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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 108 苦悶の大地へ

 海面に咲いた大輪の華から飛び出した俺達を待っていたのは、夕焼けと真冬の寒さだった。

 茜色に染まりながら、腰の抜けたサイイドとハンナを引っ張り上げると、前回の体験で要領を掴んだヨハンとテンジンが、大師を引っ張り上げていた。

 素早く小舟か寄せられて、素破の男たちが凍えた俺達を回収する。予め用意されていた毛布も、簡易用の懐炉もありがたい。そこまで完璧なのに、ヨハンの女装巫女姿と、本物の美少女ハンナによる巫女姿に戸惑っているのは、若い男達らしい。

 凝視することを遠慮しても、どうしても視線が釘漬けになるのだろう。チラチラと二人を横身しながら船を漕いでくれる。


 「無事のおかえり何よりです。ひとまず母船へご案内します」

 「用意はどうなっている? 」

 「万事順調です」


 その力強い返事に安心した。したが、それは俺が甘かった。 

 何しろ、万事順調の「万事」が俺の考え以上だったから。

 大師たちと一旦別れ、テンジンと母船に戻ってきてから思い知った。

 窓から見える陸地は、黒い波がうねっている。人が埋め尽くした荒涼の大地に、希望と期待がうねっている。

 あと半刻で日が落ちる。太陽が夜の闇で力を復活させていくのを心待ちにする人々が、口々に歌い、踊り、何かを待っている。

 

 「準備は万事順調」

 「いや、これはお願いしてない。それに外の人達! あんなに呼んでどーすんですか! 期待に答えられなかったら、俺どーなるんですか! 」

 「やだねぇ。冗談がうまいよ、まったく。ほら、前を向きな。帯を締めて、と。……あぁ、やっぱりこの服が良く似合う」


 渾身の怒りをさらりと流したサンギは、自分の着付けに満足するように俺を見て何度も頷く。

 萌黄色の袴と白い浄衣。深淵の神官の基本服だ。群衆の前に始めて遠目で姿を現す機会に、サンギが用意したのは大量の浄衣。下級神官が身に付けている基本的な服装であり、五百年前にハルンツが空から降りてきた時に身に付けていた服装だ。

 今回は素破の中から背恰好が似た者を数人と、見目綺麗な若い女性数人と、十歳前後の子どもを数人をダミーとして一緒にクマリの大地に立つ。もちろん、周辺は幕で覆い隠す。

 頼んでおいた準備は確かに順調なのだ。服装の事まで考えてなかった。

 サンギが補足した、「ハルンツが五百年前に行った、戦を回避させた奇跡と後の繁栄」をイメージさせる演出は、まったく考えてなかった。だから、ありがたい。けど期待が痛い。

 素破は先に行き、日没後の合図と共に無謀な挑戦を試みる事。間者を警戒するために祭の会場から十里以上離れた場所に舞台を用意したこと、等々。

 伝えられる作戦を聞きながら、握り飯を食べていく。途中からやってきたイルタサとは、久しぶりの挨拶を交わす間も惜しむように細かい所を補完していく。泉からの簡易水路で真水の配給を行い、そこで群衆の数を大雑把に把握した事。その中でクマリの民達や、それ以外の者達の割合。

 細かな作戦は、各国を渡り歩いてきた商売担当のイルタサだから出来たことだ。もちろん、その影には双子や浜辺で出会った見世物の女達の働きがあるのだろう。


 「自分で言っておいて何だけど、出来るか不安だった」

 「ここまできてそれはないだろう」

 「うん。ここまで来たらさ」


 目を見開いたサンギとイルタサに笑いかける。

 エリドゥで感じた不安も、心細さ。ここで待っていた仲間の声を聞いて顔を見たら、小さな悩みだったと実感する。これは、全部自分に関する事だ。出来なかったら自分はどうなるのだろう、と。そんな小さな悩みは無くなっていた。ここで自分の事を考えていたら、何も出来ない。もっと大きく感じないと、何も分からない事に気づいた。

  

 「とんでもない事をやろうとしてるのに、なんでだろうな。今なら全部叶えられそうな気がする」

 「そりゃ心強い」


 小さく笑ったまま「準備が出来たら甲板に来てくれ」と言い残し、二人が慌ただしく出ていく。

 残った握り飯を食べ、1人で甲板に行くと、西の水平線に夕焼けの名残が消えていた。気の早い一等星が煌めき、ひんやりと冷気を含んだ風が吹き出している。その風すら、熱狂の陸地には届いてないようだ。無数に篝火が灯り、文字通りにうねる人影が浮かび上がっていた。

