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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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夏至祭 3 目が覚めても夢の中 2

 海を渡る船の下には別の世界が広がっている事を船乗りは知っている。船底の下に揺れる潮は絶え間なく渦巻き、落ちてくるモノを待ち構えている。嵐に、そして餓えと渇きで幻に誘われるままに落ちていくモノを待ち構えている。そうして、獲物を食べ尽くし海面に彷徨い出る。海底の闇から時折聞こえてくる唄や、波間に見える幻となって現れる。

 船乗りなら、何度か見たことはあるはずだ。もちろんオレも。

 だから普段なら驚かない。見慣れた幻ならば、餞別に干し芋の欠片や真水を放ってやればよい。けど、これは違う。


 『 久々に吾子が喜んでおる……礼を言うぞ 』


 目の前にいたのは、聖下であり別人。姿形はそのままなのに、声色も雰囲気も別人の何かがそこにいる。

 全身の毛が逆立ち、足が小刻みに震えだす。


 『 聖都のニオイもよいものだ。ふふふ……恋しい都。早う壊したいものだ 』


 優しげな口元で物騒な言葉を呟き、嬉しそうに微笑む。妖しく強く光る青い瞳を見て理解した。

 これは、幻ではない。海上の幽霊でもなく、聖下の肌の下にいる何か。人の皮の下で蠢くどす黒い血や汚らしい何か、妬み怒り嫉妬に絶望がうねり動いているような感覚。

 これは、幽霊でもない。


 『 吾を見ても、さほど怖がらぬか? 珍しい 』

 「誰かわからんけど、その御方の体から出ろ」

 『 ほう……この眼を見て言えるとは。名は何と申す? 』

 「……」


 黙って睨み返すと、楽しそうに微笑む。幽霊でもない、幻でもない、妖怪変化でもない何か。

 聖下の体にいるという事は、聖下が認めて受け入れているかもしれない。なら、殴るとか刺激を与えてもいけない。まぁ、殴ったら聖下が痛いんだろうな、この場合。


 『 名乗らぬか? 見かけによらず、賢い子だ。気に入ったぞ 』

 「どうも」

 『 感謝せよ……吾子もそなたを気に入っているようだ。何より、そなたから懐かしい匂いがする 』


 尊大な態度。別人のような気高さ。仕草1つもまるで世界の王のようだ。誰に対しても丁寧な応対をする聖下とは大違い。その差が、別人に対して話すような感覚を強くする。

夜の闇に、浄目が強く青く光って体すら淡く光っている。その青い眼が、視線を宙に泳がせてから階下へ繋がる扉を見つめる。偉そうな顔に一瞬だけ苛立ちの表情が走り、消える。


 『 もう少し話がしたかったが、邪魔が入りそうだ。残念な事よ……もう少しで、この匂いが判りそうなものを 』

 「臭い? その、10日船に乗ってたし」


 少々どころか、潮と体臭がキツイのかもしれない。思わず怖いのを忘れて、自分の二の腕を上げて鼻を近づけようとしたが手首を掴まれる。そのまま体を引き寄せられた。


 『 魂の匂いよ。雲の上の高みのような、雪降る風の奥のような、この上なく心地よい清浄な香り。あぁ、最後に包まれたのは何時だったか……懐かしい匂いだ 』


 気づいたら芳醇な香りに包まれていた。先に聖下が飲んでいた茶の香りだと思い出した時には、聖下の腕に包まれている。舵も持てないような腕が意外にも力強く肩を抱いてきた。

 オレ、何で抱かれてるんだって疑問が頭の裏を通り抜けて消えた。多分、懐かしい匂いと言っている聖下の中の誰かが、ひどく憐れに思えたから。

 この世で怖いモノなんてない聖下の中にいる、一種最強無敵なその人は、人恋しいのか。何かを求めて独りぼっちなのか。本当に求めるモノが手に入らない哀しさで一杯なんじゃないか。

