き出す。無駄のない動きは、武人そのもの。人懐っこい笑顔なのに、街ですれ違ったら気のいいお兄さん風情なのに、他国に潜入して情報を集めたりする近衛第三小隊にいるのだとか。人は見た目では分からない。双子の相手もいて、二人で大活躍とか。人は見た目では分からない。


 「大分冷えてきたねぇ。少し火をおこそうか」

 「モルカンさん、南方から帰ってきたばかりでしたよね。冷えるでしょ?」

 「それは秘密事項。へへへ」


 小声で笑いながら、そっと次の間の寝室へ入る。奥の寝台の小山が僅かに動いた。


 「ハルキ様、おはようございます」

 

 返事がないのは分かってる。が、声はかけ続けていく。


 「よくお休みになれましたか? 今朝はまた冷えますね」

 

 机にお盆を置いて、寝室の窓の帳をまとめ留めていく。窓からうっすら夜明けの光が漏れてきた。さぁ、ここからは時間との勝負。日の出にあわせて起きてもらわないと、この後の予定が圧されてしまう。寝具の小山に向かって喋りかけながら、今度は寝台の帳を留めて強制的に日の光を入れてく。


 「でもいい天気になりそうですよ。風も穏やかだといいですね」

 「服に焚き染める香は何にしますか? 」

 「今日は来客があるんですよね。お茶うけの希望があったら言ってくださいね」

 

 多分、言葉の大部分は聞き流されてる。けど、言葉を取り敢えずかけ続ける。これがハルキ様を起こすコツだと、夏からの数ヶ月で学んだ。

 とにかく、この人……いや、聖下は、寝起きが悪いことこの上ない。日中は山のような仕事をこなし、どんなに忙しくとも周りに気を配る大人だけど、自分が知ってる大人の中でも大人だけど、寝起きが悪すぎる。なかなか起きない上に、ようやく起こしても冬眠から起きた直後の熊みたいになる。動きは鈍く、言葉も意味不明。別人のように不機嫌な顔は青白い。

 こんなに寝起きが悪いと、移動が日常の一部の青の民では生活が出来ない。寝坊で許されるのは、背中におぶってもらえる子どもや赤ちゃんぐらいだ。だからクマリ人ってのはこんなもんなのかと思って、周りのクマリ人達に聞いてみた。「皆さん、寝起きはあんなんですか?」と。今のとこ、聞いた人全員が否定して笑うから、多分この寝起きの悪さは例外中の例外なんだろう。毎朝これで大変だ。

 

 「そろそろサイイドさんがいらっしゃいますよ。起きて下さい」

 「検診の時間になっちゃいますよー。おーい、ハルキ様ー」

 

暖炉の種火を起こしたモルカンさんも応援に来てくれる。それでも寝台の小山は動かない。いつもなら、ボンヤリ寝惚けながらも起き出すのに。

 これは本格的に手強いぞ。どうしよう。

もうすぐ検診担当のサイイドさんがやってくる。大柄で髭を生やした熊っぽい風貌。その表情は分かりにくく、喋る言葉は最低限。薬師としての腕は凄いんだろうけど、僕から見たら薬師というより迫力ある武人。だから、検診時間に起床が終わってないのは、すごく困る。恐いのはやだ。声をかけて、寝台の端っこを引っ張る。気づいて! 起きて!

 

 「ハルキ様起きましょう。検診時間になっちゃいます!」

 「おーい! ホントに時間だってば! 起きろって! 」


 モルカンさんの口調が丁寧語ですらなくなった。どうしよう。思いっきりひっぱたいたら一発で起きるだろうけど、御体に直接触ることは許されない。引っ張たかなくても、せめて肩を揺さぶるとか、寝具を剥ぎ取るとかしたいけど、それも不敬にあたるし。焦りが時間を融かしてく。

 

 「おはようございます。検診に参りました」

 「うわぁあ! 」


 思わず叫んでしまう。控えの間から大きな人影がやってくる。

 起こさなきゃ。でも触ってはいけない。大声でも起きない。でも起こさなきゃいけない。

 どうしよう!

