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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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107 帰るべき場所

 岸は遠くなり、漁船から離れ、沖へと進む船の上は穏やかだった。

 つい半刻前に大聖堂を混乱させた犯人である俺達は、祝杯の水を飲み干す。ただの水だけど、これほど美味しいものはない。残り物のサモサをつまみ、互いの自己紹介をする。

 昨日の屋台でご馳走になった礼を言ったら「息子が役に立ちましたでしょうか」と、逆に礼を言われてしまった。ラヴィの母親は親父さんに負けずに人の好さそうな笑顔で、サモサの礼を言うと「勿体ない勿体ない」と平伏を繰り返した。

 そしてハンナは、ヨハンの妹というのが一目でわかる同じ金色の巻き髪、紫の瞳、白い肌、骨格から違うのだろう華奢な体つき。まるでモデルや女優のような美しさに、ラヴィは顔を真っ赤にして見惚れている。深淵の神殿仕込みなのだろう、流れるような優雅な動作で伏せて礼を言われた。巫女の装束が、天女のように見せている。

 ハンナがいるだけで、船の雰囲気が華やいだ。不思議なものだ。

 追ってくる船もなく、精霊や呪術の気配もない。見渡す海原は、外洋に向かって帆をはる船が水平線近くに小さく見えるのみ。ヨハンとハンナは互いの手を取り、何が起きたか話している。ヨハンは今だ巫女の変装のままなので、遠目でみれば二人の美少女がいるような贅沢な光景。ラヴィ家族は、遠慮気味に視線を送ってくる。この騒動に無理に巻き込んでしまったので、しょうがないか。

 風を受けてはためく帆の影で水を飲んでいると、「昼前には帰らないといけないのですが」と困った顔でテンジンがやってくる。

 テンジンの言いたいことはすでに分かっている。予定変更になったことがあるからだ。


 「予定より帰りの人数が増えましたが、出来ますか? 」

 「5人も増えたのは……『定員オーバー』かなぁ」

 「それは厳しい、という意味でしょうか」

 「まぁ、うん。そうだなぁ」


 最初の予定では、ヨハンの妹を連れて帰るだけだった。 

 が、今や船の上にはハンナと大師とサイイド、さらにラヴィと両親がいる。さすがに9人を連れて気脈を通った事はなかった、はずだ。影の中のシンハを見ると、首だけ出して身震いするように震えた。珍しく緑の瞳が潤んでいる。

 無理、か。だよな。前人未到の挑戦になってしまう。しかも失敗したらどうなるか分からない。

 いや、うっかり髪の長さを間違えるとかなら、可愛いもんだ。体の一部を気脈に忘れて、遥か彼方に流してしまったら大変だ。

 ちょいと、そんな事を想像してから呻く。

 いかん。冗談では済まされない。


 「ごめん。やっぱ9人運ぶ自信はない……あ! 分けて運ぶか? 」

 「その後の事考えてますか? クマリの冬至祭があるんですよ」

 「う、それを言われると」


 的確なテンジンの指摘に呻く。確かに、クマリに帰ってから一仕事がある。ここで二回も気脈潜りをしては倒れてしまう。


 「まぁ、ここは心を鬼にさせてもらいますよ」


 テンジンがそう言うと、全員集合をかける。

 顔を伏せたまま、そして下手に座ろうとするラヴィ一家をテンジンが引きずるように連れてくる。不安そうな顔のハンナは、白い顔を強張らせてヨハンとサイイドに「大丈夫」と諭されてやってくる。リュウ大師はのんびりと千手で背中を掻きながら大あくびだ。

 全員を集めたところで、帰路の説明をする。

 星の気脈を通りクマリへ行く事。一度しか出来ない事。一度で移動できる人数に限りがあるので、何人かはこのまま船でクマリを目指してもらう事。

 批難轟々かと思い身を縮めると、意外にもラビィ一家から「船で行く」という即答が返ってくる。

 船で商売をしていたからか、この船が大事な家財道具のようだ。なにより、星の気脈を使って移動するのは恐ろしいようだ。

 ラヴィ一家は辞退して安堵の表情だが、困った事にハンナは白い顔をさらに白くさせた。

 ブルブルと小刻みに震える小動物のようになってしまっている。それでも「嫌だ」とは言わず、ヨハンの手をずっと握りしめている。

 よほどヨハンを信じているのだろう。その健気さに、今は甘えさせてもらうしかない。

 ラヴィ一家と別れを惜しんでいるテンジンと、恐怖に打ち勝とうとしている兄妹。それに比べ、サイイドとリュウ大師は落ち着いている。

 もしかして星の気脈を経験した事あるのかと聞いてみたら、リュウ大師に盛大に笑われてしまった。


 「何を言い出すんやら。そんな事あるわけありまへんわ」

 「い、いや、でも、落ち着いてるから」

 「ダショー様が行う事に何を不安がる事があるかいな」

 「……あ、ありがとうございます」


 さらり言われると、かえって怖い。そのご期待に応えないといけないのが、大きなプレッシャーだ。若葉マークを外せない車に同乗して高速道路使う話より、もっと怖いはずなんだが。

