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見下ろすループは青  作者: 木村薫
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 104 清浄な光を待ちわびて

 神殿前の大広場はもちろん伏せて一心に詠唱し、そんな巡礼者達を運んだ船員も船の上や桟橋から詠唱をする。身を伏せてなくとも、視線は白み始めた光を集めて浮かび上がってきた神殿に注がれている。

 祈りの唄が響く中、俺達を載せた船だけが河の中ほどを目指して水流に乗りつつある。ゆっくりと河を下りだす船の上から、熱心な人々の様子を見る。

 日本じゃあ、これだけの人が祈る姿なぞ見れやしない。

 初詣の、どこかイベントになっている騒ぎとも違う。真剣に大切な人達を想い、世界に祈りを捧げている人々の熱気だ。

 祈るという行為が非日常になっている日本にいたからか、その熱気は炎のように揺らめきながら圧倒的な強さをもって広がっていくような。祈らない自分が穢れているような錯覚。その炎はあまりにも清らかで、触ることすら恐れてしまうような一途な情熱。こんな世界が、あったんだ。

 その世界の中心で、ミルが祈っている。この炎の暖かさの中に、ミルの熱が存在する。

 手が知らずに、そっと胸の前で合わさる。

 どうか、無事でいますように。


 「さてさて、ヨハンの風の精霊は解放されたんかな」

 「どうやろ。お前が船取りに行った時はどんな感じやった? 」

 

 中州の最南端まで来て、河の中ほどで船は停止する。

 海からの風を一杯に受けた帆は音を立てて膨らみ、流れに逆らって微速になった。ラヴィは帆を操る綱から手を離さずに首を傾げた。


 「船着き場はいつも通りだったよ。兵士もいたし。「爺さんで時間食わんかったかぁ? 」って聞かれたし」

 「ふむ」


 リュウ大師は唸って、デッキに置かれた小さなランプを睨んだ。

 すでに空は徐々に白く、地平線の奥から橙色の光が溢れてきている。もうすぐ夜明けだというのに、ランプの中の蝋は溶け切って、燃え尽きそうな芯が小さな火を辛うじて灯している。一吹きで消えてしまいそうだ。だから、まだ何も言わない。

 もし、捕まっていたら。もし、計画がばれていたら。すでに深淵は、先回りして俺達の居所も掴んでいるのではないか。

 もしも。もしかしたら。そんな言葉が出ないように、唇を強く噛んで手を組んだ。

 早く帰ってこい。早く、飛んで来い。

 この炎が消えそうな今、計画は実行中だと信じる事ができる。でも、消えてしまっても2人が戻らなければ、失敗を認めて一目散に逃げなければいけない。

 消えるな。まだ消えるな。無言でランプの光を見つめ続ける。

 

 「なんか、消えそうじゃね? 」

 「黙っとれ」

 「なぁ、本当に」

 「黙っとれ言うたろ」


 波の音のみの沈黙に耐え切れなくなったラヴィの言葉を、サイイドが叩きつけるように断ち切る。

 大師の前のランプは、線香花火のような僅かな火しかついていない。消えるのは時間の問題だ。

 ゆっくりと息を絞り出して、大師はほとんど白髪もない頭を撫で上げてから呟いた。誰も言いたくない言葉を、呟いた。


 「船ぇ、出しや」

 「爺さん! 」

 「打ち合わせとった通り、日の出の二刻までに河口まで行かなあかん」

 「でも、何かの都合で遅くなってるかもしんねぇし! 」

 

 ラヴィの言葉は、俺達の言葉だ。一生懸命に理由を作って並べていく姿に、サイイドの顔が苦しく歪んでいく。俺も同じ顔をしているだろう。

 もう少し、待ちたい。失敗したなんて、思いたくない。無事でいると思いたい。

 

 「なぁ、もう少し待とうぜ? 船の遅れは流れを捕まえれば、どうにでも挽回できるからさ! 」

 「黙れや!それ以上言うなや! 」


 顔を歪ませて叫ぶサイイドの言葉に、ラヴィの肩が震えた。

 こんな時、どうすればいい? 脳裏にここにいない仲間の顔が浮かんだ。今まで何度も助けてくれたサンギやカムパ、イルタサの不敵に微笑む顔が。

 彼らならどうしただろう。最善を、最高を尽くすに違いない。諦める事は、最後の最後の安全までしないはずだ。

 俺の出来る事を。


 「あのさ! つまり様子が判んないから不安なんだよな。様子が判れば、判断に迷わないだろ? もうちょっと待つのか、それとも、その先に行くか」

 「……様子が判るなら、困んないわな。判らんから、思い切れんのですな」

 「うん、だから、判らんなら様子を見に行けばいいよ」


 電話で聞けたら一発で解決だけど、ここにはトランシーバーも携帯もない。なら、直接見にいけばいい。

 水面に向かって名を呼ぶと、金色の毛玉が水しぶきを上げて甲板に飛び降りてきた。


 「シンハ! ちょっと様子を見てきてくれないか? 」

 「またぁ? あのさぁ、俺の事どう思ってるのさ。さっきも小僧のお守りしろっ言うしさぁ。ハルルンは俺の事、便利な使いっ走りとか思ってないよなぁ」

 

 ドスンという音を立てて、ラヴィが尻もちをついた。あんぐりと開けた口から悲鳴が出ないだけ上等かもしれない。先に驚いていたサイイドは、宥めるようにラヴィの肩をぽんぽんと叩いてやっていた。


