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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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番外編 褐色夜話 4

 薄く淡い布に包まれ豪奢に見えるこの部屋も、壁の板は薄く酒飲みの威勢の良い声など筒抜けで。

 隣の部屋からの物音も嬌声もようやく消えたのは、真夜中を回った頃だ。

 夜更かしをしているのは私達だけかもしれない。

 グラスに残った酒を舐めながら振り返ると、寝台の確認をしたアルーンが安堵のため息を零して窓際に戻ってくる。

 

 「ようやっと、お休みになられた……」


 あのこーひーなるものを浴びるように飲んで寝れるのだから不思議なものだと、首を傾げるアルーンに笑って頷く。

 まったく、あの不思議な煎じ茶には妙な効用があるようで、先ほどから目が冴えて眠気が訪れない。今やっと寝たスミレだって、牛乳で割ったこーひーは僅かな分量しかなく湯呑半分も飲んでいないのにこんな夜更けまで寝なかった。

 もちろん、こーひーのせいだけではない。

 あれから4人で、札遊びをしていたのだ。酒場宿ではよくある、絵柄と数字をそろえて出していき、手持ちの札が早く無くなった者が勝ちという遊び。他愛もない遊びだが、負けた者への罰が様々だ。色街らしく「衣を一枚づつ脱ぐ」など「勝者の命令を聞く」など艶っぽいものもあるが、今宵はこーひーを飲むという恐ろしい行為を強要された。しかも、負けるのは大抵アルーンとブロッサム。セキは負けてもいないのに一緒に浴びるように飲んでいたが。

 結局、眠くなったスミレを寝かしつけようと寝台で一緒に横になった途端、二人とも夢の中に落ちたらしい。


 「まぁ、何にせよよかった。気分転換にはなったようだ」

 「ふふっ。女と寝てないし酔ってもないのにね」

 「何が良かったのか分からんが、まぁ、こーひーのお蔭だ」


 グラスに酒を注いで勧めると、アルーンの厳つい顔のままで首を横に振る。「警護中だ。酒は飲めん」と言い、ブロッサムのグラスに注いで勧める。月光を受けて琥珀に輝く酒はおいしそうだ。遠慮なく注がれた酒を飲みながら微笑んでみせると、アルーンはようやく頬を緩めて窓枠に寄り掛かって呟く。


 「せい……セキ様は随分と落ち込んでおられたからな。ようやく笑顔が出てよかった」

 「こんなんでよかったら、何時でも大歓迎。随分と羽振りもいいし」

 「ははは……まぁ、色街本来の目的をしには来られないだろうが」

 「何? セキ様って男のほうがいいの? 」

 「い、いや、そうではない。ないが、俺が言う事は出来ん」

 「やっぱ想い人がいるんだ」

 「何故判る?! 」

 「伊達にココで働いてないわよ……っていうか、あんた隠し事ほんと下手ね」


 顎をあうあうと上下させて呻くアルーンを横目に、自分のグラスに酒を注ぐ。

 肌寒くなった深夜の風が、酔って火照った肌を撫でていく。心地よさにまかせるまま、グラスを傾ける。

 酒を飲み、静かになった通りを見下ろし、夜空を眺め、そして酒を飲む。

 虫の鳴き声を聴きながら、深くなる秋を寒さを楽しむように夜風に当たって。


 「土を掘り返せば、出てくるのは焦げた土と骨ばかりだ」

 「そうね」

 「塩害がなくなっても、大地の気脈が開いて水も流れるようになっても、掘り返せば出てくるのは骨ばかりだ」

 

 ブロッサムの返事を聞いてるのか、聞いてないのか。水を飲み、呟き、そしてブロッサムのグラスに酒を注ぐ。


 「小さな骨は、触った途端に崩れてしまう。ほとんど形が残らずに灰になるものも、ある」

 「ん」

 「もちろん、手厚く葬る。骨の上には暮らせん。でも、生きねばならん。あぁ……十分に悼んでいるが、それでも心の整理がつかぬのだ。」

 

 ほろりほろりと、零れるように呟くアルーンの言葉に返答するように酒を飲む。

 飲んでは呟くアルーンのグラスに、水を注いでいく。


 「それでも、我らは飲んで食って生きている。辛いのに、腹は減るし、バカ騒ぎをする。不条理だな。だが、それが(ことわり)というのだそうだ。我らは生きているという事だそうだ」

 「うん」

 「でも、辛いなぁ。でも、今宵は心地よいなぁ。なら、生きているのも、案外良いものだなぁ」

 「ん」


 酒を飲み、ほろりと呟き、夜風が撫でていく。

 


