8話 紫の花
ガゼボでお茶休憩をしてから、伯爵家の馬車に乗る。
行きと同じくヒルダとイアンは御者席にいるから、この座席にいるのは私とベルンハルド様だけ。
行きでは緊張もあって、ほとんど会話がなかったけれど――
「……今日見たお花、どれもとても綺麗でしたね」
「……そうだな」
「あ、そうだ。前いただいたアンネリエですけど、私としては珍しいくらい順調に成長しているのです。もう、これくらいの丈になったのですよ」
「……そうか」
「そういえばイアンが、ベルンハルド様のお屋敷には植物に関する本や図鑑もたくさんあると言っていました。いつか、読ませてもらってもいいですか?」
「……構わない」
相変わらず私が十喋ってベルンハルド様が一返す程度のやり取りだけど、こういうコミュニケーションもアリだろうし、むしろ楽しいと思えてきた。
だって、ベルンハルド様は言葉少なだけど必ず反応をしてくれるし、その僅かな言葉はどれも、口調が優しい。それに、そっぽを向いたりせず私の方をしっかりと見て話を聞いて、返事をしてくれる。
綺麗な顔の綺麗な目で見つめられると緊張するけれど、「私」という人間に少しでも興味を持って、好意的に接してくださるのだから、嬉しい。
……あ、そういえばベルンハルド様が胸に挿しているスミレ、やっぱり蕾の数が多く見える。
もしかすると、最初は角度の関係で見えなかったけれど、ベルンハルド様が体を動かして服がずれたことで見えるようになったのかな。
何にしても、胸に花を挿すなんて風流だ。私もいい感じに真似してみたいなぁ。
「そういえばこの前から気になっていたのですが、ベルンハルド様はスミレがお好きなのですか?」
「……。……なぜ、そう思う?」
……あ、あれ?
そんなに訝しげに聞かれることかな? 見れば分かるのに。
「だって、この前も今日も、胸にスミレの花を挿してらっしゃるではないですか。前よりも花が開いているようですし、好きなお花だから身につけてらっしゃるのかと」
「……」
ベルンハルド様は目を細めると、自分の胸元に手を伸ばした。
彼の大きな手が、スミレの花のある辺りを触れる。でも、スミレが彼に触れられたようには見えなかった。
「……何も、付けていないが」
「……えっ?」
「スミレは、好きだ。……だが、付けてはいない」
ベルンハルド様はゆっくり言われたけれど――そんなはずはない。
「でも……あの、すみません! 少し、触れます!」
「あ、ああ……」
私の勢いに呑まれた様子だけど、一応許可はもらったので私は身を乗り出して、ベルンハルド様の胸に手を当てた。
スミレの花を挿している、左胸の――心臓の上辺り。
そのスミレを親指と人差し指で摘もうとするけれど、私の指は何もない空間を掴むばかりで、柔らかな花びらに触れることはできなかった。
「……えっ? な、何、これ……?」
「……その、アーシェ嬢」
「ここに、これくらいの、スミレが……あっ、もう、どうして? 何なの、これ……?」
「……すまない。少し、離れてくれ」
「え……あっ」
半ばやけになってスミレを掴もうとしていた私は――ベルンハルド様にやんわりと止められてやっと、今の自分の姿勢に気づいた。
馬車の座面に左手を突いて体を屈め、右手でぺたぺたとベルンハルド様の胸元に触れている。
しかも、スミレをじっくり見ようとしているから、ベルンハルド様の胸に顔を埋めるような格好になっていて――
「……し、し、失礼、しましたっ……んぎゃっ!」
ずざぁっと後退したら、後頭部を背もたれの角にぶつけた。
ぐおぉ……と痛みで呻く私を、ベルンハルド様が心配そうに覗き込んできた。
「……大丈夫か?」
「だ、大丈夫です……す、すみません、ちょっと、疲れたみたいで……目がチカチカしているのかもしれません」
「……そうだろうな」
ベルンハルド様は痛む後頭部をさする私を見つめ、遠慮がちに腕に触れてきた。
ドレスの布地越しに、ベルンハルド様の大きくて熱い手の平の感触が伝わってくる。
「……今日は、たくさん、歩かせた。……ゆっくり、休んでくれ」
「……は、はい。そうします。あの、でも、疲れたけれどとても楽しかったので……よかったらまた、一緒にどこかに遊びに行きたいです」
「……デート、か?」
ベルンハルド様の方から問われて、私はうっと呻きつつ頷いた。
「……そう、です」
「……。……分かった。また、どこかに、行こう」
そう言うベルンハルド様は、柔らかく微笑んでいた。
初めてお目に掛かったベルンハルド様の穏やかな微笑みを前にした私はつい、息を呑んでその美貌に見入ってしまった。
そうしてコクコクと頷くけれど――やっぱり私の目には、ベルンハルド様の胸元に愛らしいスミレの花が咲いているように見えたのだった。




