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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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番外編 二つの片思い 1

 今回もハンナ視点。これ書いてた時は、ハンナがお気に入りで。

 変な関西弁で、汗が出る……。

 神苑に点在するかつての宿場は、今や新生クマリの行政拠点になっていた。神苑中央で精霊の化身ともいえる玉獣が生息するこの場に他国からの侵入者は不可能で、十年前の戦を逃れたために宿場町の建物も残されている。以前は旅人を泊めた宿の中に次々と書きあげられる書類の山が保管されていき、今や急ごしらえの役所となった。

 が、日々膨れる業務に建物が追いつかない。働く者は周りに天幕を張っての生活を余儀なくされている。もちろん、新生クマリには上の者も下の者も差はなく皆が天幕で生活している。

 天幕での生活は、天気が良い日はとても心地よい……と思う。

 爽やかな南風が、ふんわりと天幕を膨らましながら通り過ぎた。兄様のイライラも一掃してくれたら、と期待したが、そうはいかない。


 「そこはゆっくり……ゆるやかな曲線を描いて……あぁ、はい、そこではねあげるっ」

 「こ、こんなん? 」

 「むうぅ」

 「兄様、手を取って差し上げたらどうやろ? 」


 墨を磨る白い手を休ませて、ハルキ様の横に座り手を重ねる。


 「小さい子に教えるのと同じに、こう手を重ねて持って動きを憶えてもらえば……」 

 「! それは私が行うからっ」

 

 真っ赤になった兄様が、押しのけてハルキ様の背後に重なる。失礼しますと、かける声が震えているのに小さく笑いながら、再び硯の前に座りなおした。

 心配性だ。女の私がハルキ様とはいえ、異性に触れる事を恐れたのだろう……と察する。

 何時だって、こうだった。神殿の孤児院で生活していた頃から、常に庇ってくれたのを思い出す。「私は兄なんだから」と、綺麗な顔や体に痣を作って守ってくれた。さらに年齢が上がってから違う身の危険が起きてから、兄様を守るサイイドがいなかったら今の私達はなかったし、私達兄妹は非道の畜生に食い荒らされていたと、確信している。

 女性のように美しく、妙に兄としての威厳にこだわるクセに絶望的に腕っぷしが弱い兄様は、悲酸を味わった分だけ私に甘く慎重だ。

 神苑の陣でハルキ様の教育係を仰せつかった際の条件が、妹の同席。ここでは警備の若い男たちが多いから、心配の虫が騒ぐらしい。

 そんな美形に囲まれて、ハルキ様は常に人当りのいい優しげな顔を苦しそうに歪ませる。


 「あぁもう、嫌だ! ねぇヨハン、ペンで書きゃいいじゃん! 」

 「駄目です。公式文書に聖下の花押が必要ですからね。本文は右筆に任せても、花押はご自分でなさらなければ公式とは認められません」

 「そんな規則、誰が決めたのさ! 」

 「誰が、という問題ではなく、これが国や組織が動く仕組みですから。駄々を仰らずに練習なさってください。ほら」


 何でも、異世界では筆で書く機会はほとんどなかったと仰るハルキ様は、確かにひどく乱れた字を書いていた。まるで子供のように、向きも毛先もクシャクシャな字だ。他の事は大国の王侯貴族以上に博学だし、実践的な知識が多い。例えば測量や会計で必要な算学も、基本的な医学の知識も、カラクリなどの力学の基礎知識もある。もちろん異世界の物語に関する知識も限りなく多い。それなのに、字を書く事が酷く雑で汚い。墨も筆も使わないで、どうやって勉強をしたのだろう。

 大抵の事は器用にこなすハルキ様が、筆で苦戦しているのは不思議な光景だった。背後から手を添えるという、幼子の指導法を試したものの上手くいかないらしい。愚痴がまったく減らない。