 明け方に訪れた眠気に、座ったまま抗えなく船を漕いでいた時だった。

 階下の酒場から物音がして、バタバタとアルーンが部下と下に降りて行ったと夢うつつの中で気配を追っていた。

 「外泊の許可は出したが、まさか色街とは……」「同室なのか?! 相手の素性は当然大丈夫なのだろうな! 」と、聞き慣れない声が夢を切り裂く。

 随分と騒がしいなと、意識が浮かび上がって来た途端だった。扉を壊しかねない勢いで二人の男が飛び込んでくる。


 「まさか床を誰かと同じくしてはいないな?!」

 

 精彩な目元が特徴的なクマリ族の青年と、金髪で女と見紛う美青年。対照的な二人がアルーンに示された寝台でスミレと寝ているセキを見つけ、絶叫して崩れるように寝台に駆け寄る。


 「ミンツゥ様がお嘆きになりますよっ。そういう趣味だったんですかっ。まだこんな幼い子がお好みとはっ」

 「そうではないだろう! 姫様に知られて心変わりでもされたらどーする! それで元の世界に帰られたらどーする! 」

 「それは困る! おい、この事は他言無用! 広めればどうなるか分かっていような! 」

 「あれぇ、おはよう。どうした? 」

 「「どーした? じゃ、ないですよ!! 」」


 二人同時に叫んで、寝ぼけるセキの両脇を抱え込むように持ち上げた。寝台から引きづるように二人がセキを連れて出ていく。

 赤ん坊も泣き止む程の怒涛の勢いで男たちが階段を駆け降りる。何事かと扉から顔を出した男女達の視線に見送られ、屈強な男たちに囲まれたセキが寝ぼけ眼で連れ去られていく。

 青ざめたアルーンに「またね」と口元だけ動かして手を振ると、ようやく口の端を上げて頷く。

 何が何だか分からないが、アルーンが仕事上まずい事をしでかしたのは察するに余りある状況だ。声をかけずに、ただ目線を合わせただけで見送る。大きな背中は、慌ただしく迎えの男たちの中で消えてしまった。

 その中、ようやく起きたスミレが窓から「おじさんまたねぇ」と手を振り、宿から連れ出されたセキが手首を動かして答えた途端、路地で待機していた馬車に丁重に、かつ手早く放り込まれる。

 土煙を上げて立ち去った馬車を見送り、残ったのは酒場のテーブルに築かれた金貨の小山。

 その翌日。

 遠く離れた神苑の陣から「綱紀粛正ぇ! 」の掛け声がクマリ平野に響き渡る。

 そうして年が変わる凍えた冬の夜。久しぶりにアルーンが来店した。





 少しやつれて頬骨が出た顔になって来店したアルーンは、躊躇せず一番の売れっ子のブロッサムを指名した。必要最低限の言葉を主人と交わすと、時間を惜しむように指定された部屋に入った。

 水だけ飲んでいたあの晩と違い、琥珀の酒を所望すると寝台の端に座る。


 「今日もセキ様はいないの? 」

 「あれから外出禁止のままだ。だが、こーひーを飲める生活になったから満足だそうだ。桜に充分に礼も出来ずにすまぬとおっしゃっていた」

 「あら、沢山のお代を頂きましたよ。で? それだけ? 」

 「いや。スミレは? 」

 「もうじき」


 言うと同時、スミレが炭壺を持ってやってくる。すでに熾された炭を手際よく四隅の火鉢に入れていくと、暖かな空気が漂いだす。部屋を出ようとするスミレに座らせると、断言した。

 

 「明日、お前を身請けしたい。いいか? 」


 はっきりと言ったアルーンを凝視する。言葉が流れていく。でも何を言っているのか分からない。

 厳つい顔に似合わない僅かに口元に笑みを浮かべた顔のまま、懐から紙束を出して寝台に広げる。様々な書き込みがされた地図や、書類の数々。


 「もちろんスミレもだ。隠していたが、あれ以来警備の任を解かれてから新たに仰せつかったお役目がある。この色街を引退した女達を中心に工房を作れと命じられたんだ。開墾と同時に綿花の栽培が始まっただろう? その綿を紡いで反物を大量に作る計画がある。その反物を染めたり刺繍を施して付加価値を」

 「ちょ、ちょっと待って! 何を言っているの? 」

 「クマリは性急に人が増えている。農地も産業もすごい勢いで伸びておる。が、如何せん金が足らぬ。金を回すにはまず最初に金がいる。金を出して買いたくなる物が必要だ。つまり巡礼者が落とす金を手っ取り早く増やすために、クマリしかない土産物を作って売るのが一番らしい。土産にも、産業にもなる、繊維業を伸ばすのが一番だろうという事だ。これは全てセキ様の受け売りなのだが」

