番外編 褐色夜話 1
今回も初登場キャラで。
しかも、美女設定。ハルキは脇役で。
外の喧噪に誘われるように、ブロッサムが吹き抜けの窓辺に近寄ると一際騒がしくなった。
お世辞にも上品とは言えない言葉での賛美だが、それでもかまわないと彼女は思っている。肥溜めのようなこの場所では、十分だ。
「今日も相変わらずの別嬪だな」
「今晩空いてんのか? 」
「ちょっと下降りてきてくれよ」
「どーしよっかなぁ。何かおもしろい事ある? 」
水タバコで煙る階下の酒場には、汗と土埃にまみれた男達で溢れている。
年明けに起きたクマリ再興の宣言によって人が四方八方集まり、地平線の彼方まで至る所で男達が土を掘り起し、岩を転がし、それらを高く積み上げている。女達は泥をこねレンガを作り、漆喰を捏ねる。子供は家族の為に川で水をくみ上げ、海に行って魚を釣り、山で果実を摘む。それが出来ぬ小さな子は干潟で貝を掘り集め、薪を拾い、さらに小さな妹や弟の子守をする。
誰もかれも、働いている。かつて住んでいた土地を、もう一度豊かにするために。戦から逃れた日から持ち続けた夢を現実にするために、誰もが骨身を惜しまずに働いている。
もちろんブロッサムも働いている。
ここは独り身の男に酒を注ぎ、春もひさぐ酒場宿だ。ここら一帯はそんな酒場宿や、男達相手の飯屋、宿屋で働く女たち相手の雑貨屋やら反物屋やら、細胞が爆発的に増殖するように日々街が無秩序に大きくなってきている。
最近の賑やかな街の様子は、この宿場で働き出した三年前が遠い昔のような錯覚を起こさせもする。まだ三年なのに、もう三年。
まぁ、少しは色気もついたしね。
そう前向きに捉えて、手にしたグラスの中身を舐める。黒子豆を砕き、苦み隠す為に蜂蜜を混ぜた最近のお気に入り。蜂蜜は、クマリの地では手に入りにくい。その上物を寝起きに楽しむブロッサムは、この宿場で最上級に上物の婦人だ。ここら一帯で「月下桜」と言えば、ブロッサムと名が通った売れっ子だ。日夜逆転の生活も、恋の駆け引きも慣れたものだ。
今宵は何か面白い事でも起きるかな。
グラス片手に階下に降り、カウンター向こうに軽食を頼む。
半円に切ったナンの中に野菜や炙った肉の欠片を手際よく入れていく手元を見ていると、横に馴染んだ水タバコを盆に載せた少女がやってくる。
「今日は階下なんですね。あ、また妙なもの飲んでますね。不味くないんですか? 」
「この苦みが体によさそうなのよ。ふふっ。今日はねぇ、何か面白い事起きるかなぁって思ったの」
「桜姉様の言う面白いコトって、難しそうです」
「そんな事ないわよ、スミレ。それなりに心ときめけば」
「心ときめく、かぁ」
ブロッサムがスミレと呼んだ少女は、笑うと幾分か柔らかい印象を出す。クマリの民特有の黒い髪に、混血なのか白い肌を赤い着物で隠している。
血は繋がっていないが、ブロッサムにとってこの街での妹のような存在だ。親はどこで何をしているかも判らないが、人買いに連れられてこの宿に来た時点で察するに余りある。それでもスミレは水仕事も力仕事も、嫌な顔みせずに黙々とこなしていく。その健気さに目を止めたブロッサムは、自分専用の禿として買い受けたのだ。
しっかり者のスミレは、細やかな気配りをするのですっかり重宝している。服に香を焚き染めてくれるのはもちろん、趣味である漢方の生薬を命じなくても買い足してくれるので有難い。
その働きに対して、ブロッサムは最大限出来うる知恵で答える事にしていた。
この色街での処世術だ。客の見分け方、付きまとう男から身を守る術、細々とした酒場宿の女たちの争いで勝ち残る術も。
カウンターの向こうから出されたナンを器用に半分に割くと、スミレに差し出す。
「裏で食べなさい。この時間にこっちに来ちゃ駄目よ」
「裏で食べると取られるけぇ……ここで食べたい」
「……食べたら、すぐに調理場へ行きなさいよ」
「うん! 」
「あらスミレちゃん、こんなとこいるとオオカミに食べられちゃうわよぉ」
赤銅色の肌に緩く波打った褐色の髪を結い上げた「紅蘭」が、口いっぱいにナンを詰め込むスミレを酒場から影になるよう、さらに豊かな胸や見蕩れる腰回りの曲線を際立たせる角度で立ってくれる。物陰に隠れて一心に食べているスミレは、まるで小動物のようで可愛らしい。世の中、色んな性癖の男がいる事を知っている酒場宿の女の気遣いだ。
