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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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番外編 褐色夜話 3

 テーブルの上で組んだ太い指は、僅かに震えている。程よく筋肉のついた体を小刻みに揺らし、落ち着きなく視線が彷徨っている。

 アルーンと呼ばれた男は、先に見せたセキを警備する武人としての威圧的な雰囲気を失くして震えていた。


 「おじさん、怖いの? 」

 「これスミレ、失礼な」

 「せめてお兄さん、と呼んでくれ……まだ25になってない」


 あら、怖いと言われたことは否定しないのね。いや、そこを否定するほど余裕がないのかしら。

 首を傾げるブロッサムに気づいたのだろう、アルーンはため息をついて項垂れた。


 「聞こえるか? せい……セキ様の鼻歌。あれはとても上機嫌な時のみに出る唄だ」

 「随分と変わった唄ね」

 「俺が初めて警備隊に所属した時に、あの唄を聞いたんだ。もちろん先輩方は震えておった」

 「きれいな唄だよ? 」

 「セキ様は非常に、物知りで発想豊かな方だ。だから、時々、我々の想像以上のモノを作り出す。その、前回は面妖な食べ物を出されたのだ」


 柔らかなな寝台に背を向け、窓際のテーブルに座った三人。震えるアルーンを宥めるように、ブロッサムとスミレが話を聞いている。

 話のタネとなっているセキは、鼻歌を歌いながらスミレが持ってきた盆の材料で何やら作業を行っていた。

 持ってきた材料は、すでに火を熾した小さな火鉢、擂り鉢、茶布巾、土瓶、水、そして牛乳と砂糖と黒子豆。

 火鉢の上では土瓶が湯気を出し始め、先ほど炒った黒子豆を摺り鉢でギリギリガリガリと擦りはじめている。

 背中を向けて、聞いたことのない鼻歌を唄い、嬉々として作業を行うセキの様子に「変わり者」という言葉は浮かぶのだが、アルーンのように恐怖は感じない。

 成り行きで隣に座っているスミレも同じ思いなのだろ。怯えているアルーンを不思議そうに見つめている。

 「皆で楽しもう。今夜は寝かせない」などと言うのだから、何が始まるのかと戦々恐々としていたのだが、2人それぞれが頭に浮かんだ破廉恥で卑猥な想像とは違う結末に向かっているのは確かだ。

 もちろん、それがどんな想像かとは、アルーンもブロッサムも口にしない。まだ幼いスミレに説明する方が恐ろしい。

 賢明なスミレも、そこは敢えて口には出さないのが有難い。


 「あの時も、非常に刺激的な香りから始まったのだ。それはもう、様々なニオイで」

 「今も凄く匂うわね。でも嫌な香りじゃないわ」

 「うん」


 火鉢で黒子豆を炒り始めた途端に、この何とも言えぬ芳醇な香りが漂い出していた。今まで嗅いだ事のない強い匂いは、不快なものではない。いつも扱っている乾燥させただけの黒子豆とは似ても似つかねぬ、癖になる香りだ。

 炒った豆をさらに擂り鉢で砕いているようだが、さらに強い匂いが部屋に充満してくる。肉を焼いた香ばしさとも、茶を入れたときの満ち足りた香りとも、少し違うが食欲をそそる。

 だが、アルーンは震え続ける。豆を砕いている音が、骨を砕く音に聞こえるかのように震えている。

 

 「あの時食べた「かれえらいす」なるモノは辛くて油っぽくて、とにかく濃くて、腹の調子を5日ほど崩した。あぁ……思い出しただけで腹が……」

 「はぁ」

 「不味くはないのだ、多分。西の出身で美味しそうに食べていた者もいたんだ。だが、少数でな、その、不味くはないと思うのだが……」

 「わかったわかった」

 「本当なんだっ」

  

 アルーンの青交じりの茶色い瞳が潤んでいる。その目が必死に訴えかけるほど、厳つい外見と落差を生んで滑稽な状況になっている。だが本人はその事に気づいていないのだろう。

 節だった筋肉質の固い手で、ブロッサムの細い手を掴んでくる。

 いい男っぷりが台無しじゃないの。可愛くなっちゃう。腹の奥底からこしょぐられるような柔らかな気持ちに、思わず手を重ねる。

 