 さらに横で笑顔のサイイドに、大師が笑いかける。


 「でもサイイドは違うんやないか? どうせ珍しい体験出来る思うてるんやろ」

 「さすが師範。その通りです。共生者ではないオレが体を粒子にして、さらに星の気脈を通るんです。こんな貴重な経験が出来る機会は、普通はないですからね」

 「共生者でもこんな経験できへんで。ダショー様だけが出来る御業や」

 「あぁ、私は幸せ者です」


 二人の会話が、空恐ろしい。感無量と言わんばかりに恍惚な表情を浮かべるサイイドの感覚が恐ろしい。地球に生まれていたら、マッドサイエンティストなんだろな。

 問題はハンナだ

 薄紅色の唇は震え、長いまつ毛に隠れるように潤む紫の瞳が痛々しい。


 「なぁ、1か月かかるけど、オレんとこの船に乗ったらいいじゃん……痛っ。叩くなよっ」

 「それはない。絶対ない。あの馬鹿兄貴が乗せると思うか? 狼の船に子羊乗せるようなもんだろ」

 「お、狼! テン兄はオレの事狼って言うのか? ちゃんと親父とお袋もいるのにさ」

 「だからあの馬鹿兄貴から見たら、だよ」 

 「さっきから馬鹿馬鹿と言うな阿呆! 」


 何故かサイイドがテンジンの突っ込みを返す。 

 何が何だか分からない言い合いになっているのを傍目に、ハンナが立ち上がる。

 揺れる甲板の上を滑るように歩み、オレの前で身を伏せた。


 「駄々を言い申し訳ありまへん。よ、よろしゅうお願い申し上げます……」

 「大丈夫? その、覚悟は」

 「覚悟もなにも、兄様はダショー様と気脈を通って助けに来てくれはりました。私が怖いというのは、筋が通りまへん」


 青白い顔をあげ、まっすぐに紫の瞳がオレを見つめた。

 涙が今にもこぼれそうな瞳には、決意も溢れていた。華奢な体を震わせている様子はまるで子兎だが、その性根は強いようだ。あの兄の妹だけはある。

 

 「じゃあ、帰ろう。クマリへ帰ろう」


 ハンナが心を決めたように、俺も心を決めなければいけない。今からする事は覚悟がいる。代償がいる。

 ラヴィの家族に別れを告げ、ハンナ、ヨハン、サイイド、大師、テンジンと手をつないで船べりに立つ。

 陽の光を強く浴びて煌めく南洋の潮風が、ふんわりと身を包む。肌にまとわりつく汗が一瞬だけ消される。その心地よさに深呼吸を重ねていく。


 「向こうは冬ですからね。もうじき夕刻です。少々寒いかもしれません」


 テンジンの言葉に微笑んで両手を強く握る。左手にハンナ、右手にサイイド。初体験で不安定だろう二人と直接手を繋ぐと、良くわかる。

 不安と、興奮と、その激しい脈拍まで、こちらに伝わってくる。

 そして、この不安と興奮は自分の中に押し殺した感情に触れてくる。

 これから始まるであろう、ダショーとしての活動。それは、今まで日本で暮らした日々とは天と地ほどに違うはずだ。深淵で暮らした祈り漬けの日々ともちがうはずだ。

 荒涼の砂漠となったクマリの大地から、すべてを復興しなくてはいけない。ただの国語教師だった自分が、だ。

 なんて滑稽な。

 でも、この不安と興奮を、楽しさに、喜びにしていくんだ。

 そして、それが出来そうなきがしている。

 俺を待っていてくれる人がいる。サンギ達、ミンツゥ、クマリの人々がいるから、出来そうな気がする。


 「手を離さないで。体を意識して。あとは、俺が連れて行くから」


 震えるハンナの手を、さらに強く握りしめる。汗ばんだサイイドの手を握りしめる。

 2、3度繰り返した深呼吸のあと、水平線の向こうへ唄を紡ぐ。


 「 泣け泣け海よ さめざめ唄え 」


 見下ろした煌めく水面に、薄い影が浮かんでいた。

 海より青い瞳が、淡い微笑みを浮かべてオレを見つめている。真昼の陽の下で、小さく口元が動いた。


 「また帰ってくる。その時に」


 音にならない声が聞こえる。

 「その時」に俺は世界を壊すんだろうか。昨日見た幻のように「お終いにする」のだろうか。

 亡霊のような影から目をそむけ、星の気脈へ気持ちを繋げる。

 今は、先のことはいい。

 今は、みんなの顔が見たい。


 「 帰っておいで 私の宝よ 私の宝よ 」


 光りだした水面に、ラヴィ達が声を上げるのを背中に聞いて、足を踏み出す。

 踏み出した先は、クマリ。


 

 

 次回3日 水曜日に更新予定です。

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