奴隷だった少女〈Ⅱ〉
皆さんは、「定時」という言葉を知っているだろうか。
一定の時刻を示すこの言葉は、一般的にいえば、社会人が会社で働く労働時間のことを指す。
「法定労働時間」
労働基準法第32条に規定されている労働時間の限度のことであり、労働者を1日8時間、1週間で40時間以上働かせてはいけないと法律で決められている。定時上がりのスーパーホワイト企業。この現代社会において、そういった企業は年々減って来ているは確かだ。
うちの会社、『HOPEプロダクション』。略して『ホープロ』も、そのうちの一つである。
事業内容としては、アイドルのマネージメント、育成を主としている。テレビやその他で活躍するアイドルも長時間の活動やレッスンがあるわけだが、マネージャーという仕事も、そんなアイドル達に並行して結構忙しいのである。
進導晴臣26歳。
この俺こそ、そんなHOPEプロダクション所属の担当アイドルをサポートするマネージャーの1人なのである。
近年、アイドルや俳優、いわゆる芸能人は様々なメディアに取り上げられて、展開をしており、我々のようなサポートに立つ人間がいないと仕事も成り立たないのだ。
今の担当についてから、早2年になるが、就業時間が終わってすぐに帰れた試しなど一度もない。良くて1時間。長くて4時間ぐらいの残業は当たり前。担当アイドルの企画提案、PRにスケジュール調整、営業。世間からは見えない多くの仕事を俺たちはこなしている。それを終業時間内に終わらせるのは、結構骨が折れる。
そう、特にトップアイドルともなると。
「お父さん、私アイドルになりたい!」
アリスとの生活が始まり、一年が過ぎた時、突然、そう言われた。リビングのテーブルで、向かいあってお茶を飲みながら、最近の話をしていた時の事だ。
「どうしたんだ急に」
「だってお父さん言ってたじゃない! 私の歌を多くの人に届けられたらって」
「……よく覚えてるな」
言ったな、そういえば。
アリスと共に日本へ帰国してから、彼女が心を開くまでにだいぶ時間が掛かった。
月曜日から金曜日までに行う毎日のカウンセリングと日本語の勉強。そんな中でアリスが最初に興味を持ったのはテレビの歌番組だった。夜に放送される有名な番組だったが、ある日アリスはそれを見ながら、番組で歌われていた歌を口ずさみ、笑顔を見せた。もちろんその頃は、歌詞の意味も理解していなかったのだと思う。それでも、耳コピの様に歌われたその曲は、しっかりとした一つの歌だった。もはやそれは才能なんじゃないかと、その時は思った。
それからしばらくして、妹に頼んでアリスと出会った国で有名な曲のCDを送ってもらった。カウンセリングの一環でそれを聴いてもらい、先生と共に一度歌ってもらった事がある。
その歌は本当に素晴らしかった。綺麗な歌声だと感じた途端、目の前の景色がアリスと出会ったあの異国の様に見え、その描写がひしひしと伝わってきた。先生も同じ気持ちだったのか、途中から歌うのをやめ、アリスの歌声に耳を傾けていた。
曲が終わってすぐにアリスへ駆け寄り、その言葉を伝えたのである。
『その歌声、もっと多くの人に届けられたらな』と、
思い返せば、その日を迎えてからだ。アリスはどんどん日本語も上達し、普通の生活を送れる様になってきたのは。元々飲み込みは早く、1年経った今では学校にも通い始めた。
帰国してから半年が過ぎた頃だろうか。日常会話程度には日本語が話せる様になり、初めて『お父さん』と呼ばれた時には、号泣してしまったものだ。その事を今思うと、相当恥ずかしい。
少し照れた表情を浮かべながら微笑んでくれたアリスを見た時、本当にあの時助ける事ができて良かったと、そう思った。
「あの時は、なんて言ってたのかよく分からなかったんだけど、そう言ってくれてたんだもんね。お父さんは」
「それはそうだけど、何でよりによってアイドルなんだ。歌なら歌手とかアーティストじゃダメなのか?」
そう、歌を届ける事ができるのは、決してアイドルだけではない。『歌』と言う点だけでいえば、歌手が最初に浮かぶのが普通ではないだろうか。
とはいえ、最近のアリスの様な年頃の若い子達からしてみれば、聴いている曲からしても、アイドルとかの曲の方が印象的なのかもしれない。それは否めないだろう。
「私、日本に来るまでアイドルっていうものが存在してるなんて知らなかった」
晴臣が勝手に悶々と葛藤をしていると、アリスが口を開いた。
「今まで、歌っていうのは、国家とか地域に伝えられた伝承とかを後世に伝えるようものだと思っていたの。でも日本に来て、テレビを観て、世界の歌を知ったの」
妹が調べてくれた事なのだが、アリスは、物心つく前には父と母と普通の生活を送っていたらしい。だから、小さい時に母親に聴かされていた子守唄とか、そういう微かな記憶でしか歌というものを知らなかった。そのために、その印象が強いのだろうな。
「だから、初めてアイドルをテレビで見た時。すごくキラキラして見えたの。聴かせるだけじゃなくて、魅せる歌もあるんだって、そう思ったの。こういう歌の伝え方もあるって教えてもらった」
そういえば、俺がいつも帰って来た時は、いつもテレビを観ていたな。でも、すぐにテレビを消して夕飯の支度をしてくれてたから、内容までは分かっていなかったけど、俺が家にいない時間に見ていたのだろう。
「もちろん、歌も上手で可愛い人たちばかりで、その人達みたいになりたいなんて夢物語かもしれないけど」
「いや、そんな事は」