 「大丈夫。今度は私も一緒ですから」

 「……すっ、すまない、その、失礼をしたっ」


 ようやく手を重ねている状況に気づいたのだろう。アルーンが赤い顔のまま風のように手を引っ込めて姿勢を正す。

 スミレがそんな2人をニコニコと見ているのも、ブロッサムを穏やかな気持ちにさせた。

 こんなに穏やかな夜は、随分と久しぶりだ。

 スミレに見せれない生々しさも、苦痛も、屈辱もない。心地よい香りが一層濃くなって部屋を満たしていく。


 「さぁ出来た! 記念すべき最初の一杯は皆で飲もう! 」

 「ひっ」


 妙な音を立ててアルーンが痙攣するのに気づいてないようだ。セキは笑顔で盆を運んでやってくる。

 テーブルの上に、牛乳で満たしたポットと砂糖の入った小壺を置きながら説明を始めた。あの何とも言えない芳醇な香りにテーブルの周りが包まれる。


 「乾燥した黒子豆をしっかり炒って、砕いて、湯で軽く蒸しながら液を抽出するんだ。どんな作用があるかなぁ。「かふぇいん」があれば、同じような興奮や常習作用がでるよねぇ。まぁ、そんなのはいいや。この香り! あぁ、もう2年以上この褐色の香りを嗅いでなかったんだなぁ。たまんないよ! 」


 興奮しているのだろう。満面の笑みでセキは黒々とした液が半ば程入った湯呑をアルーンとブロッサムの前に置く。

 

 「君も少しだけど、どうぞ。でも子ども用には『牛乳珈琲』にしようね」


 スミレの前に置かれた湯呑に、牛乳をなみなみと注いだ。さらに高級品である砂糖壺から小さじ二杯もの砂糖を惜しげもなく入れる様子に、スミレは目を丸くしてしまう。

 土瓶から注がれる褐色の液体より驚いているので、「心配しなくてもお代はセキ様に行くから」と囁くと、小さなため息とともに頷いた。


 「では、懐かしき故郷の味にかんぱーい! 」


 トラウマで固まっているアルーンと、未知の飲み物を前に戸惑っているブロッサムと、砂糖二匙も入ったお大尽な飲み方にたじろぐスミレ。

 その三人に気づいてないのか、セキは湯呑を傾けて一口飲んだ途端に顔を蕩けさせた。


 「『ヤバいヤバい! これ珈琲じゃん! 』


 突然聞いたことのない言葉を叫び、一気に飲み干して天井に拳を突き上げる。


 「ったー! これで俺の食生活充実した!! うわぁ、ヤバいよこれ」


 ヤバいのはアンタだ。という言葉を飲み込んで、ブロッサムも恐る恐る口をつける。

 飲むのは怖くて小さく舌でなめてみると、経験したことのない苦みがビリビリと刺激となって襲い掛かってくる。なんじゃぁこりゃ!

 普段親しんだ生薬の苦みとも違う強烈さに、目が水を求めて彷徨う。その視線の先で、スミレが湯呑を傾け、白い喉を震わせて飲み干した。その飲みっぷりに、鳥肌がたつ。


 「だ、大丈夫なの? 」

 「……っぱー! 甘くていい香りがするー! 」


 お日様のような笑顔に固まると、セキが笑いながら牛乳のポットを傾けていく。

 ブロッサムとアルーンの湯呑に注ぎ、砂糖を二匙。湯呑の中の不気味な黒い液体は魅惑の褐色に代わり、漂う芳醇な香りの中に漂う甘さが食欲をくすぐり出す。


 「最初は『カフェオレ』がいいかもね。甘くて苦みが和らぐし」

 「お代わりしていいですか?! 」

 「子どもがあんまり飲むと、寝れなくなるよ」

 「大丈夫です。あたし、禿だし」

 「寝ないと大きくなれないよ」

 「みんな寝んでも大きくなっとるけぇ、心配いらん」

 「夜中、厠に行かなきゃいけなくなる」

 「そ、それは嫌じゃ」


 いつの間にかスミレの言葉が次第に田舎言葉になっている。それを気にする事もなく、セキは自分の湯呑に「こーひー」と呼ぶ黒々とした液を注いだ。


 「まだ夜は長いしね」


 微笑んで飲む姿を見ながら、ブロッサムも湯呑を傾けてみる。

 牛乳と砂糖の甘く濃厚な味と心地よい香りが、体の中を通り抜けた。震えるアルーンに微笑みかけ、頷く。

 羽振りの良い客と、その警備の傭兵と、下働きの少女と、酒場宿の女。

 住む世界が天地ほど違うのに、同じテーブルで同じ飲み物を飲む。この寛容で不思議な時間が心地よい。


 「ほら、貴方も飲んで。美味しいわよ」

 「あ、あぁ……これはまた珍妙な」

 

 恐る恐る一口飲んだアルーンの顔はひどく戸惑っていた。言葉を探す子どものような顔に、心が躍る。もっと話がしたい。もっと色んな顔を見たい。もっと笑顔がみたい。まっすぐな男の、心をもっと知りたい。

 アルーンの青交じりの瞳に微笑みながら、湯呑をカツンと合わせた。


 「この不思議な夜に、乾杯」

 


 


 


 


 


 


 


 

 

 

 次回 10日 土曜日に更新予定です。

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