30話 ベルンの変化
ベルン様は自分の言葉について、部外者には知られたくないようだ。
でもその例外の一人が、騎士団の同期であるルーカス様だった。
「いやぁ……僕、実はかなり感動しているのですよ」
そう言うルーカス様は、本当に嬉しそうに頬を緩めていた。
今日、私はヒルダと一緒に騎士団区にお邪魔していた。今日も小規模の公開試合が行われるので、騎士団区も一般開放されている。
でも、今回の試合にはベルン様もルーカス様も参加されないらしい。
ということで私はこれを機に、ベルン様の様子を見に来た。ベルン様の方からのお誘いだし、きちんと身分証明もできるから咎められることもない。
私がヒルダと一緒に待ち合わせ場所に行くと、そこにルーカス様が来てくださった。彼はちょうど休憩時間らしく、私を訓練所に連れて行ってくださるそうだ。
私たちを連れて歩きながらルーカス様が嬉しそうに言うものだから、私は少し声を潜めた。
「それは……ベルン様のことですよね?」
「ええ、そうです。……なんといいますか、あいつが無口なのは前から知っていましたけれど、なぜなのかとか、どうして実家との折り合いが悪いのかとかは、知らなかったのです」
それも当然だろう。
伯爵はベルン様がメイドの生んだ田舎育ちだということを徹底的に伏せていて、「伯爵夫人が生んだ末の子だが、病弱なので誕生後すぐに療養させていた」ということにしていた。
こういうのは昔からよくあることらしくて、そのまま快癒せずに死んでしまうこともあるため、完治して王都に戻ってくるまでは実子としての報告を出さないこともある。
そういうこともあり、ベルン様の出生の秘密はうまく隠し通せた。
そして自分の思い通りに動く駒にするべく、ベルン様のお祖父様や村の人たちを人質にして、伯爵家子息として生きるよう命じた。
だからルーカス様がいくらベルン様と親しい間柄とはいえ、真実を知らされることはなかった。
それでも――ベルン様は考えた末、ルーカス様にだけ生まれのことや自分の言葉のことを明かしたんだ。
私はその場には居合わせていなかったけれど、話を聞いたルーカス様は驚き、伯爵の所業に怒りを露わにし、そしてベルン様をがっしと抱きしめたという。
「話してくれてありがとう」と涙混じりの声で言われて、ベルン様も泣きそうになっていた――というのは、イアンから聞いたことだ。本人は、「泣くわけない」と意地を張っていたけれど。
「私も、よかったと思います。ルーカス様はベルン様のことを、とても気にされていましたし……身内以外にも話せる人がいるのは、とてもいいことだと思います」
「その『身内以外に話せる人』に僕が選ばれて、本当に光栄です。これも全部、アーシェ様のおかげですね」
「いえ、私はそんなこと……」
「謙遜しなくていいのですよ」
少し先を歩いていたルーカス様が振り返り、からりと笑った。
「あいつは、変わりました。慣れないながらに同期たちに話しかけに行っていますし、訓練でも……っと」
「どうかしました?」
「いえ、ここから先は是非、アーシェ様ご本人の目で確かめられるといいでしょう」
なにやら含みのある言い方が気になったけれど、不快な感じはしない。
そういえば今日、どうしてわざわざベルン様は私を騎士団区に呼んだんだろう。
公開試合に出るわけでもないのに……と思いながら、ルーカス様の案内のもと、競技場とは離れた場所にある小さめの訓練場に向かう。
現在競技場で公開試合をしているからか、こっちの人影はまばらだ。
剣の手入れをしている人、掃除をしている人、重量挙げのような訓練をしている人。そして――
「ベルン様……」
ベルン様は、いた。
相変わらずの甲冑姿だけど、胸元にスミレの花が浮かび上がっているからすぐに分かる。
ベルン様は、馬に乗っていた。
右手に馬上槍、左手に手綱を握り、相手の騎士と打ち合っている。
素人目でも、馬上での戦いに慣れていないことがよく分かる。何度も槍を取り落としそうになっていて、先輩らしい相手の騎士に注意されている。
でも……ベルン様が、騎乗戦の練習をしている。
かつて、騎士見習いにも嘲られることになっていた自分の苦手分野に挑戦している。
相手の騎士の方が先にこちらに気づいたようで馬を止めて、私たちの方を指差してきた。
馬上で振り返ったベルン様は――ヘルメットを被っているから表情は見えないけれど、槍を持つ手を軽く上げてくれた。
私も大きく手を振ると、ベルン様は前を向いて再び馬を走らせた。
ぐらつきながら突き出した槍はあっさり弾かれて、また取り落としそうになったけれど――
「……素敵」
思わず言葉をこぼすと、隣で見ていたルーカス様も満足そうに笑った。
「でしょう? ……ベルンハルド、猛特訓していたのですよ。あいつ、元々馬に乗るのもそこまで得意ではなかったのに騎乗戦の練習をするなんて言い出すから、最初は皆で止めました。おまえでは馬上で槍を振るうどころか、落馬して首の骨を折って死ぬのがオチだって」
