43話 伯爵の目論見
「父上」
長男がこそっと耳打ちしてきたため、知人と談笑していたエストホルム伯爵は丁寧に詫びてその場を辞し、息子と共にその場から移動する。
「……首尾は?」
「成功です。男爵家の小娘は、まんまと嵌ったようです」
息子がニヤニヤしながら言ったため、伯爵もふっと笑った。
「それは、僥倖。まさかこうもうまくいくとはな」
「申しましたでしょう? ベルンハルドはあの小娘に弱くて、逆に小娘もベルンハルドに弱い。二人はここしばらくまともに顔を合わせていないとのことですし……おまけに、この雑多な仮面舞踏会です」
「そうだな。……これで、ベルンハルドが生意気な口を叩かぬようにすればよいだろう」
伯爵は、ほの暗く笑う。
ベルンハルドの偽物に釣られて裏庭に向かった、アーシェ・レヴィンス。
彼女の行く先には、使用人として侯爵邸に潜り込ませていた男たちが待ちかまえている。
男爵令嬢・アーシェが、見知らぬ男たちに穢された。
これは、ベルンハルドとアーシェの婚約を無効にする最高の材料となる。
財力でのし上がっただけの、成り上がり貴族であるレヴィンス男爵家。平民に毛が生えた程度で、そこの娘もぱっとしない野暮ったい令嬢だった。
ベルンハルドには出生の秘密があるが、あの牛糞臭い故郷や祖父を人質にしているため、ベルンハルドは伯爵家には逆らえないし、自分の生まれを明かすこともできない。彼のことは無口で無気力な便利な人形として、一生飼い殺すつもりだった。
レヴィンス男爵家も、金がなくなったり従順でなくなったりするようなら、用はない。
伯爵家の経営のための資金として吸い取れるだけ吸い取り、その後は適当な理由を付けて捨てるつもりだ。アーシェの不貞はそのときにでっち上げて離縁の理由にするつもりだったが……予定が狂った。
あの都合のいいベルンハルドが、生意気になった。
黙れ、と言っても黙らず、反抗的な目で見てくるだけでなく、口答えしてくるようになった。
喋るようになった人形に、用はない。
だが彼を息子として――気まぐれに手を付けたメイドではなく亡き伯爵夫人の子として申告している以上、ベルンハルドを追放することは難しい。彼にはこのまま騎士団に残り、伯爵家の名誉を築かせる必要がある。
となると、排除すべきはアーシェ・レヴィンスの方だ。
息子も言っていたように、ベルンハルドの原動力はあのちんちくりんの小娘だ。
ベルンハルドは異性関係において潔癖なきらいがあるようなので、いくら愛している女性とはいえ複数の男に穢されるようなことがあれば、嫌悪の対象になるはずだ。
そうすれば、伯爵は息子と男爵令嬢の婚約を堂々と破棄できる。そしてベルンハルドは、元の無気力な男に戻る。
「経過が分かれば、すぐに知らせよ。可能であれば、今宵この場で婚約破棄を――っと」
「ごきげんよう、エストホルム伯爵。楽しんでらっしゃいますか?」
満足の笑みを浮かべていた伯爵は、白い仮面の中年女性――この仮面舞踏会の主催者であるヘンリクソン侯爵夫人に挨拶されて、慌ててそちらを見やった。
そして背後に回した手でシッシと息子を追い払い、愛想のいい笑みを浮かべる。
ヘンリクソン侯爵家とは、それほど懇意にしているわけではない。だがせっかく今宵招待されたのだから、媚びを売っておいてもいいだろう。
「こんばんは、侯爵夫人。かような素晴らしい夜会にお招きいただけたこと、感謝します」
「よろしいのですよ。……今日はご子息はお一人だけだったようですね」
夫人におっとりと尋ねられ、伯爵は悲しむような表情を貼り付けて頷いた。
「ええ。次男の方は、昨日まで参加の意志を見せていたのですが、あいにく発熱してしまい、自邸で休んでおります」
「まあ、それはお気の毒に……お大事になさってくださいね」
「ありがとうございます。次男はよいのですが、三男がどうしようもなくて……」
「ベルンハルド様、でしたっけ。あまりこういう場にはいらっしゃらないようですが、お元気になさっていますの?」
「元気なのですが、どうしようもなく我が儘でして」
気遣うように夫人が問うてくるので、やれやれと思いながらも、「出来の悪い末っ子を案じる父親」の仮面を被る。
「子どもの頃は病弱で、そのときに使用人に甘やかされたのがよくなかったのでしょう。表に出すのも恥ずかしい愚息でして、我々も手を焼いております」
「そうでしたか……確かベルンハルド様は今度、男爵令嬢と結婚なさるそうですが、大丈夫でしょうか?」
「私としても案じております。相手の令嬢もあまり品があるとは言えず、伯爵家の一員としていくことに一抹の不安がございまして――」
「あら、そうですの? 甥から聞いた話とは、随分違いますが」
「……え?」
夫人の発言の意図がよく分からず、伯爵は思わず聞き返してしまった。
だが夫人はもうこちらには目もくれておらず、すました顔で会場の入り口の方を見ていた。
会場の客たちもざわついており、楽団でも来たのだろうかと思いながらそちらを見やった伯爵は――我が目を疑った。
会場の入り口に、三人の人物の姿がある。
一人は、ベルンハルドの屋敷で従者として働いているイアンという男。黒いお仕着せ姿の彼は一礼して、自分の隣に立っていた男女を会場内に促した。
男の方は――ベルンハルドだ。
彼が纏う濃い青の軍服は、騎士団の制服。ジャケットとスラックスだけでなく、式典用の制帽やマントも着用している。
目元を銀色のシンプルな仮面で覆っているようだが、エストホルム伯爵家の血を濃く受け継ぐその美貌は隠しようもなく、彼を見て周りの貴婦人たちがほうっと感嘆のため息をついている。
……三男の登場自体は驚きだが、彼はまだいい。
信じがたいのは、彼の隣に寄り添う女性の存在だ。
紫色の光沢のあるドレスや黒のカクテルハットには、汚れなどが一切見られない。
黒い仮面で目元を覆った彼女はベルンハルドの腕にしっかりと掴まっており、ふと二人は見つめあい、ほんのり微笑んだのが遠目にでもよく分かった。
あれは、あの紫色のドレスの女は、アーシェ・レヴィンスに間違いない。
だとすれば、今頃裏庭で男たちに囲まれているはずの女は、一体誰なのか――?




