番外編 春雷 1
初登場 テリンの弟です。
えーっと、テリンは二章に出てきた男の人です。はい、ミルの先生です。
初登場の人がチラチラ出てきます。
天幕に吹き込む風は青く爽やかだ。神苑は高地にあるからだろうか、心持ち街より涼しく感じる。
でも心地よさを感じている者はいないだろう。この場を支配しているのは、静かな苛立ちと焦りと恐怖だ。
「叔父上……これから先、どうなるのですか」
「大丈夫だ。気にせずとも良い」
大き目の茶色の目を潤ませるアフラの頭をポンポンと撫でると、耐え切れなくなったのか天幕の外へ小走りに走っていった。
しょうがない。あの子はまだ十五の少女だ。算術と記憶力が人より秀でている故に、こんな大人の泥沼の場所に出ているだけだ。本当なら、もっと女らしい事をさせたいのだが、このご時世の大連に繋がる室家の南分家に生まれたからには、その自由はない。この場に連れてくる前に、こうなる可能性を覚悟すべきだった。
巻き込んでしまい、その辛さを負わせる事。自分の力不足と配慮のなさに、さらにイライラが募るばかり。
煙管に火をつけて煙を吐き出すと、改めて机に並んだ書類を睨んでいく。船団側が用意した煙草が予想以上に上等な事も、イライラする。亡国以来、煙草のような贅沢品は手にしたことすらなかっのだから。
新生クマリには問題が山と積まれている。
大地は再生しつつあるが、この地には何もない。ようやく雑草が生えだしたこの地に、移住者達が持ち込んだ家畜が、生えだした草を食べてしまい問題になっている。
生活する上で欠かせない真水も、穀物も、住宅を作る木材すら、足りない状態。状況をまとめる自治すらない。この上勢力争いをする時間も余裕もないというのに、若い連中が失敗をしてしまった。
視界の端で若い連中が萎れているのが見える。テーブルを挟んだニライカナイ側の若い連中も顔を青くしながら項垂れている。
どうしたもんか。
「リンパ。大丈夫か」
「大丈夫な訳ないだろう。参ったな」
「あぁ、まったく。だが、若い奴らの気持ちも判らんではない……火種をくれ」
隣のアフラの席に座って煙管を取り出したツワンの言葉に、返事をしないで紫煙を吐き出す。差し出した煙管の先を勝手に使って火をつけるツワンの後頭部を眺めながら、ふと思う。
こんな時、兄ならどう事態を収めるだろう。テリン兄さんなら、どうするんだろう。
優しげな茶色の瞳の笑顔を思い出してしまい、煙管を咥えて深く息を吸い込む。
背中を追いかけてた幼子ではないのに、まだ思い出す自分が腹立だしい。
オレは、もう30半ばを超えたというのに。
この天幕で自分より年上の者は、ニライカナイ船団の統率者達ぐらいだ。あの豪傑なサンギという女と、算盤を弾いているイルタサという坊主頭と、妙にキツイ目つきのカムパという武人。
その下に控える、引き締まっていい目をした若い連中も沢山いる。
それに比べ、我がクマリは人材から不足気味。戦で支配層である大連の主系が途絶えた為に分家の者を集めたのだが、日々の生活を送るだけで精いっぱいの家が大半だ。学問を修めた使えそうな人材をかき集めても、この天幕にいる者達のみ。しかも、十年前の事は何も知らない若い連中だけ。女であるアフラを出さねばならぬ程、クマリ側は弱弱しい。
「担当責任者の大半がニライカナイ船団では、こちらの面子が立たぬ」
「まぁ、な」
「ここはクマリだ。もちろん、船団側が尽力してくれたのは解るが」
「おぉ」
「この国は我らクマリの……リンパ、聞いておるのか」
「あぁ、聞いているぞ」
紫煙を吐き出して返事をすると、ツワンの太い眉が眉間に寄る。深い深い皴が刻みこまれた顔を見て、こいつは井家の誇りとやらが強かったと思い出す。
国境を守る防人の家として、この状況は気が狂いそうな程の屈辱なのだろう。
「でもさ、ダワを見てみろ。ちゃんと船団側と交渉もしてるぜ」
「あ、あやつは、昔から口が上手いからなっ」
鼻から紫煙をモウモウと吐き出して唸るツワンの、テーブルの向こうで奮戦するダワを見る。昔から刀より遊戯盤の戦術を読むのに長けていたダワは、解決方法を探るために船団の中に一人で話し合いに行っていた。
どちらが話の舵をとるかで争っている場合ではない。しかし、我々が役不足だからといって船団側に譲る気は更々ない。ないし、譲っては旧クマリの支配層に繋がっていた者達が納得しないだろう。
対するニライカナイ船団は、大金をクマリの為に共生者の為に費やしている。共生者の保護が、彼らの先祖と初代ダショーが交わした盟約というが、その事はクマリ側の誰一人知らなかった。クマリの乱が起きるまで平和な世が五百年も続いたのだから、知る者も今までほとんどいなかっただろうし、彼らも表だって活動を盛んにすることもなかったらしい。そうして、その船団という名の通り、国土もなく自治らしい自治もなく、彼らの実態は国境を越えて商売を行う大卸の船屋。そうして、生まれた時から商売人風情の彼らに第一期の議会初日から翻弄されている。
この地に生まれたクマリとして、口惜しいのは理解する。手持ちの金もなく謝辞ばかり述べる悔しさもあるだろう。このままでは国の中核を奪われると憂うのも判る。
議場の天幕も、飲み物も今吸っている煙草すら、船団が用意してくれた物だ。
