第十話 名前
「......何を、しているの?」
目を点にしてサキュバスが首を傾げる。目の前で起きていることを受け入れられないといった様子だ。
「いっでええええええ!? はあっ、はあっ、こんだけ血ぃドバドバ出てりゃ、仮にチャームで俺の体を操ってもナイフを扱わせることは難しいだろ......。それに痛みで頭が冴えてきたからなァ。チャームにはもう掛からねえ。観念しろ」
「あなた、頭可笑しい......」
「何を今更。それに、テメエに買ってやったスマホ、旧型でも安くねえんだからな。契約もしてるし、今死なれたら困るんだよ」
俺はナイフを適当に投げ捨てるとサキュバスの頬を両手で挟んだ。
「何なの」
「やっぱ、サキュバスだな。お前。見た目悪くねえ」
「.......っ。私はあなたの考えていることが分からない。あなたの取る行動一つ一つが気に障る。あなた、何がしたいの?」
「自分が喚んだサキュバスを責任持って世話してるだけだ。それ以下でもそれ以上でもねえ。ただ、してやりたいことをしてるだけ」
その時、張っていた糸がプツリと切れたように、サキュバスの表情が柔らかなものに変わった。
「......サキュバスの体液は興奮剤の効果があるの。本来は寝ている人間に少量飲ませるものなんだけど。さっきはそれをあなたにご飯から大量に飲ませた。それで興奮作用が人間の体の限界を超えて、ああなったの」
「つまり?」
「殺すつもりはなかった。私は殺して欲しかっただけ。......でも、あなたの態度に苛立ったのは本当だよ」
「そうか」
まだ頭痛も筋肉痛も息苦しさもあるが、先程と比べると若干、マシになってきているのを俺は感じていた。
「あ、後、さっき蹴飛ばしたときに骨折っちゃったみたいだから治しとくね。その他の怪我も」
「そっちは普通に怪我してんのかよ。ふざけんな」
「でも、分かったでしょ。これがサキュバスと一緒に暮らすということ。私が少し、理性を失っただけで骨を折られる、そんな生活、嫌だよね?」
脱いだ服を着ながらサキュバスは同意を求めてきた。どうやら、一先ず、死ぬ気は無くなったらしい。
「確かに嫌だな」
「だったら、私と早く契約してくれないかな。そうしてくれたらあなたに殺されずとも、自殺することが出来る」
「そっちの方がもっと嫌なんだよ。俺は。お前を自殺させるくらいなら、骨を折った方がマシだ」
「変な人......」
「一応、感謝してんだよ。悪夢を消してくれたり、あの会社から解き放ってくれたこと」
「ふうん......」
「ああ、ヤベエ。何か眠くなってきた」
「体液の効果かな。睡眠を深くする効果があるから」
「チッ。ざけんなよ......」
「仕方ないわね。ほら、私の方に倒れて良いよ。おやすみ」
俺は必死に意識を保とうとしたが、直ぐに瞼が閉じてしまい、しまいには脱力して彼女の方に倒れてしまった。バタリと倒れた俺を彼女が抱きしめる。
花のように爽やかで、ミルクのように甘く、蜂蜜のように濃い匂いがする。これがサキュバスという種族の匂いなのか、コイツだけの匂いなのかは謎だが、非常に危険な匂いだ。
「あ、私の匂い、あまり吸ったら依存症になるよ」
「いや、ふざけ、んな」
そう言いながらも俺は彼女の匂いを体全体で感じ、少しずつ、少しずつ、精神を深い睡眠へと落としていった。丁寧に、丁寧に俺の頭を彼女が撫でる。気持ちが良すぎる。
こんな奴にサキュバスとして襲われたらひとたまりもないだろう。
「ちょっと、精気が漏れ出してるよ。立派な大人の癖に、頭撫でられるのが気持ち良いの? というか、あなたの体、意外と細いんだね。もっと、ゴツゴツしてるかと思ってた」
「zzz......」
「おやすみ。また明日、ね」
「zzz......」
「それにしても、やっぱり、サキュバスの前で寝るとか、死にたいのかな?」
「死にたくねえ」
「あ、起きてたんだ」
「テメエが物騒なこと言うから目え覚めた。......まだ、眠いけどよ。寝る前に一つだけ聞かせろ」
「何?」
俺は眠い目を擦り、全身の力を使って起き上がるとサキュバスの肩を掴み、顔を彼女の顔に近づけた。
「名前、教えろ。こっちは骨数本折ってんだ。聞かせてくれても良いだろ」
「......もう繋いだけど。魔法で」
「便利だなあ魔法!? 良いから教えろ! テメエが多少なりとも罪悪感覚えてるんなら」
「はあ......分かった。一度しか言わないから、よく聞いてね」
サキュバスは目を逸らし、観念したようにそう言った。
「おう」
「......ステラ・フォン・フォーサイス。これで良い?」
「え、あ、ああ? フォンフォー、何だって? ......もう一回言え」
「一度しか言わない、って言ったよね?」
「もっと、ゆっくり言ってくれたら聞き取れたわ! 言うのが早いんだよ! もう一回言え!」
「めんどくさ。......悪魔に名前の復唱をさせるとか、ホント、度胸あるね」
サキュバスは溜息を吐き、口を俺の耳元に持っていく。そして
「ステラ・フォン・フォーサイス。フォンフォーサイスじゃないよ。フォン・フォーサイス」
と、当てつけのように優しく、ゆっくりと名乗った。
「ステラ・フォン・フォーサイス、な。貴族か何かの出か? お前」
「......どうして分かったの」
「フォン、つったらこっちの世界では昔のドイツ貴族の称号だからな。オットー・フォン・ビスマルク、とか」
「あなたって、見かけによらず博識だよね」
「だから、その見かけによらず、っての止めろ。......眠くなってきた。ステラ、寝るぞ」
「うん。お休み。サキュバスの前で無防備に寝た訳だから、明日の朝、精気搾られ尽くして干物になってても文句言わないでね」
「いや、言うからな。変なことすんなよ」
「・・・・」
「おい、何か言え。......ねむた。おい、やめろよ。おこるからにゃ。zzz」
「......人間を見て、こんな気持ちになるだなんて思ってもみなかったわ」
そんなステラの溜め息混じりの声を聞いたのを最後に俺の意識は完全に飛んでしまった。
記念すべき第十話です! 評価、ブクマ、レビュー、感想、いいねは非常に励みになるので宜しくお願いします!