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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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番外編 春雷 3

 真昼間から飲む酒は美味い。甘美とはこの事。怠情と罵るなら罵れ。明日から我らは猛虎のごとく働くのだ。

 誰ともなくそう独り零しては杯を重ねる。  

 まるで夢のような光景だ。

 昨日まで疑心暗鬼だったクマリと船団が共に作業して飯をつくり、互いの皿へ配膳し、酒を飲みかわし、肩を組み、同じ未来を向いて語り合っている。

 宴が進むほどにその距離はどんどん狭まり、交わり、今や一体となっていた。一際大きな輪の中心にいるのは、あの金髪の美しい娘だ。

 エリドゥから聖下自ら助け出されたという宵の巫女は、むさくるしい男共に取り囲まれて三日月より優美な眉を八の字にしているが、彼女の美しさで場が和み団結を深めているといって過言ではない。

 その美少女の両脇を同じ顔をした兄と熊のような大男が渋面で守っているが、その屈強の壁を物ともせずに若い男達が互いの知力と話力を絞り果敢に挑んでいくのだ。団結もますます高まる。

 若いとは素敵な事だ。

 ツワンはカムパ殿と武術の話をしているらしく、酒で大きくなった声が風に乗って切れ切れに流れ聞こえてくる。

 タワはリュウ大師という神殿から来られた聖下の元侍従の話を時折頷きながら聞いている。遠目でも紅潮した顔が分かるほどだ。 

 サンギ殿も小さな姪と果物を摘まみ、少ない女達と酒を飲んで楽しんでいる。

 そして少々困った事。

 昨日お世話になったテンジンという近衛士。いったい何があったのだろう。

 あの若造はよりによって私の大事な姪の隣に座って談笑している。二人とも果汁で割った薄い酒を酌み交わし、頬を赤くして、視線を合わせ、そして時折俯いて。

 あぁ! そんなにくっつくな! その右手をテーブルの下に入れるな! もしや手などに握ってはおるまいな! これは叔父として間に入らねば!

 腰を上げると隣に聖下がにこやかに座った。


 「テンジンは良い漢ですよ」 

 「聖下」

 「その聖下ってのはやめてください。どうにも慣れなくって」

 

 目尻を酒で薄紅色に染めて困ったように笑う。

 だが、呼べる訳がない。

 手の中の杯を一杯煽り、覚悟を決めて頭を下げた。


 「お言葉は勿体なく思います。しかし優しいそのお心だけで十分でございます」

 「うーん」

 

 冬至の祭での様子を見ている。大地からの呪詛で凍えられた身で一晩祈り続け、天からの慈雨を呼んだあの奇跡を見ている。

 この方が謙虚にされようとも、心から膝を寄せようとなさっても、この御方は我らクマリにとって唯一絶対の聖人だ。聖下という尊称をやめるなど考えられないし、許されない事だ。

 

 「我らにとって、聖下の尊称を失くす事は出来ません。どうかお許しを」

 「うん……そうだね、どう呼ぼうと、それは貴方達の自由だ。うん、自由だ。だけど……俺はそんな尊称で呼ばれる資格なんて……」


 不意に言葉を止めて、遠くを見つめる。若葉が茂る一画をみつめる。

 その眼差しが苦しそうで、「聖下? 」と声をかけると小さく頷いて立ち上がる。

 

 「リンパ、来てほしい所があるんだ」

 「今からですか? 」

 「少し話をしよう。ちょっと待ってて」


 そう言って、テンジンの所へ行く。一言二言を話しかけると、すぐに戻ってこられた。

 ひどく、悲しげな顔で「こっちに」と呟いて先を歩いていく。

 一体、オレだけ連れて何を話されるんだろう。

 やっぱり「聖下」と呼ばれるのは嫌なのだろうか。船団側のように「ハルキ様」と御呼びするのが良いのか。

 いや、きっとその話ではない。

 呼び方ひとつで気持ちを荒げる方ではない。冬至の日からお傍にいるが、聖下はそんあ小さな器ではない。では、オレ1人と何の話をなさるのだろう。

 目の前を歩く背中は細い。こんな頼りなさげで、穏やかな青年。

 先の戦では、こういう青年は生き残れなかっただろう。

生き残った僅かな大連として、後李の残党狩りから民を守り逃げ惑う日々。頭の中を、数多の残像が駆け巡って心を乱す。

 国が無くなってから、必死の毎日だった。冬を餓死者を出さずに乗り越える為、かつて一人前の証しとして「登城」することをを憧れた雲上殿に忍び入り、柱に僅かに残った宝玉を剥がしてエリドゥの貴族に売りとばした。大切な玉獣で星輿をして顎で使われる仕事もした。風の噂で、生き残って捕えられた女子供が売られた事を聞いても、何一つ出来なかった。エリドゥへ移民していく生き残りがいると聞いて、それが希望になった。何処でもいい。同胞が生きていてくれさえすれば、それでよかった。

