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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 夏至祭 1 届かぬ星へ ミンツゥ編

 もうすぐあの水平線の向こうに陽が沈む。夏至の日が終わる。長い昼が終わり夜が訪れる、その瞬間がやってくる。精霊と人間、常世が溶け合う瞬間。

 ようやく、夏至の儀式を行える。

 十二年前の傾国の悲劇で亡くなった者達を迎え、あちらの世界へ帰す儀式を、この国の人々は切望していた。生きることで精一杯だった日々から、区切りをつける為。失った者を確認する為。未来へと生きていく勇気を得る為に、この儀式を行う事を強く望んでいた。

 切願の儀式。それはクマリに大勢の民が戻ってきたこと。その全員をなんとか餓えさせる事なく日々送れるようになった事から、今日ようやく実行出来た。

 朝日が地上を照らし出した時から、今日のクマリは唄に包まれている。悲しみの唄も、感謝の唄も、懺悔の唄も入り交じり、物悲しいさざめきのように漂って沖に止めた母船まで聞こえてくる。

 まだハルキへの刺客を警戒しなければいけないから、最も重要な唄を唄う夕刻の儀式は沖に離して停泊する母船で行う。

 こうして船で一日を過ごすのは、とても久しぶりだ。

 つい二年前は当たり前だった景色を船縁からずっと眺めている。

 人も海も空すらも金色に輝かせて沈もうとする。その雄大な光景を見るフリをして、慌ただしく人々が行き来する中でこっそり見つめる。

 大好きな人が、にこやかに笑う顔を。少し眉をひそめて考え込む顔を。何やら身振り手振りを大きくして、それでいて真剣な姿を。人がいなくなった瞬間に大あくびする姿を。

 

 「そぉんなに熱い目で見てたらダショー様溶けちゃうよ」

 

 冷やかす声に慌てて振り返るとリンチェンとハンナが立っている。大きなリンチェンの瞳が、悪戯っぽく活き活きと動いている。

 やだ、いつから見られてたんだろう。視線をずらして「別に、何も」と呟いてみても、頬が熱くなる。


 「唄も終わりましたし、少し喉を潤しましょうね」

 「ダショー様の横に行くし、綺麗にしなくちゃね」

 「もう、リンチェンはいいからっ」

 「ミンツゥの影なんだから、私は傍に控えてないといけないもーん」

 「2人とも準備は出来てるの? 最後まで気は抜かないの」


 ハンナの的確な指摘に返す言葉がない。

 おとなしく差し出された器を覗き込むと、うっすらと茶色く鼻にツーンと突き抜ける独特の風味がする。なんでも喉にいいとかいう緑柳の葉を乾燥させたもの。

 この薬湯が苦手なのは、リンチェンも同じだ。二人で目を合わせて唸ると、ハンナの紫色の目が少し細くなる。サイイドが調合する薬湯は、確かに良い効き目だ。けど、それはとっても苦いのと同じ事。

 無言の気迫で促すハンナに背を向けて、リンチェンと「せーの」と一気に飲みほし、同時に「ぐぇっ」と潰れた声を吐き出した。こみ上げる吐き気をようやく押さえて顔をあげると、ハンナの満開の笑顔が待っていた。

 いつの間にか、お盆に水を満たした茶碗と小さな砂糖菓子が二つを乗せて控えている。

 この心配りがスゴイと思う。以前そう言うと、「深淵の神殿で鍛えられましたわぁ」と華が綻ぶような笑顔で返された。孤児となって神殿で育ったそうだから辛い事も沢山あったはずなのに、それは表に出さない。か細く儚い印象を与えるハンナは、その外見から想像出来ないほど、強い。


 「二人とも御髪も整えなおしましょうね」

 

