夏至祭2 微睡みの夢となれ 2
祭事の成功で、陸地は盛り上がっているのだろう。海岸で動く明かりは多く揺らめき、潮風は楽しげな旋律や歓声を波間に届ける。
でも、体が硬直して動けない。
目の前に座る聖下の姿をした始祖様が、青く光る眼で微笑む。
『 お前はよくやっておる。吾子はとても信頼しておるようだ。ふふふ……良いな。深淵の事も呪術の事も深い知識と知恵を持っておるようだ。もちろん、深淵の神殿に対する恨みもあるであろう? 良いな 』
嬉しそうに笑い声をあげる姿に声にならない悲鳴が出そうになる。
何が目的なのか、何を求めるのか。この御方は、儂が考えている事すら分かるのか。
『 吾はそなたらが恐れる浄眼の持ち主ぞ? 何を驚くのだ。おぉ、そこの弟子も良いな。賢く、敏い。何より忠実だ 』
「師範ー? サンギ殿がいましたわ。聖下と食事をとろう言うてますよー。……師範? 」
あぁ。
背後からの声に絶望する。来てはいけないと言おうとしても、声すら出せん。強張った体から出るのは脂汗だけ。遠ざける事もできずにサイイドの声と足音が近づいてくる。
「……聖下? 」
『 お前達二人は、良き駒。その知恵と知識で吾子に尽くせ。吾子の信頼を裏切るな。吾子を悲しませれば、吾がそなたらの五臓六腑を焼き尽くす 』
「しっ……師範っ」
渾身の力で横で立ち尽くすサイイドの腕を掴む。強く掴んで、心を留める。
正気を保て。恐怖に平伏すな。平常心を。
『 狂っておるか? そうか。狂いもするな。吾はもう千年も待ち望んでおるのだ。待ちくたびれたわ。吾子の願いを聞き届け我慢してきたが、さすがに限界だ。吾子はの、優しいからの……ナキアに、よう似たからか、優しいからの 』
小刻みに震えるサイイドの太い腕に、爪を立てて掴む。
この恐怖に耐えよ。一語一句聞き漏らすな。これが重要な鍵になることだけは感じる自分を信じよ、サイイド!
『 この魂を守れ さすれば快楽を与えよう この世界の終末を見とうないか? 憎き深淵が苦悶し消える様を見とうないか? ならば吾子を守り支えろ 』
「世界の、終末が、願いなのですか」
『 ……すでに500年は我慢した。だがこれ以上深淵の勝手には出来ぬ。奴等は吾子の優しさを利用しよった。すでに吾子が守ろうとした者は皆死に絶えた。その血も魂すら離散した。何を迷おう。時は満ちたのだ 』
蛍火のように淡く光る青い双眼を細めて微笑む。
『 万物の法則に則り、施行するのだ。始まりを造った者が、終末を司るだけよ 』
狂っておる。いや、理解が出来ない儂が狂っておるのか?
『 その時が来るまで 吾子を守り支えよ。 あぁ……待ち遠しい。すでに崩壊の序奏が始まっておる。もうすぐだ。もうすぐ、全てが終わるのだ…… 』
吐息が青い炎となって溢れ出す。渦巻き押し寄せる青い炎に焼かれる! 身を竦め目を瞑った瞬間に、鬼気が消え去った。
「あぁーあ。……眠いなぁ。何か、何かすんごい疲れたぁ」
のんびりとした口調、優しげな声色。鼓膜を震わす音に、狂気が消えた事を確信する。
飾らない仕草でサモサと頬張り、息を潜め体が強張ったままのサイイドに気づいた声を上げたのは、間違いなく聖下だった。
「あれ? サイイドいつ戻った? 師範、顔色が良くないですが…やっぱり、船は慣れませんでしたか? 」
「いや、さすがに波の揺れは腰にきますな……下がらしてもろてもえぇやろか……」
「もちろん! 誰か! ちょっと手を貸して! あぁ師範、無理言ってすみませんでした。大丈夫ですか? サイイド、歩けるかい? 」
心配げな聖下の声に気が付き、幾人もの船員が素早く手を差し出してくる。
その手にしがみつくように捕まり、形ばかりの礼をとって甲板下の船室へと歩く足が急く。
恐怖だ。一刻でも、一歩でも、あの鬼気を見た瞬間と場所から離れたいと、心が急いた。
気の利いた船員が一杯の水を汲みに場を離れてから、ようやくサイイドの顔を見る。
いつも大胆不敵な無表情をした男が、強張り青ざめている。
共生能力もないサイイドに、これだけの恐怖を与えたあの鬼気は、やはり尋常ではない。
恐ろしかっただろう。いつの間にか自分より大きく分厚くなった手の平を包んで、そっと撫でてやる。
幼い頃にしてやったように。親を恋しんで泣いていた夜のように。
「大丈夫や。もう大丈夫や……」
「うちらが仕えとる方は、一体、誰なんですか……あれは、何ですか? あれは……」
小刻みに震える手を、ぐっと掴む。
喉元まで出た言葉を理性で選別して、ゆっくりと頷く。
恐怖を恐怖と認める訳にはいかない。サイイドの手を力を込めて握り包む。
「あれが、深淵で何百年と生きてきた魂や……もう一つの、ダショーの側面や。ただ、我等が仕えるダショー・ハルキの人格やない。恐らく、恐らくは……いや、もうしばらく様子見や。もう少し事がはっきりするまで、調べたい事が山のように出てきたわ。この事はもう少し秘密やで」
ダショーの中に初代の人格があることを知っている者が、他にいるだろうか。いるのなら、もっと詳しく事を知らねばけない。分からない事だらけや。
ただ今は、幼子のように震える愛弟子を慰めよう。
波が船体に当たって砕ける音が、まるで赤子をあやす母の手の平のようだ。不規則なようで心地よいリズムを聞きながら、囁く。
「大丈夫や……聖下はただ一人や。ただ、お一人や……」
あと1作ありますが。推敲してから…9月に出せるかな?
またお知らせします。
取り敢えず。