だが、その不安と苛立ちを口にして罵るのは、一番してはいけなかった事。
若い連中は、大柄な船団の若い連中の態度にぶち切れた。売り言葉に買い言葉。見事な喧嘩腰での罵り合い。クマリを金で乗っ取るつもりか、と。
そのあまりな汚さと勢いに、議場の上座で様子を見ていたダショー様が今日明日の議会の停止を宣言したのは先刻。
冬至の祭で初めて挨拶して以来、常に穏やかで柔和な笑顔だった聖下が無表情で立ち上がった時の気迫は凄まじく、天幕の中が全て凍りついた。抑揚なく述べられる言葉でこの場を凍結させて、天幕から去って行かれた。残された我々が事態の大きさに気づいたのは、その直後。
「……さて、ツワン」
「お、おぅ」
灰皿にカンッと灰を叩き出して立ち上がる。
幾人かの視線を感じながら、視界の端でサンギ達を捉える。彼らも同じだろう、席を立って天幕の外に向かっている。
「オレはあの女傑と話すから、ダワの援護を頼むぞ」
「おい、それは」
「若い連中の尻拭いは、オレ達の仕事だからな」
有無を言わせずにゆっくりとした歩調で天幕の外へ歩いていく。
そういえばアフラも何処に行ったやら。サンギ殿達との話が終わったら、捜すとするか。
心地よい風に天幕で纏わりついた邪念が飛ばされていくようだ。胸に残った紫煙を吐き出して、軽く手を上げる。
大方、あちらも同じ事を考えていたようだ。すぐに歩みを止めて苦笑いで迎え入れられた。
もっとも、年上の余裕か。金銭の余裕か。……つい思ってしまった自分が、ひどく幼いのを自覚する。
自分の器の小ささに心の中で舌打ちしながら、頭を下げる。今は心を水面のように押さえなくてはいけない。
「若い連中が大変な失礼をして、申し訳ない。議会を初日から壊してしまった」
「いや、ウチの連中が品のない事をした。普段は海と強欲な商人相手に仕事しているものだから、その癖が出てしまったようだね」
「まったく互いに恥ずかしい所を見せましたな。ダショーの激怒を見てしまったよ。ははは」
豪快に笑うカムパ殿の言葉に、頷けない。とてもじゃないが、笑うところじゃないだろう。
同調も出来ず、呆れかえる事も出来ず、態度を決めかねていると、サンギ殿が苦笑いをして頷く。
「まぁ、大丈夫だろう。あの人はまだ若いが賢いからね。このまま議会を放棄したりはしないはずさ」
「あの人……」
それはひょっとしてダショー様の事か。
背筋に悪寒が走るが、目の前の三人は笑っている。
ひょっとして、ニライカナイ船団はダショーの恐ろしさを知らないかもしれん。我らクマリの民は神苑の玉獣と触れ合う為に、精霊の恐ろしさも美しさも体に染みついている。その精霊を思いのままに従わせるダショーを「あの人」だの「若いが賢い」など評する事は、とても出来ない。というか、考え付かない。
この人達はどーなってんだ。
固まって考えあぐねていると、三人の背後の茂みから二人の人影が出てくる。
「おぉテンジン、どうした」
「いや、その」
「叔父上! 」
泣いて目尻を赤くしたアフラが、テンジンと呼ばれた青年に肩を抱かれるようにして歩き出てきた。視線が合った途端に顔を真っ赤に染めて、口を開くが言葉が出てこないようだ。
彼は常に聖下の周囲にいた近衛士の一人だったはず。
これはまた、どうしたものか。
「先ほど天幕から1人で外へ出られた故、後を追いかけました。この神苑は落ち着いてきてますが、冬眠明けの獣がいるやもしれませんので」
「配慮、痛み入ります。いや、姪がお世話になった。アフラ」
「見苦しい所をお見せしてしまい、すみませぬ……ありがとうございます」
俯き気味の言葉に、テンジンも顔を赤く染めている。
おや。何かあったのだろうか。
まさか年頃の娘に手を出した、という訳ではないだろうが……姿を消したのは僅かな間だ。
真っ赤に俯いているが、悲しんではいないようだ。むしろ、照れている。
「姪御さん、という事は? いや、話せない事ならば」
「いやいや。この子は私の兄の娘です。先の戦で亡くなったので私が育てているのです」
「お若いのにそれは大変な。私も妹の娘を育てているのだが、年が離れた妹だったものだから孫と間違えられる事もあってねぇ」
「サンギの場合は、年増で子育てだったからなぁ」
「あんた一言多いよっ」
若い二人の微妙な空気のお蔭か。話題が都合よく変わってくれた。
子育て話に場が和み、このまま上手く次回の議会の話に転がれるように脳裏で考え出した時だった。
こちらに小走りに走ってくる足音に、振り返る。
アフラが「わぁ」と目を丸くしている訳が分かった。
何だあれは。まるで大輪の華のような美形が金髪を広げて全力疾走してくる。
彼も聖下の傍で右筆のような仕事をしていたはずだ。神殿の彫刻のような美形は、走っても華がある。唖然と見ていると、息を切らして目の前で止まった。
「は、ハルキ様からの、伝言です」
それは、奇妙な伝言だった。
次回 明日 1月1日 元旦に更新します! やっちゃうよ、やってしまいますよ!
正月ですが、暇つぶしによろしければ……(笑)。
では、よい大晦日を。よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いします。