 口に残った苦味を水で流し砂糖菓子を舐める私達を帆の影に座らせ、櫛を取り出した。

 リンチェンは自分で櫛を取り出し、私の髪はハンナが梳き流していく。

 同い年で同じ背格好だから、リンチェンは私の影として選ばれたと聞く。ここ二年ずっと姉妹のように一緒に過ごし、行儀指導と侍女のような役目をするためにハンナも常に横にいる。こうやって髪を梳いてもらう事にも行事の時の着付けも、一緒。ハンナは手際よく、そして辛抱強く私達を淑女にしようと頑張っている。どうにも、それはとても難しいけど。


 「ミンツゥ様は若姫様ですから、もう少し身嗜みに気を配って頂かないと」

 「それ、まだ慣れないなぁ」

 「名前の事? でも私達もう年頃だし、船団も前みたいな商いじゃなくなったし」


 櫛で髪をまとめ上げ、捻って簪を差すリンチェンの器用さに見とれながら、口の中で小さくなっていく砂糖菓子を転がして頷く。


 「そうだけどさ、自分が若姫様なんて呼ばれるの、慣れないよ」

 「ハルキ様も同じ事言うてましたなぁ。ほら、「ダショー様じゃなくて名前で呼んでほしい」て最初の頃は」

 

 ハンナとリンチェンは「そうだった」「いや、今もや」と笑っているけど、私はハルキの気持ちが解る。名前で呼ばれていたのに「ダショー様」とか「若姫様」とか言われると、自分が違う人になったような寂しさがあるんだ。周りの人と自分の間に、何か距離がぽっかり空いた感じとか。

 クマリは新クマリと改め、ニライカナイ船団はその国の中に入って二年経った。

 船上で生きてきた船団の大部分の人達は、変わらず商いに精を出して大洋を駆け巡っている。が、安定した生活を求める者や老いて陸に上がった者、新クマリの立ち上げに尽力している者もいる。そうすると、旧クマリの者が話す「姫宮様」という存在と私が重なるようになったらしい。

 クマリ創世の時代から連なる支配層「大連」の中の名家であり、最後の族長。昴家のミルこと「姫宮様」。今は深淵の神殿に囚われの身だけど、ダショーであるハルキと婚約を交わした仲だ。

 その傍で漂う、次期ダショーとハルキに公認された私。船団の統率者であるサンギの姪である以外、私の身は旧クマリからすると中途半端だ。だからだろうか。「お嬢」とだけ呼ばれていたのに、いつの間にか「若姫様」と大仰なものになっていた。

 つい二年前は、同い年の仲間に苛められたりした。果物を採りに森へ行ったり、海に飛び込んで泳いだり、磯辺を探検したりした。なのに、今はどうだろう。

 

 「どうしたの? 」

 「何でもないよ」

 「いや、何か難しい事考えてたでしょ」

 「いやいやいや」

 「いやいやいやいや」


 わざと眉を寄せて口を尖らせると、リンチェンが吹き出す。

 私の悩みは、ささやかなものだから。だから、リンチェンやハンナには笑っていてほしい。世の中というのが、こんなに忙しない、思い通りに行かないと解った今は、周りの人には笑っていてほしい。

 そう思っているのに、思い通りにならない。自分はいつも誰かの手を煩わしている。それがとてもイライラする。

 これは、私の我が儘、なのかな。


 「簪さしますよって、動かないで」


 ハンナの真剣な声に、慌てて背筋を伸ばす。

 そう、数少ないハンナの苦手の一つは髪結いだ。一発で決まるように、身を固くする。

 今から大勢の人の視線を受ける。なのに、心がこんなにもざわつく。

 落ち着かない気持ちを隠して、顔を上げる。

 祭が、始まってしまう。

 そしてハルキは、クマリの為に、遠く離れた姫宮様の為に、唄を唄う。

 私は、それを、眺めるだけしかできない。

 何も言わず、耳を塞がず、見守る事しかできない。

 


 

 

 

大変遅くなりました! とりあえず、夏至祭3作のうち1作、2話分を連続upします!


次回は明日13日に。


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