ヴィクの近習見習い日誌 1
新しいキャラ目線で、新しいクマリのスタートを書き始めてしまいました。最後の(多分)特別編、お楽しみ下さい。
ヴィクの近習見習い日誌
『 今日から聖下の近習見習いとして日誌をつける事になった。教わったことも、記録してこうと思う。
とにかく、覚える事が沢山ある。まずは殿中の地図も頭に入れなくては何も出来ない。
朝の身支度、朝議の間に聖下の寝室の片付け。軽く着替えられて昼餉までに幾つかのお目通り。その側仕えをして、昼餉の支度、また軽く着替えられて、内務の書類手伝い。忙しい時は昼餉も業務をしながらとられるとか。信じられない忙しさだ。
ただ私は勘定方の試験を受けに来たつもりだったが、名誉ある近習見習いとしてお仕えする事になった。戸惑いはあるが、精一杯に勤めると誓う。
明日から早朝よりお仕えしなければならない。今日はここまでにする。』
「最終選別を行うので、名を呼ばれた者はこちらの部屋で待機するよう」
そう言われ、命じられるままに奥の部屋に通されたのは20名ほどだろうか。僕以外はみんな賢そうで、年上で、強そうだ。
どうしよう。最終選別って、何をするんだろう。昨日の筆記試験は多分出来たはず。でも今日の実技試験の棒術も体術も、この部屋の中では底辺なのは明確だ。馬術と弓術だって、一族の中でも群を抜いてドンクサイ自覚はある。生まれた時から馬上で過ごす『青の民』だから、鈍い僕でも何とか人並みに習得出来ただけで、僕自身は算術や学問以外に秀でるモノはない。それは重々分かってる。でも、頑張らなきゃ。異国だけど、僕自身の力を活かせる場所で大きな成果を出さなくては!
前を向け。胸を張れ。名を汚すな。
唇を噛み締めて前を睨んだ。耳元で姉様からの耳飾りが、リンと鳴った。
「全員そのまま」
背後の入り口から一声が掛けられ、部屋の空気が変わる。質量を持ったように、高原の雪に触れたように、凛と引き締まる。誰の声?
「これより最終選別を行う。座ったまま前方を見ているよう。声をあげてはならぬ。質問も許さぬ。こちらから問いかけるまで、そのままだ」
男性の鋭い声に、誰一人身動きしない。いや、出来なかった。僅かな衣擦れの音と足音が複数。四人……いや、六人。二人は部屋の入り口で止まっている。疑問と同時に金具の音を聞き取って、背筋を伸ばした。軍人がいる。待機の二人以外も、兵士がいるのか。意識せずに息を潜めて耳をそば立てた。目玉を動かして周囲を見渡す。どの受験者も固まったまま動かないが、足や肩が震えている。何が始まるんだ?
「君達の成績は大変優秀だった。だが、しかし。我ら新生クマリには困難が山積みだ。その上きな臭い事この上ない。人選には慎重を重ねさせてもらう」
良く通る声が朗々と告げると、複数の足音が後ろからゆっくりと近づく。
きな臭いから、慎重を重ねる?
何の事だろう。内紛があるのかな。そんな噂聞かないけど、揉めてるのかな。それも困るけど、ここしか行くとこないから行くしかない。じゃあ、いいか。
早々に腹を決めて、耳を澄ませた。どうやら窓際の後列から前方へと移動するらしい。目玉を動かし、視界に入る人影に意識を向ける。後ろを歩く大柄な女性は貿易と外務の大臣だ。並んでいる男性は内省と宮内の大臣だったはず。試験初日に視察に来てた人達だ。後ろで従う二人は、各々の部下なんだろう。義兄ほどの若さだ。
じゃあ、先頭を歩くさらに若い男性は?
上等な鈿で髷を止め、裾に刺繍をさりげなく散りばめた衣を肩に羽織っている。洒落た着方というか、なんと言うか。当てはまる言葉を考えながらも、目玉は追い続ける。窓からの逆光で顔がわからない。見たい。知りたい。目玉の駆動範囲限界で、瞬きしたい。目が乾く。が、見たい。知りたい。この人は、誰?
