雪花園
さくさくと凍り付いた花畑を踏み荒らしながらポラリス一行は雪花園を散策していた。
かつては湖の小島だったのだろう。湖跡に切り立った断崖の上にどこまでも白い花が狂い咲く。
入り口は、ただ一つ。騎士が守る、一つの坂道だけだ。
「花が、雪の重みにも負けないのか。興味深い」
花に目が無いポラリスはつい目的を忘れそうになる。彼の足元に咲くニヴァリスはどれも頭を垂れてはいるが雪の重みにも負けずに折れずにその存在をアピールしていた。
「ポラリス?」
足を止めたポラリスの後ろを歩いていたスピカがポラリスの視線の先を覗き込むように回り込む。
二人の生まれた土地であるイ・ラプセルは都市の周囲が広大な平原が広がっており、そこに色とりどりの花が咲き誇っているのだ。
雪に隠れる白い花。
その美しさに見惚れて立ち止まる。
何も過去の人物と感動を共有するためには何も記憶を読み取る必要などない。過去と同じ景色が保たれている内はどれだけ未来に生きていても人は同じ感情を共有できるのだ。
「二人共、何をしているのですか?」
「すまない、何でもない」
オリヴィアはついてこない二人を疑問に感じてふと振り返る。オリヴィアは二人が過去の記憶を見ることで情報を得るために連れてきたが、過去を見ることという感覚をオリヴィアは知らない。
「行こう、スピカ。ここには、また来れる」
「そうね」
名残惜しさを振り切って二人は進む。
花畑の奥に少し開けた小さな祭壇が置かれていた。かつて何かを祀り、祈りを捧げていたのだろう。
祭壇の前に、草花の生えていない場所がある。
三人は一度そこで立ち止まった。それぞれの形で名もなき神に祈りを捧げてから中央に刻まれた碑文を覗き込んだ。
「これ、共通語ね」
「ああ。丁寧な敬語のようだがどこか砕けている。おそらくこれを刻んだ者は礼儀正しくとも礼儀をあまりしっかりと学べなかったのだろうな」
「ポラリス、失礼よ」
「署名は、無いようね」
「内容は、ここに祀られていた神の事か?だが友という表記もあるな」
「現人神でしょうか?それにしてもかなり具体的なような…」
「何がともあれ、念視すればわかることだ。始めよう」
ポラリスとスピカの二人が共に碑文に触れて目を瞑る。
三人が過去に思いを馳せている頃、エルザは一人雪花園の入り口にいた。
彼女は敗北し膝をついたニルヴァーナを放っておくことが出来ずに立ち尽くしていた。
何かの使命を持ち、そして使命に殉じる覚悟を理解しているエルザは使命を終えた者同士の縁を感じていたのだ。
「お前は、どうしてここで待っていたんだ?」
ニルヴァーナは喋らない。黙りこくったまま片膝をついて俯いている。兜の下に顔は無い。眼の光は見えない。しかし確かな意思が感じられる。
「お前は伝えたいことがあるからここにいるのではないか?」
ピクリと、わずかに氷の兜が動いた。様な気がする。
「お前の誇りは、どこにある?」
確かに、ニルヴァーナが反応した。彼は、決して意思のないゴーレムなのではなかった。
確固たる意志を持つ、一人の騎士だったのだ。
「私の雇い主は、答えを探している。教えてくれないか?お前の使命は、まだ完全に終わったわけではないはずだ」
碑文一つ、守って終わり。この騎士に命じた主が望んだことは、碑文を守ることではないことぐらい部外者のエルザにもわかった。
当然、ポラリス達も分かっていたはずだ。だが、意思があると分かっているならば、記憶を盗み見るという騎士の誇りに傷をつけることは騎士を従えるものとして看過できなかったのだろう。
だがきっと騎士は答えを知っている。エルザは確信があった。
彼女は仕える者だから、騎士を理解し、そして背中を押すことが出来る。
「行こう」
ニルヴァーナが立ち上がった。
「どうでしたか?」
ポラリスとスピカが顔を上げたのは同時だった。
だが二人の表情からあまり収穫は無かったことが伺えてしまう。
「すまない、5000年前の記憶は既にほとんど風化されてしまってあまり見ることが出来なかったのだ」
「そう…ですか…」
「ただ収穫はゼロではない。少なくとも、あの物語には続きがあることをこの石板は悠然と物語っている。思い出は薄れても、形として残っていたんだ」
「オリヴィアさん、落ち込まないで。まだ手掛かりはあるはずよ」
スピカに慰められてもオリヴィアは失意で項垂れる。無理もない。歴史は年月が経てば込められた想いも忘れられる。彼女が受け継いでいると認識していても、時の流れは非情だ。
だが彼らは失念していた。悠久の時を経ているのは碑文だけでは無いことに。
「待ってくれ」
