表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見下ろすループは青  作者: 木村薫
131/186

 夏至祭2 微睡みの夢となれ

 『 豊穣の大地に足跡をつけて帰る雌鹿よ 若芽が息吹くその影に月が差す 冷たくも慈悲の光が包み込む 』


 世界を蕩かすような、聖下の声。その唄の響きに重ねるように老若男女の声が響いていく。

 全てを金色に染め上げて沈む夕日が、祝福を告げるように一際輝く瞬間。その今を唄いあげる。儂は、少しでも役に立てているやろか。使者から見えぬようにと沖で歌う聖下。今は見えないが、きっと目の前を通り抜ける風に微笑み、空へ舞いあがる水の精霊に手を振って楽しげに唄う聖下の役に、立てているやろか。

 いや。立たねばならん。目の前で繰り広げられる光景に、呆けたように半開きの口で見惚れている役人等に思い知らせなければならん。


 「ほれ、御覧なさい」


 素早く手にした千手で東の空を示す。

 沈む夕日が渾身の力で描き出したかのような絶景が広がっていた。

 刻一刻と夜の帳が迫り、金と紫に変化していく東の空いっぱいに描かれた二重の虹。常世があると言われる南方とクマリの大地を繋ぐ巨大な橋の出現に、遠く海岸沿いに儀式を見ていた民も気づいたのだろう。地響きのような歓声が、私達のいる沖まで届いてきた。途切れる事なく、それは精霊や神々を讃える唄となる。

 どうじゃ。

 これが聖下の力。威光。讃え、敬え。

 聖下の魂が輝く証拠を目に焼きつけたか。耳に讃美歌を刻んだか。

 さっさと、ソレを春陽の男に訴えろ。二度と手は出さぬと、誓いをたてさせよ。

 豪奢な衣に身を包んだ役人たちは、アワアワと口を開け閉めして「いや、見事じゃ」「寿命が延びたような気がしますな」とほざいておるが、事の重大さが判っているのか。

 端におるマリ公国の連中は、本気じゃな。ただ、熱心に見てるのが海岸に並ぶ明かりが照らし出す商店の様子なのは、御愛嬌か。あの連中は商売第一だから、仕事になるかどうか、人の動きや復興の様子を事細かく観察しておるのだろう。まぁ、しょうがない。半分本能の所じゃろう。

 問題は、アレじゃ。

 青の民に化けた気でおる後李の役人どもだ。明らかに毛色が違うのだが、その事に本人らが気づいているのやら……。

 後李帝国とは正式に国交を結びなおしてないし、招待もしていない。だが新生クマリが気になる故に、草原で暮らす遊牧民に金に物言わせて紛れ込んだのだろう。偵察に来るのなら、もっと日焼けした輩を用意すべきや。末席の男どもは春陽独特の抑揚ある訛りが抜けてないし、白い顔を船酔いで青白くしているし。あれでばれないと思っておる辺りが、恐ろしい。いや、計算のウチなのか。そう思っておこうかの。

 

 「これで祭事は終了となります。朝早うからの参観でお疲れでしょう。ささやかですが晩餐と湯浴みの用意をしてあります。ゆるりとお休みくだされ」


 歓迎の体で、がっちり監視させてもらいますけどな。

 言外の意味を悟ったのか、隣で控えているサイイドは大きなため息を零した。

 さすが儂の弟子や。





 薄闇が濃くなっていく中、幾つものランタンが甲板には用意されていた。もう、そんな時間かの。

 母船に登り帰ると、目の前で慌ただしく動く人の壁が左右に割れた。その奥から掛けてくるのは聖下。

 デカいサイイドに抱えられて甲板まで登ってきたから、遠目ですぐに分かったのだろう。

 

 「客人の接待、ありがとうございました! 船酔いは大丈夫でしたか? 」

 「儂は大丈夫や。なんや、えらい酔った人がおったで。まぁ、詳しくはサイイド、説明しとき」

 「青の民の端にいた人達の事ですよね。えぇ、リンパ殿かサンギ殿に伝えときますよって。どっちかは会食でしょうが、どちらかは残ってますでしょ」


 祭事が終わって疲れとる今、わざわざ後李の役人がいたことを聖下に知らせることもないやろ。

 目で知らせると、サイイドは1つ頷いて甲板の下の船長室へと行く。

 「船酔いに会った客人」は大丈夫かと心配げな聖下に真相が知らされるのは、明日で構わぬ事だ。優しい聖下を煩わす事はない。警戒を怠ることなく、今夜が済めばよい。あとはさっさと送り返すだけや。


 「さっき、軽くサモサを頂いていたんです。夕餉までの間、良かったらどうですか? 」

 「ラヴィの店のんか? それは有難い。少しだけ、お供しますわい」


 祭事で疲れたのは聖下だろうが、そんな様子を見せずに儂の手をとるようにしてゆっくりと歩いてくれる。当代のダショーも、優しい心根の御方。かつて仕えた主と重なる心遣いに、長生きするもんやと心の中で頷いた。