 何故だか、俺には十年前の乱で死んでいった者達の苦悶と慟哭のように感じた。人だけでなく、声を上げる事なく消えた植物や、動物、無数の命の断末魔が聞こえるようだ。

 自分は、この叫びを受けて、どうすべきなんだろう。大切な事は、なんだろう。


 「全てを見られぬのか悔しいな」

 「黒雲……」

 「無事に帰って何よりだ。だが、忙しいな」

 

 黒衣の袖を潮風で膨らまし黒雲がやってくる。眼は陸地を見たまま、苦々しく呟いた。


 「もう、帰らねばならん。春陽で行われる冬至祭に参列せねば」

 「黒雲も忙しいな」

 「お互いに」


 小さく笑い合って、二人で甲板からクマリを見詰める。

 俺は十年前の乱で一度死に、黒雲はその戦で意に反して大地を穢した。その二人が今、再興を誓う時にいる。

 波が船縁を叩く音と、その合間に陸地から風で運ばれる歓声が沈黙を埋めていく。


 「一段落ついたら、会わせたい人がいる」

 「うん」

 「一度でよい。クマリと後李の未来を憂う人だ。きっと話があう」

 「うん」


 絞り出すような黒雲の言葉に、ただ頷き返す。こいつは、どれだけ重いモノを背負っているのだろう。その重さを僅かに感じて、ただ頷き返した。

 きっと、この重さは、俺の背にある重さと同じ種類だ。

 甲板の端で、同じ浄衣をまとった男女が素破達が用意した玉獣に跨っていく。その中でヨハンとハンナが戸惑いながら参加しているのが見える。恐らく、見目麗しいからだろう。彼らなら、ダショーのイメージにぴったりなのだから。こちらに気づいたミンツゥが、小さく手を振ってくる。

 時間だ。


 「ダショーに、なりに行ってくるよ」

 「大丈夫だ。そなたは既にダショーだから」


 黒雲の言葉に、差し出した足を止める。

 俺は、もう、ダショーだろうか?


 「自分が何をすべきか考え、苦悶して進んでいる。その背に負った大任を意識している。既に指導者だ。自信を持て」

 「……ありがとう」


 苦悶して進む先には、闇もあるだろう。血を被って汚物の沼を歩くような事もあるだろう。それでも、進む覚悟は出来た。1人でもその覚悟を認めてくれるのなら、進める。

 小さくうなずいて、ミンツゥ達の方へ足を進める。足元の影からシンハが飛び出してミンツゥにじゃれ付いた。


 「出立だ!! 」


 カムパの太い声が夕闇の中で響き渡る。ヨハンとハンナに視線を送ると、しっかりと強い紫色の瞳が頷き返す。それぞれカムパとテンジンにしがみついて飛び立っていく。


 「気張りやす! 」

 「気を付けて! 」


 リュウ大師とサイイドの声を聞きながら、ミンツゥを前に載せてシンハと飛び上がる。二人の声は風の向こうに消えていく。風の精霊が歓喜の唄を奏でだす。ありとあらゆる精霊が、風に乗って舞い始める。宙に繰り広げられる天女の舞のような中を、駆けていく。この夢のような光景がミンツゥには見えるのだろう。淡く光る精霊の舞に声を上げて見詰めている。

 眼下に広がる陸地には、無数の篝火。宙を舞う精霊の蛍火。天頂に輝きだした星々。その間を吹く風に乗って、何十もの玉獣が駆けていく。

 一際大きく焚かれた火柱の上を飛び越え、真っ暗な中で円陣に幕が張られた中へ着陸する。

 素破達は予め決めていたのか、玉獣と幕の外へ素早く出ていく。残された浄衣を来た男女十人ほどが不安そうに辺りを見渡す。

 もう、潮の匂いはしない。何十キロと内陸の地面に、サンダルを脱いで素足で立つ。乾ききった地面の感触に、この地で生を受ける間もなく死んだ瞬間を思い出していた。

 燃えるものは、家も木々も人さえも炭と化して倒れていた。遠くに聞こえた馬の足音、大軍の足音、雄叫び。煙られて曇った空。

 未だに、気配がする。素足に感じる大地に砕けた炭の感触。吹き抜ける冷風の狭間に響く悲鳴。闇の向こう、幕の向こうには、後李の軍隊に踏みつぶされた骸。

 見ることはないけど、その気配が濃厚に感じる。


 「あぁ……」


 ここはまだ、終わっていない。クマリの惨劇の、あの瞬間から残された念が浸みこみ時間の経過が違う。

 きっと、この幕の外には、顔も知らないクマリの母の骸が転がっている。


 

 

 次回、明日4日 木曜日に更新予定です。

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