無言の剣戟
氷像の騎士ニルヴァーナは相対する剣士と交わした視線から、口には出さないが静かに語る。
それは挑戦を受けよという意思。
ならばとばかりに剣士もまた抜剣して向き合う。
ニルヴァーナも氷の剣を抜き放ち、切っ先を合わせる。
いつ、だれが火蓋を切って落としたわけでもないが、二人は同時に走り出した。
「始まった…」
エルザはいつでも自分が出る気でいたが目の前で始まった剣戟を見逃さないために兜の面を上げていた。
「どうか…どうか…」
エルザの隣でオリヴィアが両手を握り合わせて祈りを捧げていた。
そんな両極端な二人に挟まれながら、スピカは祈りを捧げながらポラリスの雄姿を見逃さぬように見つめていた。
ポラリスはニルヴァーナと対峙し、蒼穹の聖剣一本で立ち向かう。自己強化すら最低限に抑え、完全に剣の腕だけでニルヴァーナと渡りあい、剣閃を交える。
何合か剣を合わせてからポラリスとニルヴァーナは力任せにお互いの剣を振り下ろし、衝突させる。
刃と刃が正面衝突し、甲高い音を辺りに響かせて膠着する。鍔迫り合いになってそれでも二人は尚更力を込めて押し切ろうとする。
膠着の天秤は少しずつポラリスに傾いていく。一歩、ポラリスが前に出て。力任せに右へと振り抜く。
ポラリスは普段から右手左手得意不得意は無くなるよう心掛けているがいざという時には右手で右へと振り抜く癖がある。今回もポラリスは無意識に自ら最も得意とする全力の一撃を見舞い、強靭な一撃はその余波だけでも雪煙を巻き上げる。爆発したかのような衝撃によってニルヴァーナはさらに後退し、剣を逆手に持って地面に突き立てて体勢を立て直す。
ポラリスの身長はこないだ久々に計測したところ170cmを超えたばかり。対するニルヴァーナの体躯は2.5mほど。それだけの体躯の大きさの差がありながらポラリスは不利を跳ね返すだけの膂力を見せつける。
残身から剣を引き戻し、中段・正眼の構えに剣を構えなおす。
しかしポラリスはその構えから滑らかに構えを変えていく。左手を離して力を抜いてだらりと下げ、右手を正面へと伸ばし、剣をその延長となる様に構え、切っ先をニルヴァーナの胸部の中心を狙い定めるように向ける。
意外にも待ち受ける側であったニルヴァーナが挑戦者であるポラリスよりも先手を取って大上段から氷の剣を叩きつける。ポラリスは右足を引いて左を前にした半身直立のままスレスレで回避し、引いた右腕を氷の剣の上を走らせて今度は左上へと飛び上がりながら切り抜け、返す刃を向けるがニルヴァーナも瞬時に振り返って剣を振り上げる。ポラリスの体が空中にあったことで今度はポラリスが少し吹き飛ばされる。
から恐ろしいほどの体幹でポラリスは空中で姿勢を維持する。剣を常に片手で握っている事もあり、ニルヴァーナを圧倒しているように見える。
事実、ポラリスはニルヴァーナよりも単純な出力も剣速も手数も勝っている。ニルヴァーナがいくら老獪に立ち回ろうとも決着はそう遠くはないだろう。
余裕が、ポラリスにはある。
ニルヴァーナは物言わぬ氷像だ。その心に焦燥は無い。かつて願った心は失われ、最後に残っているのは今も立ち続けているという矜持だけだ。
その矜持は騎士が簡単に敗北することを許さない。
兜の下に、あるべき瞳が怪しく、雄々しく光る。
「…ッ!」
大上段に氷の大剣を構えて勇猛果敢に突進する。瞬く間に雪上を駆け抜けて再び距離を詰める。
ポラリスも一歩前に出つつ剣を横に構え、氷の剣を垂直に受け止める。かざすように、軽々と受け止め、少し弾いてからがら空きの胴に横薙ぎの2連撃。ニルヴァーナが一歩引いて振り下ろして払うのをポラリスは同時に一歩引いて回避、剣を躱すように縦に2連撃。ニルヴァーナが剣を振り上げるのを右手で剣を逆手に持ち、そのまま片手で押さえつける。
圧倒的な膂力による優位を持ったまま、ポラリスはインファイトの間合いで一息つく。
刹那、ニルヴァーナは全身の鎧の隙間から吹雪を放出、雪煙を巻き上げ、さらに加速する。
力任せに大剣を振り回し、ポラリスの剣速に追いつく。流石のポラリスも八方から襲い掛かる連撃を片手では対処できないと見たか両手に持ち替えて大剣をいなす。
