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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 105 その手を求めて

 差し込んだ眩い一筋の光が、世界を照らし出す。その力強い光に、中州からも岸からも声にならないどよめきが湧き上がる。

 待ち望んでいた光明に、唱える詠唱が一層大きくなった。

 

 「どちらでも、いい。とにかく、ハンナは大聖堂の真ん中にいる。ミルと同じ場所に、大勢の視線が集まっているど真ん中にいるんだな? 」

 

 朝日に淡く溶けるような薄い影を睨みながら。

 ほっそりとした、長身の男が青い瞳を微笑ませていた。微笑みを浮かべていても、唇にのせて唄う旋律は、身の毛がよだつ破壊の唄だ。

 正直に唄え、と。心のままに、唄え、と。自分を裏切るもの全てを破壊しろ、と。青い瞳が瞬きもしないで俺を見つめている。

 

 「今を逃したら、きっと機会がなくなる」


 頬に感じる光の暖かさに、心を決めた。


 「ラヴィ、船を進めてくれ」

 「でもテン兄が! 」

 「俺が連れて帰る。みんなでクマリに帰るんだ」

 

 帰るべき場所は、日本じゃない。白い砂浜と、すっかり馴染んだあの人たちの場所だ。

 思いっきり息をすいこみ、ゆっくりと口笛を奏でる。急速に濃くなった風の精霊が一気に俺の体を持ち上げる。重力の束縛を断ち切っていく。


 「シンハ! 」

 「合点承知! 」


 目を見開き立ち尽くすサイイドとラヴィ。皺だらけの顔をクシャクシャにして笑顔満面の大師に手を振って、船から一気に飛び上がった。

 夜明けの冷気を含んだ風の中を駆け抜けるように飛ぶ。水気を含み清々しいほどの空気に浄化されるような錯覚。

 欲望も、苛立ちも、憎しみも、風に飛ばせ。消えてしまえ!


 「いいのか? ハルルンが前に出ちゃ駄目なんだろ? 年恰好とかばれちゃ駄目なんだろ? テンジンとかいう奴、あのバアチャンに重しつけて海に沈められるって言ってたぞ? 」

 「じゃあ、ばれなきゃいい」


 笑って答えた俺に、シンハは「そうこなくっちゃ」と濡れた鼻先を動かした。

 天に向けてそびえる塔の先端に降り立ち、そっと周りをうかがう。上から降りる時に、屋根の上に人影は見えなかったが、大聖堂の上となると慎重になる。

 シンハが素早くドーム型の先端から滑り降りて、ココホレワンワンとばかりに尻尾を振る。

 真っ白な半円を滑り降りると、そこに小さな窓がある。ドームの周囲に作られた、明かりを取る為の空間らしい。


 「……すごいな、これ」

 「豪華だねぇ。こんな中に神様も精霊もいねぇのにな」


 十何階かの高層から見下ろす大聖堂は、絢爛な装飾で埋め尽くされた美術館のようだった。壁には巨人のように立ち並ぶ聖者や精霊をかたどった純白の立像。背中には後光が差すように金や銀で作り上げられた彫刻が隙間なく壁となっている。その立像が指し示す先は、大聖堂の中央に聳え立つ四本の巨木のような柱。藍と金の彫刻が植物を模して大きなアーチ型の天井を支えている。

 まるで夢を見ているようだ。見覚えのあるその光景を、自分は今、ここで見下ろしている。

 忘れてしまった鮮明な昔の夢を思い出していくような感覚に、胸の鼓動が早まる。この先が判る。真下に見えるアーチ型の天井は天蓋だ。天頂と世界全てを模した天蓋の下に、祭壇がある。

 金糸銀糸に縁どられた布の包まれた大きな祭壇の上に、聖杯を置いて祈っていた自分の記憶がよみがえる。

 なら、ミルはこの下にいる。真下だ。


 「テンジン達は何処にいる? 」

 「坊主と綺麗なねぇちゃんが立ってる場所があるだろ? デッカイ藍色の宝石ついた杖持ってる像の横の、あそこの近くの巡礼者達の前にヨハン。巡礼者に紛れ込んでるのがテンジン」

 

 シンハの説明は非常に大雑把だ。目を凝らすと、ヨハンは驚くほど祭壇に近い場所だった。祭壇を取り囲むように並べられた貴賓席らしき場所と巡礼者達を阻む、警護スタッフのような女神官達の中にいるのが判った。テンジンだけは、どうにも判らなかったけど。