 心臓が跳び跳ねて頭が真っ白になった僕は、寝台横の小机の上にあった呼び鈴を掴んで振り上げる。覚なる上は!


 「起きて下さい!! もう時間です!! 」

 「ぅお! ちょっ、ちょっと! 」

 「やめろ! 」

 

 モルカンさんとサイイドさんの悲鳴のような声を無視して、呼び鈴を思いっきり振り下ろした。盛大に鈴の音を響かし続ける。草原に広がって草を食む羊たちを寄せ集める鐘のごとく、頭上から思いっきり振り続けた。




 「それで起きれたの? 呼び鈴を大振りに鳴らされて? 朝もはよから?  」

 「……お陰さまで」 

 「申し訳ありませんでした! 」

 「それは見たかったなぁ。放牧されるか如くの聖下を」

 「本当に、本っ当に申し訳ありませんでした!」


 爽やかな朝の光が差し込む部屋に、湯気と甘い粥の香りと楽しげな笑い声が広がる。軽い会議と朝餉を兼ねた朝議の部屋には、行政の大臣ら主だった方々が集まっている。私的な奥宮の板張りの広間に円となって座り、御膳で配膳される粥や点心を食しながら顔を合わせて談義をする。日に一度は顔を合わせて意見や通達をしていくという約束事だそうで、違う部署の人達が上下関係も入り乱れて賑やかに会食が進む。日が登り八の刻の何時もの光景だ。

 が、今朝は僕の失態で盛り上がってる。聖下を呼び鈴を鳴らしてド派手に起こすという、前代未聞の珍事をやらかした。故に、朝議で給仕の為に控えている僕にも、好奇の視線が突き刺さる。もう、やだ。さっき給湯しに行ったら、廊下をすれ違った下人が口元隠して走ってったし。笑い声聞こえたし。あぁ、もう、何であんなことしたかなぁ。近衛方のツワン様にお代わりを給仕をしながらモルカンさんが苦笑いして目線を送ってくれた。何度も慰めてくれて、ホントにごめんなさい。ありがとうです。不甲斐ない後輩でごめんなさい。

 耳まで熱くなってしまった。火照った顔をあげると、眉を下げて萎んだ聖下と目があう。「すみません」と囁いて縮こまる。あーもう、聖下にこんな顔させたら近習失格だ。


 「まぁ、聖下の寝起きが悪すぎるんです。もう少し早くお休み下さい」

 「そ、それは努力するけど」

 「努力ではなく、実行を」

 「ごめんなさい……でもさ」

 「実行を」

 「うー、まぁ、はい、早く寝ます……」

 

 一番の年少者であり、聖下の後継者であるミンツゥ様がピシャリと次席からいい放つ。先日成人の御披露目したばかりのミンツゥ様は、左大臣サンギ様の姪だ。大きく少し目尻が上がった深い青の瞳は、聖下と同じで神秘的。すらりとした手足が動けば、その上品な仕草に目を引かれる。微笑む姿を遠目で見てる宮仕えの者達の憧れの対象でもある。が、奥に仕える俺達は度々こんな聖下に物怖じしないで進言するのを見てるから、憧れというより畏怖というか。年相応じゃない怖さがある。 

 その青い瞳が動いて僕を見た。ただ視線が怖くて、反射的に床に平伏してしまった。怖い。自分が怒られるのが怖いだけじゃない。何もかも見通される青い浄眼で自分も覗かない心の奥底まで見られるのが、心底恐ろしい。


 「それよりも、今朝は皆に見せたい物があったのではないですか? 工房方が下に来てましたけど?」

 「あぁ、そうだった! 前に頼んだのが出来たんだよ。食べながらでいいから、皆少し聞いてくれるかな」


 ミンツゥ様から話題を変えられ、聖下の言葉と共に場の雰囲気が変わり板の間がざわついた。

 突き刺さった色々な視線が不意に消えて、肺の底から息を吐き出した。正直、助かった。痛みすら感じる視線から解放されて、頭を上げた。

 


次回 9月29日 水曜日 更新予定です。

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