右からの横一文字を飛んで回避、続く左斜め上からの振り下ろしを同じく左斜めの振り下ろしで受け止め、お互いに弾いてポラリスは一足早く右上から振り下ろす。ニルヴァーナはなんとか押し留めようとするが一足早くポラリスの刃が鎧に届く。
再びダメージを負ったニルヴァーナはいかなる勝ちの目も無いことを既に察していながらそれでもこれまでノーザンを見守り続けていた矜持が諦めることを許さない。
不撓の魂が氷の鎧を動かす。
全てのリソースを一刀に集約させ、逆転の一撃を叩きつける。
ポラリスはグライドで斜め後ろに回避し、返しに左へ突き刺し、そして力任せに右に振り抜く。ニルヴァーナも受け止めようと剣を立てたが目にも止まらぬ一閃に弾き飛ばされ、背後に雪に突き立つ。
「これで、決着だ」
ポラリスは静かに勝鬨を上げてから蒼穹の聖剣を鞘に収める。
勝者は剣を自ら収め、敗者を剣を手放し膝を屈する。
「お疲れ様です、ポラリス」
「ああ。勝った、これでいいんだろう?オリヴィア」
「ええ、彼の試練はこれで達成のはずです…!」
遡ること数時間前。
「雪花園?」
「ええ。そこにある碑文は5000年前、キイがノーザンを再生させた時代に刻まれたと言われているわ」
「それはすごいわね。5000年も碑文という形式で残るだなんて。普通風化してしまうものね。やっぱり凍り付いているのかしら」
ポラリス、スピカ、オリヴィア、エルザの四人は調査を進めるために相談をしていた。
四人の中心に置かれているのはキイの叙事記。
本格的にキイの叙事記の捜査をするためだ。
「おそらくはね。だからこそ、イ・ラプセルの星の子の強力な感応能力が必要なのです。触れた物の記憶を読み取る力、御存じですよね?」
「当然だ。正式には念視という技術だが、スピカなら稀薄な残留思念でも読み取れるだろう。当時の情報が読み取れる可能性は非常に高いだろう」
「まかせて、オリヴィアさん。僅かでも残っているのなら、私とポラリスで必ず記憶を読み取って見せるわ」
スピカは力強くそう答えた。オリヴィアはその姿に満足そうに大きく頷いた。
それが、方針の決定を示していた。
会話に入れなかったエルザはテーブルに置かれていた茶菓子をほおばり続けていた。
「ただ、一つ問題があります」
「何?」
会議がひと段落しそうになったところでオリヴィアが申し訳なさそうにそう告げた。ポラリスは開きかけたホロモニターを即座に消す。
とにかく不確定事項は減らしておきたいのだ。
「雪花園を守護する騎士、ニルヴァーナは不抜の騎士と呼ばれる伝説の騎士。歴史上、幾万の力自慢、腕自慢が挑んだものの一人も突破出来なかったと言われています」
「なるほど。俺も負けるのではないかと危惧しているわけだ」
「いえ!そんな挑戦する前からそんなことは…!」
「別に怒っているわけではない。だが、そうだな」
ポラリスに矜持、騎士道精神、そういった見栄の類はほとんど持ち合わせていない。
ただ、彼にあるのは、最良の結末を求める暴力的なまでの覇道のみ。
「勝利が必要なら、手段を選ばない」
口ではそう嘯いていたが、ポラリスはごく自然に、真っ当に剣で打ち倒したことには充足感を覚えていた。
かつてセントラルに名を轟かせた英雄ニルヴァーナ・アクエスの母はノーザンの出身だった。
英雄の名がこの騎士から付けられていることは想像に難くない。
伝説への挑戦。武を究める者にとって心躍るものだ。
ポラリスは無意識に、伝説を超えたことを認識していた。
「必ず勝てると信じていました!」
「ありがとう、スピカ」
スピカに回復術式をかけてもらい、僅かに消耗した体力を気持ちいくらか戻す。
ただそれだけのことだが、物理的な労いでもあるのでポラリスは喜んで受け取る。
「ひとまずはこれでいいのか?」
「ええ、これで雪花園へ立ち入ることができます」
叙事記を抱えて先導するオリヴィアに続いてポラリスとスピカも雪花園に足を踏み入れる。
氷の騎士は敗北の瞬間から微動だにせず、静かに道を譲っていた。