 「ごめん。悪いと思っているよ。でもさ、シンハじゃないと無理なんだ」


 牙を剥いて不平不満を言うシンハに、ここは下手に下手に。

 褒めて褒めて持ち上げる。

 定番の褒め殺し文句だけど、シンハは見る間に牙の間からピンクの舌を出して笑いだす。照れ笑い、なんだろうか。「よしてくださいよぉ、ダンナ」とでも言いそうな顔だ。


 「シンハしか、頼めないんだ。頼りになるのは、シンハだけなんだ」

 「えぇ~? そうかぁ? 俺だけなら、しょうがねぇかなぁ。でもさぁ」

 「頼むよ。もう、一日中ボレボレの唄を唄ってやるから。もちろんシンハの為だけにさ」


 とどめの一発。その一言に、シンハの耳がピンッと立ち上がる。金色の体が身震いして尻尾を千切れんばかりに振り振りした。


 「よ、よし。じゃあ、テンジンの玉獣ん所目指して行けばいいな? もちろん影で行くからバレねぇよ。だ、だから、その」

 「うん。ボレボレの唄一日分約束する、だから、その、二人の様子をさ」

 「い、一日ずっとだぞっ。一日中ボレボレだからな! 」      

 

 ヨダレを垂らし、息荒く、緑の瞳はギラギラと妙な光を宿したまま、俺の影へ飛び込んでいく。

 武者震い。俺、とんでもない約束をしたような気がする。何か、間違ったような気がする。


 「まるで猛獣使いやなぁ。いや、失敬失敬」


 腰を抜かしたラヴィと、寄り添うサイイドと、汗だくだくの俺見て、大師は皺だらけの顔をさらにクシャクシャにして笑った。

 いや、笑いごとじゃない。一日中ボレロを唄うなんて苦行だ。帰ってからの事を考えると、とたんに憂つになってしまう。ため息をついて船縁に腰掛けた。


 「ただいまぁ。あのさ、ちょっと面倒な事になってるわ」

 

 あっという間だった。「影で行く」というのは、物質的な距離は関係ないのだろうか。ひょっとしたら、星の気脈を通るのと同じような手段かもしれない。

 水面に落ちた俺の影から、濡れたシンハが頭だけ出した。

 船縁に駆け寄ったサイイドとラヴィが、まず2人の無事を確認すると「それは大丈夫だけどさ」とソレ扱いで流してしまう。


 「あいつら、妹にどうやっても近づかないんだよな」

 「ハンナは無事でっしゃろか」

 「無事だけどよ」


 周りに船はいないのを確認してから、シンハは重力を無視するような動きで水中から飛び乗ってきた。金色の体をブルブルと震わして濡れた毛から雫を取ってから、一息つくと腰を下ろした。


 「妹、すんげぇヨハンと似てるのな。遠目でもすぐわかった」

 「で? 」

 

 急かす俺を見て、黒い鼻をピクピクと動かして頷く。まぁ、落ち着けと言いたげだ。緑の瞳を瞬かせ、俺から視線を外した。


 「あのな、姫さんのそばにいたんだ」

 「その、妹さんが? ハンナが? 」

 「うん。だからさ、大聖堂の、ど真ん中の、デッカイ祭壇やらなんやらの、人が見てるその真ん中にいる。なんかデカい旗の端持ってた」

 

 船底を波が叩く音が響いた。微かに船が揺れ、静まっていく。遠くになった岸から、一際大きくなった祈りの唄がさざ波のように聞こえだす。

 リュウ大師が深くため息をし、サイイドが唸る。ラヴィは不安そうに、俺達の顔を順に見ていく。

 深淵は、アイは、俺達がハンナを取り返す事を予想していたんだろうか。計画は、想定内だったんだろうか。

 だったら、ハンナを取り返そうと無理矢理押し入ったとしても、捕まえるだけの人員を用意しているのかもしれない。何か呪術的な罠を掛けているかもしれない。

 

 「無理、なのか? 」

 「無理もなにも、手が出せない」

 「でも虹珠を撒いてきたろ? 騒動を起こして……」

 「中州から脱出するぐらいの騒動しか起こせん。お前も大聖堂は知ってるやろ? あの大きさやで? ハンナは『宵の女神官』だから裏にいる思うてたのにな。学僧や他の神殿の奴が、祭文をひたすら暗誦してな。『宵の女神官』は、こう、香炉や明かりを手にしてな、大聖堂の端に並んで深淵の神官達の祝詞の唄に和音を唄うんや」


 髭を一度撫でると、サイイドを再び唸った。

 

 「なんで『明け方の女神官』に侍女みたいな事させとんやろ」

 「単に、侮辱的な事ならいいんやけどな。ヨハンの罪に対する、配置換えなら、ええわ。けど、なぁ」

 「どちらにせよ、無理やなぁ。諦めて2人には帰ってもらわんと」

 「きっかけがあれば、何か、何か」


 ハンナがいる。ミルのそばにいる。大聖堂の真ん中に二人がいる。 

 ここで帰れない。このまま終われない。

 思わず立ち上がって振り返る。

 赤く染まった地平線近くの雲から一転、まばゆい光が差し込んだ。

 光の中に、見慣れた男が水面の上に立っていた。エアシュティマスが、朝日に溶けるような薄い影で、そこに立っていた。

 

 

 


 

 

 

 

 次回 31日 日曜日に更新予定です。

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