追加で茶を果汁で割った飲み物を差し出すと、何も言わずに笑顔で受け取る。
「紅蘭」は、この酒場宿で数少ない、親しい仕事仲間だ。
食べ終わったスミレを、二人で背に隠して調理場へ移動させる。
調理場も忙しく過酷な仕事場だが、中年女性ばかりなので酒場宿特有の危険がない数少ない安全地帯だ。スミレは飲み込みが速く、調理場でも可愛がられているようなので安心だ。
さて、今日の仕事を始めようかしら。
改めて水タバコを咥えた時だった。
「あら、新顔が来たわよ。あまり見ない毛色の坊や達ねぇ」
紅蘭の声と共に、雑然とした酒場に唐突に涼しげな夜風が舞い込む。その心地よさに視線が動いた。
ちょうど、幾人もの若者達が扉から入って来る。
まだ二十代の前半、ブロッサムより少し上だろう。若い男達は上機嫌に話しながらカウンター近くの奥の席に座り、売り子の女性が斜めに構え下から豊満な胸を誇張させて注文を聞く。と、爽やかな笑顔で果実酒といくつかの揚げ物を頼んだ。売り子は胸を押し上げるように組んだ腕を解き、やれやれといった風情で背を向ける。
どうやら春を買いに来た訳ではないらしい。戻ってきた売り子に「まだ夜は長いって」と紅蘭が声をかけると、苦笑いを返してやってくる。
「ざんねーん。何か、結構いい感じの人多いんだけど」
「好印象を残しておきなさいな。飲み客に押し売りしても勿体ないわよ」
「うん。けどねぇ、上客だよ。どこの船の男だろ。よしっ、も一回頑張ってくねっ」
カウンターに置かれた6杯のジョッキを器用に持ち意気揚々と再び戻る背中を見送り、首を傾げた。
確かに、すでに一杯飲んできた様子なのに背筋は伸びて、誰一人崩れた格好はしていない。土埃にまみれた土方とも現場を指揮する工員とも、違うニオイが漂う。
大量の物資を運ぶ船は、多くが近くの湊に停留している。そこから荷運びの船夫が大勢遊びに来るのだが、荒々しい筋肉の固まりのような船の男達とも違う。
スラリとした体つきだが、猫のような印象を持たせる動き方。
よく見れば腰に一振りの刀を下げて、その剣帯は同じ型のようだ。そして、申し合わせたかのように大部屋の四隅と出入口に一人づつ立った。まるで何かを警戒するかのような雰囲気に、他の飲み客も何事かと気づきだす。
ひょっとしてこれは、武人かもしれない。クマリの武人と言えば、神苑の陣に関係した者だ。同じ型の剣帯を用意出来る財力を持っている所など、今のクマリでは限られている。
陣の関係者か、それにつながる商人か。あの男達の中に、彼等の主人なり守る対象者がいるという事か。
「上玉」
「うん」
喉を震わさずに囁いた「紅蘭」の言葉に頷き、最後の一かけらを飲み込んだ。
細かい事はともかく、大物なのは間違いない。この曖昧な地域を支配しようとしている者達だ。うまく取り入れば、将来は奥方様だ。
酒場の中にいた売り子はもちろん、二階から気だるく見ていた女達の視線がギラギラと光りだす。
こうなるとブロッサムの欲は急激に地の底へ落ちていく。
悪い癖ともいわれるのだが、争って血眼になって奪い取るのは、恰好悪い。そんなんだったら、いらない。そう思う。
私は、そんなんじゃない。
「あらら。皆さん興味津々に見てますけど? 誘わないの? 」
「紅蘭、意地悪言わないで」
「でも上客よ? 」
「結構。めんどくさい争いは嫌よ」
「それはそうだけど。お、始まったわ」
確か、先月の指名が二位だった「牡丹」だ。強く巻いた金色の髪をかきあげて、ゆっくりと階段を下りてきた。微妙な角度で腰をくねらせ、着崩したロープの端から真っ白な太ももが眩しく覗かせる。
酒場の男達の間から、息を飲む気配と唾を飲む音が漏れた。男達の視線を釘つけにして、彼女が挑発的で好戦的な視線をブロッサムに投げつける。
ご勝手に。
口にこそ出さないけど、にっこりと微笑み返してグラスを傾けた。
これ見よがしの色気にかかるような男達じゃないと思うけどな。という考えはわざわざ口にしない。まぁ、忠告したところで素直に「牡丹」が聞くとは思わない。
酒場中のギラギラした男の視線を集めて、彼女は売り子を押しのけてテーブル客に挑んでいく。