 その寂しさが、オレの匂いで和らぐのなら、それなら、別にいいか。

 聖下の体から逃げ出そうとした手を、下げた。こんなオレでこの人が満たされるのなら。


 「何やってんですか!!! 」


 甲高い声と同時に背中を思いきっきり押される。よろけて聖下の腕の中から出た途端に、引っ張り剥がされる。視界一杯に金色の毛が広がり、甘い香りがした。


 「あんたも抱かれてるんじゃないわよっ」

 「……ミンツゥ? 」

 「よく見なさいよ! ハルキの面しただけの他人でしょ! そもそもハルキに抱かれるなんて、なんて、そのっ」


 自分で言いながら、何を照れてるのだろう。ミンツゥがオレ達の間に割り込み、足元で聖下の玉獣が毛を逆立てて唸っている。


 「さっさとハルルンの体を返せ! 」

 「そ、そうよ! ラヴィにまで変な手ぇ出すんじゃないわよ! 」

 『 ほう ラヴィと申すか。 安心せよ。気に入ったのはラヴィだけだ。他はただの駒にすぎん 』

 「はぁあ?! 」


 とんでもない事を言い放ち、聖下の中の人は微笑む。

 蛍火を放つ青い瞳は、まっすぐにオレを見ていた。


 『 また会おうぞ。我も、そなたが気に入ったぞ 』

 「勝手な事言ってんじゃないわよ、この亡霊が! 」

 

 ミンツゥと同時に玉獣も吠えた、次の瞬間に蛍火は消える。まるで白昼夢を見ていたかのように、数度の瞬きをして聖下が首を傾げた。


 「シンハ、毛ぇ逆立ててどうしたのさ。ミンツゥ? ご飯食べ終わったのかい? 」

 「……うん、甲板に出るっていってから戻ってこないから、迎えに来たの」

 「そうか。ありがとう……うん、うーん。何か、何か、疲れた」


 顎が外れそうな欠伸をして、もう一度首を傾げた。

 さっきの事を憶えているのか、それともまったく記憶にないのか。それも分からない。ただ、違和感はあるのか眉を八の字によせて「先に休むってサンギに伝えといて」と歩いて行った。


 「いいのか? また変なの出たら騒ぎになるぞ」

「とっくに騒ぎになってる。おおっぴらにはしてないけど。今日は師範達の前にも出てきたし……」

「じゃあ……」

「神苑の陣の中では、幾人か知ってる。知ってるどころか、怖れてる。ハルキも、皆の態度が少し変わってきてるのを感じてるかもしれない。けど」


 聖下そっくりな、澄み渡った青い瞳がまっすぐに射すくめる。


 「ラヴィは怖くないの? 」

 

 燦々と降り注ぐ陽の光と恵み豊かな南方の潮を思い出させる瞳。姫宮様とは違う力強さを感じながら、見とれる。


 「そりゃ怖いよ。ミンツゥは怖くないのか? 聖下の中にいるあいつ、誰なんだよ」

 「まだ秘密。ラヴィは気に入られてたから大丈夫でしょ」

 「そうだな。おいお前、ミンツゥが船に乗ってる間はおいらと一緒に張り込むからな」

 「勝手に決めんなよ! オレにも都合ってもんがあるんだ」

 「エリドゥから帰ってきたばかりなんでしょう? なら、私の出立式が終わるまではクマリにいるでしょ」


 的確に言い当てられ固まると、その隙に手の中の物を奪われる。さっき聖下からもらった異世界の硬貨が、ミンツゥの指先でクルクルと回されてた。


 「私が帰ったら、これは返してあげるね」

 「おい! 」

 「お守りにしたいの。いいじゃない」


 聖下の持っていた物だからだろう。大好きな聖下の物だから。

 それに気づいたら、もう返せとは言えなくなってしまう。言えないじゃないか。オレは、ミンツゥが聖下を好きなのを知っているんだから。

 嬉しそうに微笑んで紐を首にかけ、胸元で鈍く光る穴の開いた硬貨を指先で遊んでいる姿から、視線を外す。遠くの岸に揺らぐ灯りを見つめてながら、何かが大きく変わりだした感覚。肌で感じる不安と先行きの闇、その中で動き出した足音なのか。

船で外洋を走るのは、先になりそうだ。





 

 


とりあえず、夏至祭は終了です。

また、少しだけ次に繋げる特別編があります。新しいキャラから、新しいクマリを少しだけ紹介させてください。

 

 次回は 9月15日 水曜日 更新予定です。

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