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見下ろすループは青  作者: 木村薫
105/186

103 前兆はひっそりと

 絶え間なく繰り返される旋律と重なる重厚な管楽器の和音が鳴り響く。

 藍色に変化していく空の下、何万もの人々はさざ波のように祝詞を唱え、手の中の数珠を鳴らしながら動かしていく。大聖堂から流れる演奏と人々の唱える詠唱が重なり、さらに大きなうねりとなって大広場の外へと広がっていく。そうして、音でこの世界を支配していくように祈りが広がっていく。

 見渡す限り人で埋め尽くされた大広場で、純粋な祈りが満ちていく。日の出前の寒さに、老いも若きも手を合わせながら。

 そんな人々を眺めるように、人もまばらな船着き場の端で腰を下ろす。

 さすがのサイイドも、大師を下ろすと桟橋に横になり何度も呻いては腰に手を当てている。

 深淵の神殿を中心に虹珠をばらまいて、誰にも止められる事なく大聖堂前の大広場へとたどり着いたのはいいのだが、参拝の人波に逆らって船着き場まで出る事が一番困難だったかもしれない。まるで朝のターミナル駅の乗換のような混雑を異世界で体験するとは思わなかった。

 どの参拝者も大聖堂目指して歩いており、演奏が始まり聖会が始まったからあきらめるかと思えば、その場に座り祈り始めるのだから、動きにくい事この上なく。

 どうにか桟橋に着いた途端、俺達はその場に無言で座り込んでしまった。

 疲れ果てた足を河に浸し、そのまま仰向けに寝ころぶ。

 興奮と疲れでぼんやりした頭でうねるような詠唱を聞き流して、白んでいく空を見上げる。


 「第三章かの」

 「最終章までは、四半刻はありますな。余裕や。あぁ、しんどかった……」

 「じゃあ、おれ船を取りに行ってく」

 「一人じゃ危ないやろ」

 「そこの外壁の外の小道使うから」


 そう言い残すと、身軽に桟橋に留められた小舟を次々と飛び移る。中州の周囲に聳え立った煉瓦の外壁の出っ張りを、器用に駆けていく。


 「若いってえぇねぇ」

 「いや、一人で大丈夫かな」


 サイイドの呟きに、思わず水中の影に向かって小声を囁く。

 僅かに揺れて、水面からシンハが顔を出した。

 濡れた毛並をそっと撫でると、うっとりと緑色の瞳を細める。


 「ラヴィに付いてやってくれ。一人じゃ心配だ」

 「おいらはハルルンの方が心配」 

 「俺は大丈夫だよ。サイイドさんもいるしリュウ大師もいるし」

 「でもさぁ」

 「いざとなったら、すぐに陰から出てこれるんだろ? 」

 「けどなぁ」


 渋るシンハに、指を一本立てる。

 

 「ボレロの鼻歌『一時間』でどうだ」

 「その『一時間』って、半刻じゃん」

 「じゃあ、一刻」

 「もう一声! 」

 

 完全に足元を見ているシンハは、牙を見せて笑っている。こういう時はどちらが主人なのかと思い、情けなくなる。

 しぶしぶ指を二本立てると「まかせとけ! 」と勢いよく水の中の影へと沈みこんだ。

 四時間もボレロの鼻歌をするのは苦行しかない。背に腹は代えられないけど、高いおねだりだ。

 もっと短時間でシンハが満足出来る曲はないだろうか。

 再び桟橋に仰向けになってため息をついてから、視線に気づく。

 気だるさに顔を向けずに視線を追うと、サイイドが目を見開いていた。

 髭の奥の口は何度も開いては閉じ、開いては閉じる。そのただならぬ様子に起き上がると、熊のような巨体を伏せた。


 「何か、あったんですか? 」

 「い、いえ、その、今までの無礼をっ」

 「はぁ」

 「サイイドはな、信じとらんかっただけや。今ようやく事の重大性を確認したとこや。まったくこの阿呆が」


 大師が千手でサイイドの頭を鋭く叩く。

 

 「貴方様が召喚した玉獣が人の言葉をしゃべったから、ようやく気づいたんや」


 何度も、何度も叩いてため息をつく。


 「玉獣を携えるという事は、それだけで四位の呪術者や。その上、人の言葉を喋る玉獣など、おらへんからな」 

 「そうなんですか? 」

 「そらそうや。玉獣ってのは精霊が肉体を持ったひとつの形や。人の言葉を使う高位な精霊はそもそも肉体は持たんからの」

 「でも、主様は喋りますよ」 

 

 途端、今度は大師があんぐりと口を開け千手を取り落す。その歯の抜けた口から声にならない呻きが漏れ、大きなため息とともに苦笑した。

 