 餓えに苦しみ、惨めさを嘆く余裕すらなく、神苑の端で生き残るために、喘いでいただけ。

 最後に兄に会ったのは、天鼓の泉に異界の扉を開きに行く前。後李の宙船が神苑を取り囲み、到達することが絶望的な戦に挑む前だ。普段は姫宮様の護衛で離れて暮らすからか、妙に他人行儀なアフラを寂しげに見つめて「後は頼む」と呟いて行ってしまった。何かとりわけ話す事も、そんな時間もなく。

 選りすぐった武人達が殲滅したと聞いた時、悲しみよりも絶望よりも、これから民を率いていく重責に戦慄した。大連でも分家で末の弟の自分が、生き残って餓えた民を守っていかねばいけない。自分にそんな重い事が出来る自信などないのに、残された姪と民を支えねばいけない。

 異界の扉が開いて、無事に姫宮様が聖下を連れ帰った事すら知らなかった。虹珠採掘場が破壊され、神々しい唄が空を震わすまで、オレ達は何も知らなかった。

 その聖下が、今、前を歩いている不思議。

 ぼんやりと過去の事に心が囚われていた。先を歩いていた聖下が立ち止まられた事に気づき、現実に帰る。


 「俺がこの世界に来た時、何も知らなかった。全て、ミルとテリンが教えてくれた」


 目の前には、燃え残った建物の残骸。炭となった柱が数本、霞んだ春の空へ伸びている。

 真っ黒な焼け跡の中から、生えだした雑草の緑が眩しい。

 その光景の中で飛び出した兄の名前に、心の臓が震えた。酔いが醒めていく。


 「雲上殿でエリドゥの神官達に襲われて、とりあえず逃げてきた場所がここだった。言葉も生活習慣も判らなくって、ここで色々教えてもらった。この世界の事も、薬草や山菜の見分け方とかも。『日本』ではそんな生活した事なかったからさ、洗濯を手でしたりも、火を熾して飯を炊くのもさ、新鮮でさ、すごく楽しかった」


 急に冷たい風が吹き抜ける。砂埃を上げ、空へ巻き上げていく。


 「その時テリンは……怪我しててさ。それでも一緒に東桑って所の市場に行ったなぁ……後李の兵士に蹴られてさ、それでも体張って俺を助けてくれたなぁ」

 「兄、が。兄は生きていたのですか」

 「頑張って生きていてくれた。最後まで、ミルの事を気にかけてた。でもきっと、覚悟を決めてた。だから、本当は……いや」


 言葉を切る聖下の足元の影から、金色の玉獣がゆっくりと姿を表す。寄り添うように、そっと鼻先を指につけた。緑の瞳はギラギラと光るようにオレを見据えている。何かを警戒するように。オレから聖下を守るように。

 あぁ、そうか。

 金色の玉獣の瞳は雄弁だ。彼は、聖下の心を守ろうとしている。心さえも。

 それだけ、辛い事だったのだ。

 なら、オレが言おう。

 

 「兄はやはり、死んでいたんですね」


 オレは何も言えない。責めることなど、出来やしないよ。

 そう言いたい気持ちを込めて、そっと玉獣に笑って見せる。

 オレは自分と僅かな民を守る事で精いっぱいだった。背中に負われた重圧と向き合うだけで精一杯だった。何も見てないし、何も聞いてない。兄の苦悩も想いも知らないのだから。

 そんなオレが何を言える。何も、言えまい。

 震える背を見つめて、自分が思っているほど動揺してない事に気づく。

 肉親の死を伝え聞くのは、こんな感じなのだろうか。

 焼け跡の前で立ち尽くす聖下の方が、よほど身内のように悲しんでいる。


 「呪術を掛けられてた。傀儡の術。知ってる? 」

 「兄が、ですか? 」

 

 聖下の声が、震えだす。細い肩が、小さく縮んでいく。

 足元の玉獣が「やめろ! 言うな! 」と飛び跳ねるが、視界にも入れずに言葉を続けた。

 

 「操られたテリンに大黒丸を刺して、燃やした。俺が、テリンに火をつけた」


 まるで竜巻のような勢いで冷たい風が吹き荒れた。風の精霊は咆哮を上げて空へ駆け上がっていき、遠くに雷鳴が轟く。麗らかな春の空に黒雲が湧き上がっていた。

 精霊の慟哭。唐突に懐かしい言葉を思い出す。柔らかな、温かい声も蘇る。


 次回3日 土曜日に更新予定です。

 

 実家での暇つぶしに、どうぞ。

 箱根駅伝見がてら。炬燵にみかん、小説読んでだらだら~ 幸せ満喫中予定。

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