7話 これはデートですか?
王立庭園は、その季節にふさわしい花々で彩られている。
煉瓦道を歩きながらたくさんの花を観賞するのもいいし、ガゼボで休憩しながらお茶を飲んでもいい。庭園内にも警備の兵士やお茶係の使用人がいて、設備も充実している。
周りにいる客は、綺麗に着飾った上流階級の人たちばかりだった。たまに子どもの姿もあるけれど皆きちんと両親の言いつけを守り、騒いだり走ったりすることなく煉瓦道を歩き、花について使用人に質問していたりしている。
今日は天気もいいし、散歩日和だ。
ヒルダが差してくれる日傘の影から、私はそっと隣を歩くベルンハルド様の横顔を盗み見た。
高い鼻に、薄い唇。
切れ長の目は涼やかで、思わず見惚れてしまう。
……本当に、こんなに素敵な人と婚約することになったなんて、今でも信じられない。
数代前は市民階級だったレヴィンス家の私と違って、ベルンハルド様は由緒正しい伯爵家のお生まれ。
もしお祖父様が富を築かず爵位を授かることもなかったら、こうして隣を歩くことすらなかっただろうな……。
「……何か?」
あっ、あまりにもじっと見ていたからか、気配に気づかれたみたい。
ゆっくり振り返ったベルンハルド様に見つめられ、私は誤魔化し笑いをする。
「……いえ、ついベルンハルド様のお顔に見入ってしまっていました」
「……」
「……え、あの、すみません。ご不快でしたら、やめます……」
「そうか」くらいの返事はくれると思ったら、あからさまに迷惑そうに顔をしかめられたので、さっと胸の内が冷えた。
いくら婚約者とはいっても、何もかも許されるわけではないのだ、と遅れて気づいたけれど――許してもらえるだろうか。
私が反射的に謝ると、ベルンハルド様は足を止めた。
私も彼の隣で立ち止まると、ベルンハルド様は徐にこちらに顔を向けた。柔らかな風を受けて、ジャケットの裾と金色の髪が緩く揺れる。
「……不快では、ない」
「……あの、ご遠慮なさらなくても……私が不躾だったのは、事実ですし……」
「だから、不快ではない」
珍しく急いだ様子で言った後、ベルンハルド様ははっとしたように目を丸くして、俯いてしまった。
何も言わなくなったベルンハルド様の様子に困って私が視線を横にやると、それまではヒルダと並んで控えていたイアンが一歩前に進み出た。
「ベルンハルド様のお気持ちを代弁させていただくと――ベルンハルド様はアーシェ様に見つめられて、緊張なさってはいても不快だとは思われておりませんよ」
「……本当ですか?」
ベルンハルド様の腹心らしいイアンの言葉だけど、半信半疑だ。
私がベルンハルド様に視線を戻すと、彼は少し悩んだ末に、ゆっくり頷いた。
「……イアンの、言う通りだ」
「そうなのですね……?」
「……ああ。だが――」
そこでベルンハルド様は一旦言葉を切り、イアンに何か耳打ちした。
心得た様子のイアンが、私を安心させるように微笑んで口を開く。
「ベルンハルド様はこれまで女性と縁の薄い生活を送られていたので、うら若い女性であるアーシェ様に見つめられて、返事に詰まってしまったそうなのです。アーシェ様はベルンハルド様の婚約者でいらっしゃいますから、気になったことがあれば何でもおっしゃっていいし、じっと見つめても構わないそうですよ」
「そうなのですね、ベルンハルド様」
イアンの説明に、私はほっと胸をなで下ろした。
どうしてわざわざイアン越しに返事をさせるのかは分からないけれど、別に「自分の口で言わないのなら信用しません」と突っぱねるつもりはない。
そもそもベルンハルド様はお喋りが得意ではないみたいだし、イアン越しだろうと何だろうと気持ちを伝えてくれただけで、私は十分だ。
ベルンハルド様は頷くとイアンに向かって「……すまないな」と詫び、遠慮がちに私の右手をそっと取った。
「……花、見よう。アンネリエの亜種も、どこかに、ある、はずだ」
「まあ、そうなのですね。こういうところで管理されているアンネリエならきっと、とても立派なものなのでしょうね」
私が言うと、ベルンハルド様は頷いた。
そして前を向くと、私の手を引く。
ちらっと背後を見ると、ヒルダはやれやれと言わんばかりの顔で、イアンは真意の読めないニコニコ笑顔で、私を見てきていた。