 「そう、そうやな。主様にもお会いになったんですな」

 「そもそも、俺を異世界に飛ばしたり戻したりしたのは、その主様ですからね」

 「なるほど。そういう事や。サイイド、お前さんようやくヨハンが忠誠を尽くす相手が本物やってことが判ったな」

 

 もう一度千手を手にして、大師はサイイドの頭をつつく。「お前さんは自分の目で見た事しか信じんからあかん」やら「本当の賢さをもっと身につけなあかん」やら言いなれた口調で愚痴を零しながら、千手でつつき続ける。


 「そら師範やヨハンは共生者やし本能で判るんやろ? 言い訳になりますが、私は学僧やし」

 「言い訳や」

 「せやけど、ずっと神殿であぁいうん見て育ってきたんや。信じろいうんが無茶や」

 「阿呆! 」


 より鋭い突きでサイイドの頭が叩かれる。思わず、サイイドが「ああいうん見て」と視線を投げた先を追う。それは大広場を囲むように立ちそびえる巨大な白い石の巨像が、無数に捧げられたランプの灯りに照らされながら埋め尽くす巡礼者たちを見下ろしていた。美女は慎ましく豊満な体をローブで隠して、美男子は筋肉隆々の体を隠さず、どれも巻物を持ち賢者のような杖を持っている。堂々とした聖者達。

 聖者達。

 

 「……まさか」


 カクンと、音をたてて顎が落ちた。あの美男美女の巨像がダショーの像とか。

 あぁ、だからニライカナイの仲間も「信じられない」と最初に零したのか? なかなかばれなかったのか? 神殿の巨像と、干からびた瓜のような容貌の俺が違いすぎるから?

 いや、待て、ちょっと待て。あんな堂々とした、ギリシャ彫刻のようなアレのような容貌な奴は現実にいないだろう。いやいや、現実のモデルを見て造形しなかったんだろうか。どう贔屓目に見ても、河辺に浮かんだエアシュティマスも少年も、あんな筋肉隆々じゃなかったし。だって外で運動も出来なかったんだから、痩せてヒョロヒョロしてたし。

 現実はあんな美しくも強そうでもなにのに。

 リュウ大師を見て開けた口のまま首を振ると、皺皺の顔に笑みを浮かべて極めて前向きな姿勢を示して弟子の失言をもみ消した。


 「願望やな。どうせ拝むんなら、別嬪さんで強そうな方がいいやろ。先入観っちゅうんは怖いですなぁ。まぁ、ばれへんのは良いんちゃますか? 」

 




 空は白み、辺りは明るくなってきた。広場に無数に掲げられたランプの灯りはすっかり弱まり、大広場を埋め尽くして平伏す巡礼者達や、聳え立つ深淵の大神殿がはっきりと浮かびあがる。

 薄明るくなり、夜の冷気が段々と和らいできている。タイルで装飾された神殿は、その輝きをさらに増していく。

 伏して拝む巡礼者達の向こうから響く詠唱は、ますます盛り上がりを見せてきた。この中州にいる人々は、皆が祈りを口ずさんでいるのだろう。

 最後尾の桟橋の端で、伏せているその背中を見ながら複雑な気持ちになる。

 彼らの祈りは、届くのだろうか。こんなにも真剣なのに、信仰の一つだろうダショーは彼らの後ろにいるのに。


 「早う、お乗りになって」

 

 サイイドがリュウ大師を背負い、桟橋から船へかけられた板を慎重に渡っていく。板を軋ませながら渡るサイイドに、汗びっしょりのラヴィが手を差し伸べる。

 

 「随分早う戻ってこれたな」

 「うん。なんか寒気がして……すんごく急がなきゃいけない感じで」 

 「まぁ、そりゃあんだけの玉獣が見張ってたらそうやろな。お疲れさん」

 「……は? あ、兄ちゃんも早く乗れよ」


 ラヴィの促す声に頷き、一度水面を覗いて探すと、一瞬だけ茶色の毛の固まりが浮かんで沈む。きちんと用事は済ませたぞ、と言いたげな様子に「ありがとうな」と囁いて船へ渡った。

 これから祭事の最高潮を迎えるこの時に船を動かす者は、まずいない。怪しまれる前に岸から離れなければいけない。俺が桟橋にかけた板を外し、サイイドが綱を外すと同時に長い竿に全身の体重をかけて河底を押していく。

 音もなく、ゆっくりと岸を離れて船が流れへと動き出す。

 帆を留めていたロープを外すと、僅かに吹き出した風を捕まえて帆は膨らみ、速度を増す。

 俺達が出来ることは、全て終わった。

 あとは、テンジンとヨハンが虹珠の風を解放して起こるどさくさで一仕事するだけだ。


 


 




 


 



 


 


 

 


 

次回 30日 土曜日に更新予定です。

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