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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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番外編 春雷 2

 深呼吸したくなるほど清々しい早朝の空気の中、息を止めて身を潜める。ツワンの弓を絞る音まで聞こえてきそうだ。そっと隣を見れば、青い瞳に好奇心と不安げな色を隠すことなく見つめている。

 なるほど。猟を見たことも、したこともないというのは、本当らしい。

 議会が停止になった昨日、「クマリの野山にどれだけ獣がいるか見てみたい」との言葉で、今日は昼まで猟をする事になった。

 あまりに急で取っ拍子もない願いだったが、気分転換にはなる。議会に出席した者全員参加という触れに、若い連中は喜び勇んでいる。すでに野鹿を何頭か仕留めたようで、神苑麓の野山で喜びの草笛がいくつも鳴り響いていた。


 「あれぐらいの、今から追い立てられる大きさの猪は沢山いる? 」

 「狩る人間が不足していましたからね。数えてはいませんが充分な数がいますよ。クマリの大地が枯れてからも、神苑と海だけは魚釣りか猟で生活しても困らないぐらいでしたから」

 「そんなにいるのか? 」

 「ここらの狩場で、我々は大分助けられました。それでも、平野にいる者達を養えるだけの余裕はないでしょう。家畜は必要ですね」


 森の奥から獲物を追いたてる声が大きくなる。目の前の茂みが大きく揺れた途端、立派な体格の猪が飛びだし、小さく空気を切り裂く音がしたと同時に剛弓から放たれた矢が猪の眉間を貫いた。音をたてて倒れる猪に、茂みに隠れていた男達が歓声をあげて飛び出してくる。

 

 「すごいなぁ。弓というのは、かなり威力があるんだね」

 「いやいや。剛弓だったから一発で仕留めれたんです。あれほどの剛弓の弦を引き絞るのは、ここではツワンぐらいでしょう。さすが武人の井家」


 小さな頃からツワンの武術の腕に尊敬しているタワの率直な言葉に頷くと、眉を動かさずに射止められた猪を見つめた。手際よく血抜き作業が行われていくと、離れたこちらにも生臭さが漂ってきた。さりげなく小休止を勧めて、タワが渓流まで案内する。

 その間にも、ダショー様は絶え間なく質問をしていく。開拓をする上で地図が必要だが、先の戦で焼失を免れたものはどれだけの精度か。運河や用水路の傷み具合はどのくらいか。農具や種、初期投資はどれぐらいか。

 的確に、望む以上の答えを返していくタワの様子を見ながら内心唸る。

 ひょっとして、オレ達が思っている以上にダショー様は博学なのかもしれない。これほど具体的に考えているとは思わなかった。異世界では学び舎で講師をしていたと言っていたが、どんな学び舎なんだろう。王立の高等教育の講師なのか。答えるタワの背中が、春先だというのに汗で染みが出来ている。


 「やっぱり先立つモノが必要だねぇ。あぁ、拝観料とか取ろうか」

 「拝観……何を見せるおつもりですか」

 「いや、だからさ、今、朝と夕に大地の気脈を通す為に大祓してるじゃん。あれを寄港してる商売人とかに遠目で見せたりすれば」

 「まさかと思いますが、聖下はご自分をその、種にして……いえ、元手……いや」

 「姿は出さないけどさ、遠目に唄声が微かに聞こえるか聞こえないぐらいでさ、ほら、共生能力持ってるなら、精霊の舞ぐらい分かるし。名物にならないかな」


 にこやかに笑って渓流沿いの岩に腰かけるダショー様の笑顔が恐ろしい。この世界で自分が最も精霊に愛されている存在の意味が分かっているのだろうか。いや、無自覚なのだろう。

 振り返ったタワの顔が青ざめ、唇はわなわな震えだしている。

 恐れ多い。いろんな意味で恐れ多い。そこまで体を張る事も、金銭のやり取りが発生することで精霊の威光を落とすことも。

 

 「それは、そのお気持ちはありがたいのですが、奇跡をお金に変換するのはいけません。何より、今は多くの移住者に紛れて近隣国からの間者も何処に潜んでいるか分かりませんから危険です。船団側も許されないかと思います」

 「うん……そうだなぁ。そうだね。サンギとか無茶苦茶怒りそう」


 人懐っこい顔でニッコリ微笑まれても、心が落ち着かない。

 どうやらご自分の価値についてあまり関心がないのだろうか。以前、異世界では身分がほぼ無いに等しいから屈託なく接してくれていると聞いたことがある。だから理解出来ないか思いもよらないのだろうか。

 ご自分でサンダルを脱ぎ、渓流の水に足を浸して歓声を上げる子供のような様子を見ながら、そう思う事にする。

 このお方は色々と変わっているから、そう納得していくしかない。もちろん直すべき所は進言する。しかし……。

 

 「ここは綺麗な場所だねぇ。あぁ、気持ちいい! 」

 

 木漏れ日を浴びて伸びをする姿を見ながら、ふと思う。

 異世界で生まれ育った聖下に、この世界はどう映っているのだろう。数々の奇跡を起こしてきたこの御方は、この世界をどう生きていくのだろう。それが美しいと見えているなら良い。だが、もし異世界の方に心が動いたらどうするのだろう。精霊に愛されている身でありながら、異世界の故郷へ帰ってしまうのだろうか。

 この人にとって、クマリとは、世界とはどれほど重要なんだろう。それによって世界が揺れ動くのなら、なんと脆いんだろう。

 線の細い背中を見上げながら、小さな不安がよぎる。

 オレは、オレ達は、この人をこの世界に踏みとどまらせられるのか?