二人の従者に頷きかけ、私は歩調を揃えてゆっくり歩いてくれるベルンハルド様の隣に並び、煉瓦道を再び歩きだした。
その足取りは、我ながらとても軽かった。
庭園の隅で満開のアンネリエの亜種を見つけたり、新種の薔薇を観察したり、これまで見たことのない花を発見してベルンハルド様――実際に喋ったのはイアンだけど――に教えてもらったりと、充実した時間を過ごせた。
「とても楽しかったです!」
「……それは、よかった」
たくさん歩いたしたくさん喋ったから少し疲れたけれど、心は弾んでいるし満足感がすごい。きっと、同じ王立庭園でも一人で歩いただけでは、こんなに満ち足りた気持ちにはなれなかっただろう。
一通り回ってから、ガゼボで休憩する。
すぐにイアンが庭園勤務の使用人を呼び止めて、二人分のお茶と菓子の準備を頼んでくれた。
そうして持ってこられたハーブティーはよく冷えていて、歩き回って火照った体をほどよく冷ましてくれた。使用人曰くこのお茶で使われているハーブも庭園で栽培されたものらしく、香りがとっても豊かだった。
「今日は、一緒に庭園散策できて本当によかったです」
「……そうか」
「……。……あの、ベルンハルド様」
「何だ」
向かいの席から、ベルンハルド様が視線を投げかけてくる。
相変わらず表情筋の活動に乏しくて、感情がうまく読み取れない。
でも……さっきイアン越しに、「気になったことがあれば何でも言ってくれればいい」みたいなことをおっしゃっていたし――
「……あ、あの。ベルンハルド様は……その、どうでしたか?」
「……どう、とは?」
「今日の、デートについてです」
……あっ、つい「デート」なんて俗な言葉を使ってしまった!
こういうとき、ベルンハルド様のような名門貴族の方に対しては、「散策」みたいな言葉を使うべきだったか……。
言い直そうか、と思っていると、ベルンハルド様は目を丸くした。
彼が胸に挿しているスミレの花もふるふると震えて――ぽつ、と花の横に小さな蕾が生じた。
……あ、あれ?
今、何もないところからいきなり蕾が増えたように見えたけれど――気のせい?
でも、じっくり見てみてもやっぱり、蕾が一つ増えているような……?
じっとベルンハルド様の胸元を凝視する私をよそに、ベルンハルド様は少し目を細めて、ふーむ、と唸った。
「……デート、か」
「す、すみません、デート……ではなくて、散策、ですよね。今の、忘れてください」
「……」
ちょいちょい、とベルンハルド様がイアンを呼ぶ。
そうして彼に何事か耳打ちすると、ベルンハルド様はテーブルの上で組んだ両手の甲に額を預けるように俯いてしまった。さらりと金の髪が揺れて、彼の顔を隠してしまう。
脱力しているかのような姿勢だから思わず私は体を固くしてしまったけれど、イアンは微笑んで、「アーシェ様」と私を呼んだ。
「アーシェ様が言い直される必要はありません。ベルンハルド様は、今日のこの散策がいわゆる『デート』なのだと今、お気づきになったようです」
「……そ、そうなの?」
「はい。簡単に申し上げますと、ベルンハルド様は今、照れてらっしゃるのです」
「イアン」
さっと顔を上げたベルンハルド様が、余計なことまで言うなと言わんばかりの鋭い眼差しでイアンを睨むけれど――私には、見えてしまった。
さっきまでは髪で隠していたベルンハルド様の耳が、ほんのり赤くなっている。
私の視線に気づいたらしいベルンハルド様ははっとこちらを見ると、気まずそうに視線を逸らしたけれど、今度は目元もうっすら赤く染まっていた。
照れてらっしゃる。
今日の散策が、いわゆるデートだと気づいて――
……か、顔が、熱い……。
自分で蒔いた種だとは分かっていても、どうしても頬が熱くなってきて、ベルンハルド様のことを笑えないくらい自分の顔も赤くなっていることが簡単に予想できる。
だって、今日のお出かけは私にとって、初めてのデートで。
ベルンハルド様もそれを意識して、照れてくださって……。
私は、ティーカップを掴んで中のお茶を一気に呷った。
同じことをベルンハルド様も思っていたようで、彼も冷たいハーブティーをぐいっと飲む。
そして二人ほぼ同時に噎せてしまい、ヒルダとイアンに心配されてしまったのだった。