すると妙な事が起こった。笑顔で談笑していた男達が、一斉に上座に座った男の顔を窺った。髷がまだ小さな、彼らの中では年長な優しげな顔つきの男だ。
「僕に遠慮しないでいいよ。遊びたい人はどうぞ? 」
柔らかな声が微かにカウンターのブロッサム達にも届く。
隣の紅蘭と売り子と、思わず顔を合わせる。
あの指名2位の「牡丹」を、興味なしと流した。魅惑的なあの肉体と視線を自然体で拒否した男など、今まで見たことも聞いたこともない。
上座に座った男が気を配っているようだが、明らかに集団の主は彼だ。彼の意思一つで、男達は動くのだろう。しかし彼は、若い男達の意思を確認している。
「あ、そういう訳じゃないのかな? ごめん。僕らは飲みに来ただけなんだ」
「そんな寂しいこと言わないでぇ、少しお話しましょうよぉ。お酌しますわ」
むせ返るほどの色気を放出し果敢に攻め入る「牡丹」は、熟れた果実のような胸を巧みに見せて年長の男の隣に割り込んだ。この辺りの身のこなしと洞察力はさすがだ。
一番の上玉は、年長の優男と狙いを定めたらしい。なるほど、柔らかな笑顔と声は押しに弱そうだ。
これは押しきりでお部屋にお持ち帰りされちゃうかなぁ。
そう傍観していた途端だった。
「僕らは飲みに来ただけだ」
先の柔らかな声ではない。相手を気遣う事ない、はっきりとした拒絶の色を出していた。
その急変ぶりに「牡丹」の顔が明らかに引きつる。拒絶された事のない彼女が、メラメラと怒りの感情を燃やし、肌で感じられるほどの私怨の燃え方に慌てて紅蘭が立ち上がる。
ちょうどカウンターから出された皿に伸ばした紅蘭の手を制し、皿を受け取った。
「私が行く」
「あのテーブルに二人も売れっ子が集まったら、他のお客さん達が納得しないでしょうがっ」
「どっちでもいい! アイツを止めろっ」
自尊心を砕かれた怒りのまま「牡丹」が上客に喧嘩吹っかける前にを止めなければいけない。
店内の「牡丹」ひいきの客達が、憧れの女からの誘いを断った集団に厳しい視線を投げ始めている。このいざこざが大きくなるのはマズイ。
カウンター向こうの彼女達の雇い主が、大きな腹を揺らしてやってくる。
その時だった。
優男がにこやかに声を上げた。
「じゃあ、一緒に飲みましょうよ。おじさん、こっち来て話をしましょうよ。昼はどこで働いてらっしゃるんですか? 」
隣のテーブルで飲んでいる中年達に、グラスを掲げて声をかけた。
笑うとさらに朗らかな雰囲気に華がでている。思わず惹きつけられる屈託のない笑顔に、声をかけられた男性たちも思わず、と言った風情で返事を返す。
その返事に笑顔で頷き返す。
「よかったら一緒にどうですか? 奢らせて下さい。ね、こっちのみなさんにお酌して下さい」
自らグラスを持って立ち上がると、「牡丹」の背にさりげなく手を添えて隣のテーブルへとエスコートしていく。
ここ界隈では見ることのない上品な立ち振る舞いに「牡丹」は目を丸くしたまま従う。
いつの間にか、店内の殺伐な空気は消えて「あわよくば奢ってもらおう」という輩、「酌をしてもらうだけで金がかかる売れっ子の酒を飲もう」という輩で盛り上がっていた。
緊張で固まった体が溶けるように椅子に落ちる。
隣の「紅蘭」から零れた「助かったぁ」の言葉に、ただただ頷く。
あの優男に、助けられた。
何事かと顔を出してきた調理場の女達も主人に「儲け時だ! 」と喝を入れられてんてこ舞いだ。
これは、今日の仕事はないかも。
土方の若い男も、船員も、明らかな密航者も、酒を酌み交わして和やかで賑やかな時間が流れ出す。
大宴会の様相の酒場を隅で眺めなていると、いつの間にかに優男が横にいた。当然のように厳つい男達が周囲で警戒を怠らないで幾人かいるが、優男はそんな彼等を気にする様子もない。
その彼が興味深そうにグラスの中身を覗いているので、無言で差し出す。娼婦である自分ではなくグラスの中身に興味があるとは、変わっている。
今までの男は、酒でないと分かった途端に露骨に逃げた。この男はどうだろう。
受け取ったグラスに鼻を近づけて、そして彼の眼が見開いく。
見たことのないような青い瞳だった。
「これ、何が入ってるの?! 」
次回は明日 8日木曜日の更新予定。
そろそろ冬休みが終わるかな。