 「いや、そうじゃなくて! 何で明日、私が身請けされるの?! 」

 「その工房を、一緒に作ってくれないか」


 一緒に。

 耳から胸へ、言葉が浸み広がる。温かく、衝撃的に。


 「何で私なの」

 「ここ界隈で女達にも男達にも顔が広いようだ」

 「私より売れっ子の女の子がいるでしょ。若い子とか」

 「工房を作るのに必要なのは、人脈と纏める者の人柄だ」

 「私より器用な子がいるし」

 「なら、そういう子を集めよう。ただ、主人達と揉め事は困る。お互い商売の邪魔をしないよう、住分けていくべきだと言われている。もちろん普通の女達も仕事に来るだろうから、そのあたり衝突しないように」

 「そうじゃなくって! 」

 「もちろんスミレも一緒に来い。ここより安全だろうし」

 「そうじゃなくって! 」


 大声で叫んで、立ち上がって、目を大きくしたスミレに裾を掴まれて気づく。

 まるで階段を駆け上ったかのように、胸がバクバクと早鳴りしている。汗が吹き出し、小刻みに震えている。

 怖い。恐ろしい。この先、すぐ先に待っている時間を怖がっている自分を自覚する。

 この腐った仕事場から抜け出られるのなら。でもそこにも誇りをもってやってきた。でも。

 多くの男を手玉にとってきた。女が一人で生きていく為とはいえ、遊び女という仕事で汚れてしまった。心も体も、乙女ではない。

 だから、私は駄目だ。そこは、駄目だ。本気は、怖いのに。気を付けていたのに。

 なのに、こんなに震えるほどに、浅ましく期待している自分がいる。

 渦巻く頭を抱え震える桜に、アルーンは懐から小さな包みを取り出す。太い指で取り出したのは、真っ赤なサンゴが鮮やかな髪飾りだった。


 「すまん。仕事を手伝ってほしいのは本当だが、本心は違う。まず、こちらから言うべきだった。断られるのが怖くて、外回りしてしまった。すまん」


 結い上げた髪にそっと差し込まれ、荒れた両手が頬を包み込む。気のせいか大きな両手が冷たく、震えている。

 僅かに青混じりの茶色の瞳の中に、不安そうに怯える小娘1人。


 「桜、本当の名を教えてくれ。俺と、アリ・スルーンと添い遂げてくれまいか」

 「……」

 「今まで話しかしてない男に迫られて、不審に思うているのは分かる。だが、忘れられんのだ。あの夜の事が、心地よかったお前との夜が」

 「……」

 「嫌なら、もう二度と顔を出さぬ。仕事の件もあきらめる。だから」

 「ブロッサム」

 「……え」

 「ブロッサムよ! 何度も言わせるんじゃないわよ! もう恥ずかしいなっ」

 

 厳つい顔が、見る間に蕩けていく。両頬を包んだ大きな手のひらが、今度は両肩を抱いて離さない。


 「ば、馬鹿! 離しなさいよ! スミレが見てるでしょ! 」

 「気にしないでいいずらよぉ。ちょっと厨房で仕事してくるけぇ、アルーン様、姉様の事頼むずらぁ」

 「スミレ! 」


 馬鹿だ。みんな馬鹿だ。

 満面の笑顔で部屋を出ていくスミレに叫ぶと、再び大きな両手で顔を包まれる。

 

 「ブロッサム、良い名だ」

 「……馬鹿。あのねぇ、あんたは勿体ないわよ、もっと……」


 もっと若い娘が山ほどいるのに。こんな捻くれた遊び女じゃ、出世も出来ないだろうに。こんな立派な武人なのに、こんな優しいのに。

 浮かび上がる文句がようやく出尽くしたところで、アルーンがゆっくりと首を振る。 

 そうじゃないだろう、と。そうだ。そうじゃない。

 温かな、それでいて強く激しい想いが湧き上がる。

 それなら、私はこの方の隣の地位に見合うだけの仕事をしてみせよう。この先、遊び女と一緒になった事で後ろ指さされる事がないよう、最高の事をしてみせよう。

 絶対に、後悔させないように。一緒に過ごす時を後悔させないように。隣に、いられるように。

 無精ひげが生えたアルーンの頬に唇を寄せる。

 ふうんわりと、懐かしい芳醇な香りがした。

 懐かしい夜の、褐色の香。


 


 


 


 

 

 

 

 

 


 

 これで褐色夜話 終了。

 次回は 14日 水曜日に更新予定。

 仮題 『小岩桜の香』

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