「……」
「でも、あいつは引かなかった。今、あいつと打ち合っているのは僕たちの上官なのですが……ベルンハルドが本気だと分かって、上官も本格的にあいつを鍛える気になったようです」
ルーカス様が言ったところで、ギン、と鈍い音が響いた。
ベルン様が持っていた槍が地面に落ちていて、近くにいた騎士見習いが急いで拾いに行き、馬上のベルン様に渡している。
上官の騎士から何か助言をもらっているらしいベルン様は、鎧もヘルメットも泥まみれで、槍にも傷が付いている。
華々しさとか優美さとかとはかけ離れた、泥まみれの姿。
でも、それでも凛としている私の婚約者は、文句なしに格好よかった。
上官の騎士が去っていったところで、ベルン様は馬から下りて手綱を見習いに預け、こちらにやってきた。
「……アーシェ」
「お疲れ様です、ベルン様」
「……少しは格好いいところを、見せられるかと思ったのだが……完敗だったな」
そう言いながらベルン様はヘルメットを外し、ふう、と息をついた。今は初夏だから、重い鎧を着て訓練するとかなり暑いだろう。
ベルン様の額を汗が伝い、金色の髪がぐっしょり濡れている。
私はヒルダからバッグを受け取り、こういうこともあろうかと思って持ってきていたタオルを出した。
「汗、かいていますね。どうぞ」
「……あ、すまない。俺、汗臭いな。すぐに水を、浴びてくる……」
「いえ、大丈夫ですよ」
実際別に汗臭いとは思わないし……むしろ、ベルン様の首筋を流れる汗さえ色っぽいと感じてしまうのだから、私は重症だ。
馬鹿に付ける薬はないとは言うけれど、惚れに効く薬もないのだろうか。
「騎乗戦の練習をなさっていたのですね」
「……ああ。戦える方法は、多い方がいい。俺も、馬上での戦いにいつかは、慣れなくてはと思っていた」
タオルで汗を拭いながら言い、ベルン様は微笑んだ。
「見に来てくれて、ありがとう。……俺も着替えるし、せっかくだから騎士団区を案内しようか?」
「えっ? いいのですか? お仕事中では?」
「今日は、公開試合の日だ。この日はそもそも、参加者と会場係以外は、半日休暇だ。だから、少しなら一緒にいられる」
……なるほど。それじゃあベルン様は公開試合日で訓練場が空いているタイミングを狙って、練習をしていたってことかな。試合が終わるまではお休みなら、私と一緒に騎士団区を歩いても文句は言われないし。
「そういうことなら、お願いします。私、騎士団区に来たのはこれがやっと二度目なので」
「そうか。……では、少し待っていてくれるか」
「はい!」
タオルを首に掛けて笑うベルン様、やっぱり格好いいな……。
ベルンが水を浴びて着替える間に、アーシェとヒルダは騎士見習いに案内を頼んで休憩室で待ってもらうことにした。
可愛らしい帽子を被ったアーシェの後ろ姿を見送っていたベルンは――ふと、あちこちからの視線に気づいた。
周りにいるのは、非番の騎士や見習いたち。ベルンがじろっと見ると皆視線を逸らしたが、こそこそと話をしている。
「……俺、見られているのか?」
「まあ、確かに目立つよ。まさかのおまえが婚約者を連れてくるし……しかも招いたのは華々しい競技場じゃなくて、おんぼろの訓練場だものな」
ルーカスがそう言って、ベルンの肩を叩いた。鎧を着ているのでポンではなく、ガシャンと音がした。
「普通の騎士なら、自分の可愛い婚約者をこういうところには呼ばないと思うな。ぼろいし臭いしむさ苦しいし。大半の貴族の令嬢だったら、泣きながら逃げていくだろうよ」
「……。……俺、間違っていたのだろうか?」
「ああ、いや、そう言いたいわけじゃない」
ベルンと並んで控え室に行きながら、ルーカスが言った。
「なんというか、おまえらしくていいと思うよ。アーシェ様だって、おまえが無様に叩きのめされても槍を落としても、ずっと目を輝かせていたくらいだし。小声だけど、素敵、格好いい、って何度も呟いていたよ」
「……。……そうか」
ベルンは素っ気なく返す。
だがたった三音節の相槌にさえ、彼の上機嫌な気持ちが込められていたようで、ルーカスが苦笑した。
「おまえ、本当にアーシェ様のことが好きなんだな」
「好きだ」
「すごい、断言した」
「アーシェだから、好きになった。アーシェだから、格好いいばかりじゃねぇ俺の姿も見せてえって思ったんだ」
「落ち着け落ち着け、素が出てるぞ」
ルーカスが笑って指摘したので、ベルンははっとして口を閉ざした。
「……まあ、そういうところもひっくるめてアーシェ様は、おまえのことが好きなんだな」
「……」
「末永くお幸せに、だよ。さ、まずは鎧を脱いで汗を流してから、おまえの可愛い婚約者に会いに行ってやれ」
ルーカスは笑顔で友の背中を叩き、着替え室に送り出したのだった。
 