そこへエルザに連れられてニルヴァーナがやってきた。
「こいつはずっとここを守ってた。だから、きっとそれだけ強い意志を持ってる筈だ」
「ニルヴァーナ…そうよ!ニルヴァーナも5000年前から変わっていないんだわ!」
「碑文よりは、記憶に望みがありそうだな」
湧いて出た必然に一同は湧く。想いを託すものとして、最後の役目が残っていたのだ。
「ニルヴァーナ…貴方の記憶、お見せください」
オリヴィアの嘆願に応えるように、ニルヴァーナは片膝をついて頭を垂れた。
「お願いします。お二人共」
「ええ、任せて」
ポラリスとスピカがニルヴァーナの両肩に手を置く。
再びポラリスとスピカは記憶の回廊へと潜り込んでいく。今回は提供者のニルヴァーナが協力的だったこともありそこまで時間がかからなかった。
記憶の回廊から戻った二人は憐憫な目でニルヴァーナを見つめていない。
「敵はいない、か。これはなんとも…」
「そう、ね。敵は、いなかったのね」
「どう…でしたか?」
一瞬にして様子の変わった二人を見てオリヴィアは途端に不安になる。何かに怯えたような様子を見てスピカは安心させるように笑顔を見せる。
「大丈夫、心配しないで。ひとまず陣地まで戻りましょう」
「そうだな。ニルヴァーナ、感謝するよ。貴殿の勇名は遠い我が故郷まで届いている。世界に名だたる英雄に、敬意を表する」
別れの時、ポラリスは今世最上の栄誉を最後に投げかける。氷像の騎士はものを言わない。目も無いがより深く頭を垂れる姿は口ほどに雄弁に語っていた。
彼に言葉を発することができたなら、きっと彼は当時の主や友の名を語っていたことだろう。
陣地に戻り、二人がニルヴァーナの記憶から得た情報を共有するために整理してホロモニターに分かりやすく表示した。
「彼の記憶には、叙事記の記述に沿った出来事が実際に残っていた。叙事記はキイがノーザンの公主に担ぎ上げられているところで終わるが、その式典の光景も記憶に強く焼き付いていた」
ポラリスが叙事記の記述されているページを表示しながら説明していく。式典はかなり人気のエピソードでもあるので様々な挿絵が描かれているのだがどれも想像にすぎなかったことも新たな発見の一つである。
「だが当然彼の記憶には続きがある。それは彼が平原から見ている光景だ。都市が焼け落ち、世界を焼く大火災が起こり、そしてその後に永遠に止まない雪が降り始めた。原因は残っていなかったが、彼の認識は5000年分違わず残っていた」
ホロモニターの端に表示されていた時系列を拡大表示し、キイが公主になってからクルーエルの侵入までの部分が赤く染められる。当然大火災と雪の降り始めも赤く染まる。
「キイが公主に即位してからクルーエル遠征軍の侵入まで、敵はいなかった。つまり、5000年の時を経て、このノーザンの地に眠る特異点は、ノーザンに害する意思を持っていないことになる」
ニルヴァーナは、火災も、雪の正体も予想がついていた。記憶を読み取っても当時の思考は分からないので二人には伝わっていないが、彼が消息を絶ったキイを捜索しなかったのは、脅威ではないと判断したであろうことはニルヴァーナの行動から判断が出来る。
しかしオリヴィアは戦慄せずにはいられなかった。恐るべきは存在がノーザン陣営の内側にいるという事実を認めたくなかったほどに思考を保っていられなかった。
彼女は伝説の英雄とその仲間たちを誰よりも尊敬し崇拝していた。しかしその仲間たちに何があったのか、今すぐに真相を知りたくてしょうがなくなってしまった。
そんな反応になることはポラリスもスピカも予想していた。
「今日はこれで休もう。スピカ、オリヴィアを落ち着かせてやってくれ」
「ええ、任せて。さあ、オリヴィアさん、こちらに」
スピカを頼りながらおぼつかない足でテントの中にオリヴィアが入っていくのを確認してから、ポラリスは隣で干し肉を齧るエルザに暖かいお茶を差し出した。
「ありがとう」
「それはこちらこそだ。ニルヴァーナの記憶を読み取るということを失念していた。いや、無理だと諦めていたかな」
「役目が終わっても、人生が終わるわけじゃない。彼はあそこで敗北しても、まだできることがあった。それだけ」
「君も、そうだから、かな?」
「そう」
「そうか」
ポラリスはホロモニターを全て閉じて、自分の視界内だけで確認する。リゲルとアトリアの所見を確認しつつ、次の行動を考える為自分のテントに戻る。
エルザは一人焚火を眺めながら残り、干し肉を齧り続けていた。お茶を飲むのも同じ手だ。
残る片方の手には、一輪のニヴァリスがあった。