 「何か、何かありましたか?」

 「……ううん」


 不意に、視線を感じて考え事から意識を上げると、青い瞳と視線が絡む。何かを憂うような、陰を一瞬で顔から消して微笑むと、タワから差し出された竹筒を傾け「おいしい水だねぇ」とタワと話し出す。

 まさか、今の考えが読まれた……わけは、まさかないよな。

 少しだけ視線を揺らして、顔を背けられた。何でオレを見ていたんだろう。

 息をそっと吐き出して、顔を撫でる。今の気持ちが表情に出てなかっただろうか。

 渓流で顔を洗うフリをしながら、顔を伏せた。

 何も気づいてないのだろう。タワののんびりとした声が、頭の上を通っていく。


 「あと暫くで血抜きも終わりましょう。そうしたら、風通しも良い此処で鹿肉も焼いて食べましょうか」

 「あぁ、それなんだけど」


 言葉を止めて、少し躊躇うように言葉を止めた。

 濡れたままの顔を上げると、青い瞳が再び躊躇いがちに揺れてオレを見つめた。


 「昼飯は、約束している所があるんだ。仕留めた獲物を持って、皆で行きたいんだけど」





 3頭の鹿と大猪を吊り下げて向かった先は、随分と古ぼけた宿陣だった。十年以上前に後李と交易していた時に旅人や商人が使った街道沿いに出来た宿場の一つだ。

 戦から神苑は荒れて妖獣が生まれていたから、ここに立ち入る者は限られていた。建物は風雨に晒されて汚れていたりするが、少し痛んだ部分を直したらどれも使えそうなものばかりだ。


 「なるほど、ここを使うとは考えていませんでした」

 「ここなら、新たな陣として使えそうですな」


 着地したタワやツワンも思わず感嘆して辺りを見渡している。その中で、ダショー様だけはじっと遠くを見つめて寄り添う玉獣の首元を撫で続けていた。

 何かあるのだろうか。

 若葉が茂る片隅を見ていると、不意に振り返った。


 「こっちに鹿とか運んで下さい。さぁ、お昼にしよう」


 若い連中は歓声を上げて鹿と猪を運んでいく。が、その先にいる集団を見て足を止めた。

 一際大きい宿場の前で机を並べていたのは、船団側の連中だった。

 お互いに昨日の事を思い出し、固まった。その沈黙の中をダショー様は変わらず歩みで進んでいく。


 「急にお願いして悪かったね。魚はどう? 獲れた? 」

 「は、はい。デカいのが……」

 「うわ! これ『マグロ』みたいだ! こっちも大漁だったよ。ほら、鹿と猪! 」


 船団側からどよめきと歓声が上がる。若い連中は素直だ。

 船団側は鹿と猪を見て「肉肉! 」と、我らクマリ側は「デカいデカい! 」とはしゃぎだす。

 すでに炭に火が熾され、あとは切って焼くだけだ。腕に覚えがある連中が声を掛け合い、獲物を次々と解体していった。

 串に刺さった肉や魚が火に炙られる頃、宿の奥から大きな盆が運び出される。

 大量の握り飯に、食べやすいように切られた果物。そして、氷や雪が敷き詰められた盥の中に大量の酒土瓶。

 クマリ側も船団側も、息を飲んで動きが止まる。

 この時期に大量の氷は神苑奥にそびえる山脈の頂きにあるか、ないか。しかもどれも僅かに青味を帯びて見たことのない純度だ。

 果物も、色鮮やかで見たことのないモノが多い。船団側の若者が聞いたことのない名を呟いてどよめいている。


 「これは、ハルキ様からの贈り物ですよって」


 気づくと、金色の髪を結い上げた美少女が微笑んで杯を配っていた。確か、冬至祭の際にダショー様自ら神殿から救い出した少女だ。見れば留守番をしていたはずのアフラも一緒に杯を配り、酒を注いで回っている。

 

 「これは一体……」

 「昨夜から、ハルキ様自らあちこち飛んで用意してくれはったんですわ。無茶しはるわぁ」

 「シヴァ山の山頂近くの氷と、南方ニライカナイから取ってきた果物だそうです」


 船団側も知らなったのだろう。サンギ達が眼を見開いてダショー様を見つめ、何か言いたげに口をあけ、そうして黙って頭を垂れた。

 危険だったのに、あえて用意された事も驚いた。だが、その品がクマリの民が敬うシヴァ山の氷と、船団の彼らにとって魂の故郷と言っていたニライカナイの果物と聞いて、胸がいっぱいになる。

 どちらも分け隔てなく、それどころか互いを引き立てるように盛り付けられた品々。

 それを、エリドゥ出身の者が両者に配膳する。これが、ダショー様が描く新たなクマリの形なのだろう。

 ツワンとタシも、黙って頭を下げる。その肩が震えている事に気づいたが、何も言わない。

 若い連中も頭を垂れていく。その中で、慌てた様子の声だけが響く。


 「そ、それはいいから、早く乾杯しようよ! せっかくのご馳走が焦げるよ! 肉が焦げる! 」


 恥ずかしさを隠すような声に、思わず頭を上げて顔を見合す。

 なんと、不思議なお方だ。

 半ば強引に、音頭を取って杯を掲げられる。


 「新生クマリの門出を祝って! 来年もこうやって皆で祝えるように! 乾杯! 」

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 あけまして おめでとうございます。

 筆が相変わらず遅いですが、今年もひいきにしてくださると、液晶画面の向こうで謎のダンスを踊って喜びます(笑)。

 今年もよろしくお願いします。


 次回 2日 金曜日に更新予定です。

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