 「落ち着いたら、絶対に産業革命起こして鉛筆を大量生産してやる! 活版印刷とか! 無理でも起こす! 」

 「はいはい。まず花押は書けるようにいたしましょう」

 「『カーボン紙とか! せめて誰かボールペン作ってくれ! 』」

 「花押が書けるようになったら、どれだけでも発明なさって下さい。ではもう一度最初から」

 「失礼します」


 非情な兄様の言葉と重なり、天幕の外から少女の声が重なる。

 日よけの外張りの影から、栗色の髪を肩から流した少女が顔を覗かせる。くっきりした顔つきに誰もが息を飲む青い瞳が、筆を持って半泣きのハルキ様を見て目を見開いた。

 この陣を仕切るニライカナイの集団を収めるサンギの姪、ミンツゥだったはず。

 一拍遅れて思い出し、慌てて顔を伏せてクマリ式の挨拶を簡易にする。


 「あ、あの……ヨハン、さん。サイイドさんが医務所から呼んでいますよ」

 「医務所? 」

 「石切り場から怪我人が運ばれてきたそうです。少し手伝って欲しいとか」

 「それは大変だ」


 突然の知らせに癒師の顔つきへかわる兄様に、少し見惚れた。ホワワンと空に浮かぶ白い雲のような兄が、引き締まった顔になって矢継ぎ早に怪我人の状態を聞きながら袖を捲っている。

 そのテキパキとした動作は別人のようだ。深淵の療恵院では、こんな風に癒師をしていたのだろうか。知らない兄の一面を知って、胸にふと寂しさに似た感情が吹き抜ける。

 

 「では少し席を外します。ハルキ様は、そこの型を練習して、最善と思うもの5枚を提出して置いてください。いいですか、適当に書いたものではダメですよ。ハンナ、しっかり見張っておくのだよ」

 

 ダショー様を見張るなど、聞こえようによっては恐ろしい事を言い捨てて、兄様は慌ただしく走っていく。

 そして足音が聞こえなくなったのを確認して、ハルキ様が墨のついた指先をぬぐいつつ立ちあがる。


 「ハルキ様、兄が清書をしろと言っていましたが」

 「石切り場で怪我人ってさ、大事じゃん。これは俺も行って手伝わないと」

 「本当は、筆の練習から逃れたいとかやないですよね 」

 

 指摘にバツの悪そうな顔をする。そうして、人に畏怖を感じさせる青い瞳が、「駄目かな」と訴えかけてくる。練習から逃れたいという思惑もあるだろうが、ハルキ様は困った人を知ってじっとしていられないタイプだ。深淵から助け出されたから、身を持って知っている。

 あぁ、こんな目をされては監督者である私が罪悪感すら抱いてしまう。子どもの頃に拾った子猫の目を思い出した。逃げる事など不可能な瞳だ。

 ため息をついて、笑ってしまう。敗北だ。


 「顔は頭巾で隠して下さい。向こうに行ったら兄達の指示に従って、表には出ないで下さいね。帰ってきたら練習100回です」

 「了解! ありがとハンナ! 」


 満面の笑みで走っていくハルキ様を見送って、やれやれと墨を置く。これは兄様に怒られてしまうのを覚悟しなければ。そう思いながらも笑みが浮かぶままに顔をあげる。

 そこで、ミンツゥがじっと自分を見ている事に気づいた。

 船団の大事な娘であり、ハルキ様が「後継者」と断言しているこの少女には、侍従の者か警護の者が控えているはずだが、その気配がない。わざわざ人払いをして、この天幕に来たのだろうか。

 首を傾げて微笑んでみると、ミンツゥは見る間に真っ赤に顔を染めていく。潤む青い瞳が、ますます魅力的に輝いて目を引き付けられる。


 「あ、あの、ハンナさんっ」

 「何でしょう? ハンナと呼び捨てになさって下さいな」

 「ハンナは、その、ハルキと仲がいいけどっ」

 「それは違います。ハルキ様は兄に心を開けていますが」

 

 この姫様は、私に話があるようだ。そう察して椅子を差し出すと、周囲を見渡してから天幕の中に入ってきた。顔は紅潮してソワソワと落ち着きがない様子に、素早く手を拭いてから備えてあった茶箱から湯呑を取り出していく。茶葉を入れたポットに簡易火鉢の湯を注ぐと、墨の匂いで満ちていた天幕に柔らかな香が漂いだす。


 「そうですね。しいて言えば、ハルキ様は兄妹という形に興味があるんやないかと」

 「兄妹? 」

 「ハルキ様は、一人っ子だったそうですよ。兄が言うには、過去世でも家族と離れて神殿で過ごしていたそうやし。その分、家族や兄弟に対する関心が強いんやろなぁ、と申しておりましたわ」