 

 「で、どうでしたか? 今日のは何点ほどですか? 」

 「そやなぁ。伸びやかさがあと少しある方がえぇな。でも、響きはよぅなってました。まぁ、その点は合格や」


 船頭で用意されていた簡易な椅子に向かい合って座り点を出すと、青い瞳を輝かせた聖下が小さく握りこぶしを作る。

 異界で育ったからか、唱歌の基礎が不完全な事を気にかけている。忙しい政務の間を縫うように指導をしていたが、本当はダショーには必要のない事だ。その魂があれば、どのように唄っても精霊は奇跡を起こすのだから。でも、それは聖下にはまだ言わん。頑張っておるのを挫けさせる事は、ない。

 ただ一つ難があるとすれば。


 「もう少し、堂々と唄いなされ。威厳を持って、自信を持って唄いなされ」

 「それが一番難しいですよ……何度も言ってますけど、俺、異界では本当に庶民でしたから」

 

 小さなテーブルに突っ伏して呻く聖下を、ランタンの揺れる明かりが照らし出す。

 浄眼と恐れられる青い瞳に不安げな色を浮かべている姿に微笑む。まるで幼子のようや。


 「本っ当、平民でしたからね。ただの、この世界でいったら学舎の講師ですからね」

 「ではとっておきの方法をお教えしましょうかの」

 

 オユン様と重なる姿に、ついつい頬が緩んでしまう。祈りの所作が覚えられなく、祭事の前にベソをかいていた幼い主。涙をこらえながらも、丸みの残る小さな手が震えていた事。全て鮮明に脳裏を駆け巡り、目の前の新しき主に重なっていく。同じ魂を持つ、優しい主に。

 そしてあの時と同じように輝く青い瞳に微笑む。


 「簡単や。間違っても堂々と前を向いて背筋を伸ばしておればえぇ。間違ったかなんて、誰も気にしとらへん。貴方様が主。世界の規律やから」

 「……言ってる事、無茶苦茶じゃないですか? 」

 「そんなことあらへん。精霊の祝福を受ける貴方様の唄が全ての元。根源や。私が間違ってると言うん方がおかしいんや……って気持ちで構えていなされ」

 「それが出来たら、楽でしょうねぇ……ふふっ」


 あまり本気で受け取っていないのだろうが、ようやっと笑顔になりはった。まぁ良しじゃな。

 海風で乱れる髪をかきあげてサモサを摘まみ、神苑の陣で時折見せる素の顔に安心して、茶器入れの蓋を取る。さて、湯を持ってこさせて喉に効く薬湯を入れてさしあげよう。


 『 だが、この子には出来ぬであろうな…… 自分より 他者の想いを優先する この優しい吾子には出来ぬであろうな 』


 空気を震わさずに伝わる言葉。落ち着いた口調ながら、その声の裏に流れる見えないモノに凍りつく。向い合せに座っていた主から押し寄せる圧倒的な気が全身を硬直させた。


 『 その身に宿す魂が星の源と繋がっていると判っていても、吾子には出来ぬよ。それが可愛いのだがな 』


 目玉だけが、動いた。そして悲鳴の代わりに吸い込んだ息が笛のような音を立てる。

 優しい眼差しの青い瞳が、淡く光ってこちらを見つめ、微笑んでいた。妖しく光る眼で見据えられ、悪寒が走る。 

 体の内側はもちろん、魂の奥まで観察されているような寒気に震える。

 これは、誰や。聖下の皮を被った、文字通りに皮を被った別人。

 とてつもない存在感。この気迫。長く深淵の神殿で暮らした経験で培った本能が騒ぐ。力ある精霊を召喚した時のような、身の危険を感じる恐怖。

 これほどの恐怖をまき散らす存在が、何故に聖下の中にあるか。

 優しく強い聖下の中に存在する、狂気か? 時折見せる、クマリの姫宮に対する執着のような狂気が形になっているのやろか……。


 『 ふふふ……吾が怖いのか? ほう……そなたほどの者でも怖いか 』

 「…………」

 『 今は吾を狂気と呼ぶか ならば、そう呼べばよい 』


 主の、聖下の体にいる狂気。

 吾子と呼んで、聖下の腕でその体を愛おしそうに抱いて微笑む。


 『 よい子であろ……優しい子だ……吾子よ 』


 親が幼子をあやすように、優しげな手つきで自らの体を撫でてゆく。その妖しさに身がすくむ。

 尋常ではない。子をあのように撫でる親がどこにいよう。いや……親? 

 聖下はすでに大人。三十になろうかという、成人。我が子と呼び、大人を撫で慈しむ。

 狂っている。何かが大きく狂っておる。

 恐れ慄き、稲妻のように一つの名が脳裏に浮かんだ。

 聖下を「吾子」と呼ぶ存在。

 それは、始祖エアシュティマスしか存在しない。

 全ての始まりを創り出したダショー。

 


 



 

 


 

明日27日も更新予定です。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