 朝日は大聖堂の中にも降り注ぎ、煌びやかな装飾に乱反射して光が満ちていく。最高潮の詠唱はクライマックスにむけて一層、大きくなった。

 声を潜め、シンハにもう一度テンジンの影へ潜ってもらう。 

 チャンスは一回しかない。握りしめた手が震え、深呼吸を繰り返す。 

 戻ってきたシンハの首筋に顔を埋めて囁く。


 「いいか。お前が全ての視線を集めろ。大聖堂中の人間をビビらせてやれ」

 「おいらの威光をもってすれば、ちょろいもんだね」

 「おぉ。ちょろい仕事だ」


 人々の目に立って姿を出せない俺は、後方支援しかない。

 ちらりと、河を見下ろす。水面に立っていた淡い影のエアシュティマス、今は唄わない。まだ唄えない。やらなくちゃいけない事が、山のようにあるのだから。

 クマリは砂漠で、神苑もまだ荒れたままで、隣の大国からの侵略に恐れ、今日食べるモノを工面しなくちゃいけない状況だ。

 何より、ミルと離れている。

 真下にいるミルを見る事も出来ない。今は、出来ない。感情を抑えつけて、ここで待つだけだ。

 自分に言い聞かせるようにシンハに「頼むぞ」と言うと、緑の目が気遣わしげに見つめた。

 

 「でもさ、ハルルンがここまで来る意味はなかったな。姫さんにも、会えないのにさ」

 「うん。でも、このドサクサで最接近出来たし」


 俺が小さく笑うと、濡れた鼻先を頬に当てられた。

  

 「姫さんに、元気だって伝えるよ」

 「出来たらでいいよ。あのな、一番危ないのはお前なんだからな」

 「神苑の玉獣をなめんなよ。おいらが本気出したら、人間なんか瞬殺だぜ? 」

 

 いや、殺したらいかんけど。

 返事に困った俺の頬を一舐めして、シンハが宙へ飛び上がった。朝日を浴びて黄金に輝きながら、宙をかけていく。大広場の上空をゆっくりと二度三度と旋回すると、詠唱が消えていく。誰もが、口を開け瞬きもせずに手を合わせたまま空を見上げていた。

 何万もの人々が息を潜めているのが判る。誰もが、何が起こるのか分からない恐怖と、ほんの少しの期待で固まっていた。

 冬至の祭事に、突如現れたクマリの象徴ともいえる玉獣が、何をするのかと。

 まるで宙に見えない橋でもあるように、空中を歩くシンハはまさに神獣のようだ。光を浴びて煌めきながら、風の精霊の導くままに歩んでいく。

 深淵の神殿の内部にどよめきが起こった事でシンハが神殿の中に入った事が判る。

 

 「ぉおおおお」


 声にならないどよめきが、下から湧き上がる。

 人々の動揺を感じ、ドームの屋根から覗き見る。頭しか見えないが、真っ白な床に伏せている人々と、藍色の敷物の上に並ぶ聖職者達がシンハに釘つけになっているのだろう。人々の頭が入り口付近を向いているのが判る。

 中央にそびえる天蓋の周囲を回りだして、この高さで人影に気づく奴はいないと思うが、念のためしゃがみこむ。小さくなって、顔だけ窓から覗き込む。

 シンハはよほど人々の動揺が面白いのだろうか。何度も天蓋を周り、ゆっくりと祭壇前に降り立った。僅かに金色の尻尾が見えるだけで、天蓋の藍色の屋根に邪魔されて見えなくなる。

 今、何を見ているんだろうか。ミルは、どんな顔をしているのだろう。俺が近くにいると、気づいてくれただろうか。

 耳の近くで心臓が脈打っているように、頭の中が脈打って破裂しそうだ。

 途端、再びどよめきが湧き上がる。

 今、真下で見える光景に固まる。

 ここからでも判るほど銀糸で刺繍された純白の浄衣と、肩に濡れたように輝く黒髪を流して一人の貴婦人が歩き出す。 

 立ち尽くす人々の中から、たった一人の女性が堂々とした足取りでシンハに近づいていった。

 金色の毛並を撫でる優しい手つきに、確信。

 ミルだ。

 そこにいる。足元に、ここから飛び降りれば、今すぐに奪い去れるのに。

 あぁ、細かった手が、あんなに小さくなっている。豪奢な服が重そうに見えるほど、痩せた影になっている。

 

 『 唄え 繁栄をこの瞬間に終わらせろ 』

 

 脈打つ耳の後ろから、淡い影が囁く。

 

 『 愛しい者を奪った奴らに 雷を落とせ 』


 腹の底で燻され続ける炎に、そっと息を吹きかける。

 眼の奥には、日に焼けて生命力溢れたミルの姿が、仕草が蘇る。

 こうしたのは、誰だ。こんな未来にしたのは、誰だ。こんな姿にしたのは誰だ。


 『 お前が望んだ未来とは違う世界にした輩に唄え 終焉だ 』


 報復を。

 囁かれる声に導かれるままに、舌で唇を濡らす。そして息を吸い込む。腹の底で燃える青い焔が胸まで燃え上がる。

 苦しめ。時間を失った地獄の底で、焼け爛れる痛みに絶叫しろ。その体が一抹の灰になるまで、痛みで狂え。死すら望む苦悶を与えてやる。

 殺してやる。消えろ。全て消え失せろ


 「 偉大な精霊達よ この至高の贈り物が 大切な方に届きますよう祈ります あの方が立つ大地に光が注ぎますよう 祈ります 風が吹き種を飛ばしてくれますよう 祈ります 」


 透明な歌声が響き渡った。

 懐かしい、愛しい声。

 

 

 


 



 

 

 次回 9月1日 月曜日に更新予定です。

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