 「1人だったの? 」

 「私もよう知らんのですが、そうみたいどすなぁ」


 わざと神殿言葉を強くして言うと、ミンツゥが徐々に深く椅子に座っていく。緊張が解けているのだろう、強張った顔に好奇心が出始めた。青い瞳は、ハルキと良く似た輝きを取り戻していく。


 「あんだけ精霊に好かれて、玉獣達にも恋われて、何でも出来るお方でも、ないものがあるんや思うと不思議ですわ」

 「兄妹に、興味があるだけ? 」

 「そうや思ってますけど? まさかハルキ様が私に関心を持って下さっている、なんて事は天地がひっくり返ってもあり得ませんよ。ミンツゥ様も、お判りでしょう? 」


 ハンナがそう話を向けただけで、ミンツゥは顔をさらに赤くして俯く。その様子に、胸の奥で頷く。やっぱり思い違いをしていたのだろう。この外見で、勝手に人の恋路に引きずり込まれる事が多かったから、この手の事には慣れている。でも、目の前の少女はまだ初々しく一途な想いを隠すこともしない。

 ハンナには、それが眩しく見えた。

 ゆっくりとポットを回して茶葉を開かせながら、ハンナは小さく微笑む。


 「ミンツゥ様、ハルキ様の事、好いてるんやないですか? 」

 「!! 」

 「もちろん、内緒にしますさかい、ね。誰にも言いませんよって」

 「あ、あのっ、でも、ハンナさんは、本当にハルキの事を」

 「失礼を承知で、全力で否定します。だって、だって私には、別に想い人がおるん」


 ポットから湯呑に茶を注ぐ動作で、動揺を抑えながら言葉を続けた。この事を言葉に出すのは、初めてだった。言葉にすることで、自分の想いが本物になるような感覚。

 心臓の動悸が、そのまま言葉になるような錯覚。震える声で、思い切って音にする。


 「私、私、サイイド様が好きなん。ずーっと、大好きなんよ」

 「サイイド?! 」

 「な、内緒ですよって!! 」


 急に大声で叫ばれてポットを持ったまま振り返ると、真っ赤な顔をしたミンツゥが口を両手で押さえたまま固まっている。青い目を見開いたまま、だ。

 少し零してしまった茶を拭いてから、紙と硯の広がった机の端に湯呑を並べて隣に座る。途端にミンツゥが椅子を持ち上げながらくっついてくる。ぴったりと肩を寄せて、さっき暴露した秘密を囁いた。


 「なんでサイイドさんなんですか? だってハンナさん、こんなに美しいのに」

 「容姿は関係ないでしょう? ミンツゥ様は、ハルキ様の青い瞳と優しげな笑顔が好きなんですか? 」


 少し意地悪な返しをしたが、ミンツゥは素直に首を振る。そうして、まっすぐに青い瞳で見つめ返してくる。


 「……ハルキと並んだハンナ、すごく綺麗だから、……ううん。違うな。私、ハンナに負けたって勝手に思って焦ってた。ハルキがハンナを好きになっちゃうって」

 「だから、ハルキ様は関係ありまへんて。本当に、恋に容姿は関係ないんですよって。いえ、関係あれば、いいんやけど、私はこの姿が役に立ったことは殆どないですわ」


 苦笑いをして、湯呑をミンツゥに差し出す。良い香りに包まれながら、ハンナは苦い思いを吐き出した。


 「サイイド様は、兄の才能に惚れてますん。容姿に関心があるなら、顔とか姿そっくりな私にも勝機はあるんやけど、そういう外見はまったく無頓着の人やし」

 「そ、そうだね。サイイド、服とか髭とか、無頓着だよね」

 「薬馬鹿、なんですわ。その一生懸命さがかっこえぇんやけど」


 いつも煎じ薬か乾燥した薬草を服に付けたまま出歩き、話といえば新しく調合した薬の成果や兄の術の素晴らしさ。そうして「嫌な目にあってないか? 」「嫌がらせは受けてないか? 」「腹いっぱい食べているか? 」と心配そうに繰り返す。そんなサイイドに心が惹かれたのは何時からだろう。

 ふと昔を思い出して、微笑みが止まらない。


 

 

 

 

 

 

 次回は明日 25日 木曜日に更新予定。

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