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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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番外編 春雷 4

 水辺の精霊を連れて風の精霊が空高くに飛び去っていく。その勢いで風が唸る音を響かせる。

 「急に天気が崩れるのはダショー様がお嘆きになっているからだって、母様が教えてくれたなぁ」と、言っていた兄さんの声が耳の奥に蘇る。穏やかで優しい、懐かしい声で。

 さっきまで霞かかった春の空に、雷鳴を轟かせた漆黒の雲の城が聳え立ち始めた。急展開の空模様に、森の獣達も騒ぎ出す。

 肩を震わす聖下にかける言葉が見つからぬまま、蘇った兄の声で気づく。

 目の前の火事跡。よく見れば、真新しい柱が打ち付けられ、その前に一束の花と筆が置かれている。

 何も書かれていない、けど綺麗に掃き清められている墓標と一本の筆。

 その前で嵐を呼び、声を押し殺して肩を震わす聖下。

 

 「叔父上、あの、雨が」

 「アフラ……花を摘んできておくれ」


 背後から掛けられた声に振り返られず、墓標から目を離さずに答える声が僅かに震えてしまう。

 覚悟はしていた。もう分かっていた。なのに、供えられている一本の筆に心が揺れ動いた。

 供えられた筆が、あの質素な墓に眠るのは鬼神と恐れられた室南分家のテリンであり、下手な絵好きの兄だという証し。

 大粒の雨が降り出して、離れた宴席から慌てふためく声が流れてくる。容赦なく叩きつけ始めた雨粒が幸いだ。これで、愛しき姪の前で涙を流せられるのだから。


 「叔父上」

 「あぁ、用意されていたのだな」

 「叔父上」

 「今は泣きなさい。泣けばいい」


 横に並んだアフラの手には、綺麗に束ねられた小さな花輪が二つあった。

 零れる嗚咽に、そっと肩を抱く。雨の向こうの気配に気づいて顔を上げると、後ろに控えていたテンジンと目が合った。

 彼は、知っていたのだろうか。深くお辞儀をすると静かに去っていく。

 風が吹き荒れる中、アフラの嗚咽が雨音にかき消される。

 金色の玉獣がぐっしょりと濡れたまま、聖下の足元に座る。いつまでも付き合うと、そう言いたげに緑の瞳を閉じた。


 「泣けばいい。泣きなさい」


 きっと涙が供養になる。

 痛いほどの大粒の雨粒が、嗚咽も涙も洗い流していく。

 兄さん。みんな、ここにいるよ。貴方が守ったものは、ここにある。

 新しいクマリという国が。新しい民が。兄さんに似ないで筆の才能がある娘が、優しくて涙もろい、新しいダショーが。





 薄汚れた墓標に水を掛けると、音を立てて蒸発していきそうな熱さ。それでも墓標周辺は瑞々しい草や花に囲まれている。ちょっと前まで燃え跡が見えてた場所も、緑が生い茂っている。


 「なんだか、また大きくなりましたね」

 「アフラもそう思うか」

 「思いますよ。だって、ほら」


 微笑んで指差す所を見て、思わず口の端が綻ぶ。

 つい先日の墓参りで芽が出たことに気づいた若木が、すくすくと伸びて墓標を追い越していた。それは自然にはありえない速さでの成長だ。

 きっと聖下がここで唄を唄っているのだろう。この場所は他のどこより清らかで和やかな精霊の空気に満ちている。


 「なんだかあの木、父上みたいって思うんです」

 「ほぅ」

 「ひょろっとしてるでしょう? それでいて、風が吹いても動かない。父上の背中みたいです」

 「そうだな……線が細い印象だけど、一旦決めたら微動だにしない人だったからなぁ。頑固で強くて。うん、そうだ。下手な絵好きも変えなかったし」

 「一度、父上の描いた絵を見てみたかったなぁ」

 「やめとけやめとけ。本当に酷い出来だったんだから」


 本心から出た言葉に、アフラの頬がぷぅっと膨らむ。眉間に皴を寄せて顔を背けてしまう姿に、ついつい笑い声が出てしまった。そんなオレに構ってられないと言うように、アフラは独りで墓標の前に包みを広げ、好物だった果物を並べて、そっと祈る。

 いつの間にか、兄さんの事を笑顔で語れるようになっていた。そのアフラに、聖下から聞いた最後の様子を話せる日も何時か来るだろう。きっと、受け入れられる。

 全てをクマリという国の為に投げ出した人生を。その為に体も魂も差し出した最後を。それを断ち切った聖下の行動と懺悔を、苦しみながらも受け入れられると思う。

 その日まで、この事はオレと聖下の胸の中だけに留めておくつもりだ。


 「これは……失礼しました。リンパ殿も一緒でしたか」


 僅かな風と共に、黒い玉獣に乗ったテンジンが空から降りてきた。

 そういえば、アフラは昼から湊予定地の測量に行くと言っていた。まだ玉獣を持たないアフラを送っていくつもりだったが。なるほど。

 予定を聞いたテンジン殿は、そそっかしいアフラを心配して忙しい近衛士の任務の合間に時間を作ってきてくれたのだろう。

 人手不足とはいえ、女の身で測量をして地図を描く仕事をしているアフラを気にかけてくれるのは、嬉しい事だ。叔父の身からすれば心配事だらけなのだが、この青年はマメに遠出の測量に付き合ってくれる。他に測量を担当する者も同行するから、妙な事にはならないと思うのだが……保護者の身からすれば気になるところだ。


 「湊の測量の予定を聞きまして、手伝えることがあればと来ましたが……リンパ殿と行くのなら」

 「アフラ、テンジン殿と一緒に行きなさい」

 「でも、叔父上に」

 「私もこの後視察せねばならん所がある。だが地図の作成は早急な任務だ。まだ治安も良くないから一緒に行った方がよい。テンジン殿、アフラを頼むよ」


 顔を赤くして戸惑うアフラの背中を押してやる。この温かなぬくもりを、兄の代わりに見届けよう。この青年なら、きっと安心だ。だが念の為。


 「夕方までには帰るのだよ。くれぐれも茂みに入ったりとか、するなよ」

 「任務に行くのです。茂みも川も沼も、必要なら入りますよ? 」


 先までの戸惑いは消え、まだ意味が解らないアフラはきょとんと返事をする。可哀そうに、テンジン殿の方が頬を赤らめている。少々意地悪がすぎたらしい。

 何も気づいてないアフラの「行ってまいります!」と元気な声を残して、二人を乗せた玉獣が空へと舞い上がる。

 入道雲に向かって小さくなる影を見送りながら、眩しい日差しに目を細めた。

 生き物が生を謳歌する夏が、もうじきやってくる。

 


 

 





 


 

 次回 1月7日 水曜日に更新予定

 仮題 『褐色夜話』


 あぁ、正月が終わるぅ……

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