『 懐かしい匂いがする。あぁ、これは最近に観た景色だ…… 』
空気に乗る振動が伝わったとたんに、鼻の奥で嗅いだことない深く甘い香りが直撃した。息を止めて、瞬きを止めて、クラクラする寸前だ。何だか青い光が視界で瞬き始めた。これは幻か、自分がおかしいのか。腹に力を込めつつ、奥歯を噛み締めつつ、少しずつ息を吐き出す。落ち着け、自分。
『 岩肌の関所……後李の東桑か。お前の家族か? 母親と妹。まだ赤子ではないか 』
若い男性が独り言を呟きながら窓から奥へと歩いていく。すると、自分の斜め前の頭が震え始めた。
『 いつからだ? まだ若葉の頃か。なんとまぁ、やることが幼稚だな。さて、どうしようか 』
手に持った女物の扇をバチンと閉じて、震えだした受験者の肩を叩く。いつの間に、若い男性が場を掌握している。気のせいではなく、大臣達を本当に控えさせていた。大臣二人は懐から出した紙を受験者の前に広げ、何やら話し出す。途切れ聞こえる単語は、地名やら人の名前。この部屋にいる受験者は、自分の合否の行方よりこの展開が気になってるのは、間違いない。息を潜め、耳をそばたててるのを肌で感じる。
大臣よりも偉そうな男。肩に衣をかけ、女物の華やかな扇を弄りながら、鼻歌でも唄いだしそう。
あ、そうか。時代がかった古臭さだ。
古臭さ? 何でそう思ったか分からず、自分の頭に浮かんだ言葉に動かせない首を傾げる。何だ、これは。
『 それで? そなたはどうしたい? 』
解き放すその言葉で、受験者は机に突っ伏して嗚咽をこぼした。突然に部屋に溢れ出した感情の波に、声こそ出さずに受験者達に動揺が走る。何が起きてる? これ、まだ最終選抜なんだよね? 声だしていいなら、隣のやつに聞きたい。試験官に問いただしたい。なんなのこれ。呆気にとられるその他大勢に気付いてもいないのだろう、当の受験者はむせび泣き、椅子から崩れるように床に伏せた。
「助けて、助けて下さい! 俺はどんな罰でも受けます! だから母と妹を、どうかどうか……っ」
若い男は床で咽び泣く受験者を一瞥し、後ろに控える若い男達に頷く。その途端、受験者は両脇を抱えられて引き摺るように退室していった。
まるで、劇みたい。まだ小さな頃に観た旅劇団を思いだし、周りを見渡す。ここは最終選抜の部屋、大丈夫。
小さく息を吐き出して、前を向く。何だか変なことばかり起きてるけど、選抜はまだ続くのかな。もう終わって欲しいよ。終わったら、結果はどうあれ寝たい。何だかさっきから甘い香りでフラフラする。ちらつく青い光も、振り払いたい。宿舎の小さなベッドか恋しいよ。
「 こいつはどうするんだ?! 」
現実から逃げてたら、いきなり子どもの声が耳に飛び込んでくる。今度は何なんだ。これ以上何が起こるんだよ。もう大抵の事には驚かないぞ。そう思って周りを見渡す。動くなという事前の注意は忘れられ、選抜者達は僕を含めて首を動かしてキョロキョロしてる。と、視界いっぱいに飛び込んできた金色と、深い緑色。鼻先をざらりと濡れた感触と眩い色彩。思わず後ろに椅子ごと飛び退いて、大音量でひっくり返った。後頭部の激痛と、立て続けに濡れた感触に襲われる。犬? いやデカイし。馬? いるわけないし。じゃあ、襲ってきてるのは何だ。人ほどもある大きな獣のモフモフの毛を思わず掴んだ。
「 おいらは気に入った! こいつ貰っていいだろ! 」
今なにが起きてるの?! こいつとは、まさか僕のことか?! 思いの外手触りの良い毛を、自分の手がいつも家畜を撫でてた習慣で撫動いていた。馬より山羊より艶やかな毛並みの優しい感触に、閉じた目をそっと開ける。
金色な揺れる毛並みに覆われた、深い緑色の瞳を持った、人の言葉を話すデカイ獣。なんだこれ! くわっと開いた口。真っ赤な舌がベロリンと視界を撫でる。思いっきり舐められた。舐められた! 食べられるの? 僕、食べられるの?!
『 これは……よい器だ 』
青い閃光と甘い香りが頭の奥で爆発する。痛い、怖い。でも恋しい、近づきたい、触れたい!
『 これは私のものでよいな 』
「 おいらが先に見つけたんだぞ! 」
『 お前のものは 吾子のもの。吾子のものは私のもの。何も問題あるまい 』
「 それもそうか 」
よく分からない理屈で滅茶苦茶な結論を出されて、何か僕に関してのとんでもないことが決定された。それ以上はなにも分からず、意識が途切れた。ただ、眩しい青と、喉の奥まで染み付く甘い香りでいっぱいだった。それは思いの外に心地よく、その快感に埋もれる感触に幸せを感じた。
そして、起きた時には、最終選抜に合格した事を告げられた。希望の勘定方ではなく、何故か近習見習いとしての明日が待っていた。
何で?
次回 9月22日 水曜日 更新予定です。