「それでも、私は歌が好き。私の声で、歌を伝えたい。この伝え方で見てくれる人たちに、元気とか、楽しさとか色々伝えてみたいの! 挑戦してみたいの!!」
アリスの真剣な眼差しに、掛けようとした言葉を見失う。
「……本気、なのか?」
「うん!」
力強く彼女が頷く。
アイドルと歌手の大きな違いとしては、振り付けがある事。
歌いながら、マイクを持つ反対の手で軽い振りを入れている歌手も沢山いるが、ダイナミックな会場を沸かせるダンスのプロであるアイドルとではその点が違ってくる。
つまりは、歌だけじゃなく、ダンスの旨さやセンスも問われるのだ。
だからこそ、アリスには他の道を勧めようと思っていたものの、ここまでの熱意でこられたら、父親としてはーー
「分かった。アリスがそこまで言うなら」
「いいの!?」
アリスの過去を知っている自分としては、これからの人生を自由に決めていってほしい。しかし、アイドルというよく知る業界であるからこそ、アリスを悲しませたくないという気持ちもあった。
挫折をし、アイドルをあきらめる少女達を目にして来たから。
でも、こんなにやる気に満ちた眼を魅せられたら拒む事など出来るわけもない。
「ああ、でもアイドルになるのは大変だぞ」
アリスが言うように、アイドルとはキラキラしている存在であると俺も思う。だからこそ、本気でアイドルを目指す以上は、現実を知ってもらう必要がある。
「アリスはもう、俺がやってる仕事のことについてはよく知っているよな?」
「もちろん! ホープロ屈指のマネージャーにして、元企画部の大エース様だもん」
自分がやりたい事に対して許可がおりたのが余程嬉しかったのだろう。過大評価しすぎなコメント共にテーブルに手をついて前に乗り出して来た。
……さて、それはともかく。まず言わなくてはいけない事がある。
「まあ、とりあえず分かっているのであればいいや。これからアイドルを目指すのであれば、最初の目標として、プロダクションへの所属は必須だ」
「オーディション、だよね!」
そう、アイドルにしろアーティストにしろデビューするにはまず、芸能事務所に入らなくてはならない。もちろん、芸能事務所に入るだけがゴールじゃない。 それこそ、CDの発売。そういった形でメディア展開し、世の中にアイドルとして認知されてからがようやくデビューとなる。そこに至るには、オーディション等を受けて、事務所に所属する事がアイドルになるための第1歩だ。
「うん。そうなんだけど、俺がホープロのマネージャーだからといって推薦。とかは出来ないからな」
「え、うん? それは分かってるよ。身内だからってひいきは良くないよ。それに、芸能事務所はホープロだけじゃないしね」
どうやら、アリスも分かっていたようだ。身内とはいえ、オーディションが有利になる事は決してない。俺がどんな地位にいたとしても、家族だからといって実力主義のこの業界において、結果に関与する事はできないのだ。それは、他の事務所でも同様。まあ、アリスがそんなものに期待するような子でない事は、この一年一緒に暮らしてきた者として、分かってはいたが一応伝えておく。
「でも、養成所だったりの練習環境の紹介くらいならできるぞ」
「えっ!? ……いいの? お父さん、仕事忙しいのに」
より一層明るい表情をしたと思ったら、すぐに曇る表情。普段しっかりしているのにこういう子供らしい面も見れてなんだか嬉しい。
「それくらい心配するな。ただ、場所によっては養成所に入るのにもテストをやる所もあるだろうけど」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えようかな。テストもがんばらないと」
「もしかして、自分で探そうとしてたのか?」
なら、尚更だ。芸能事務所が沢山あるのはもちろん、養成所だってこの世には多く存在している。
ここまで本気になっている以上は、しっかりと実績のある所やトレーナーから教えてもらうのが1番だ。
「だって、そういう所ってお金も掛かるでしょ? 学校にも行かせてもらってるし、なるべくお父さんの負担にならないようにしたい」
そうか。アリスも色々考えてくれてたんだな。本当に律儀な子だな。そう思う。
「お金の事も気にしなくていい。アリスは部活にも入ってないだろ?」
「それは、特にやりたい事もないし。無理に入っても、続けられるか分からないのに、道具とか買ってもらうわけにもいかないし」
そこまで気を遣わなくてもいいのにな。
いや、もしかすると俺がそう思わせてしまっていたのかもしれない。帰りも遅いし、最近は家の事まで任せきりだ。俺自身が心配をかけていてどうする。
「そうだったのか。ごめんな」
「何でお父さんが謝るの?」
きょとんとした顔を向けられる。気づいたら思った事を口に出していた。
「いや、いつも学校から帰って、家にずっといるよりも、レッスンとか目標を持って取り組みながら生活してくれた方が俺も嬉しい」
アリスは、何も話さず耳を傾ける。
「せっかくやりたい事を見つけたのに、安い所でいいなんて言ってちゃダメだ。妥協しちゃダメだよ」
「……お父さん」
ぽつりと俺の顔を見ながら呟いた。
「むしろ応援したい。だから、そこまで気にしなくていいんだよ。もっと我儘言ったっていい。俺はアリスの父親で、家族なんだから」
不安を抱えた彼女へ笑顔を見せる。
ようやく伝える事ができた。アリスがうちに来てから我儘を言う事なんてなかった。だから、『アイドルになりたい!』そう言ってくれた時、最初は驚いたけど、嬉しかったんだ。
「………………ありがとう」
声が少し震えていた。
不安。それがアリスの心を押さえていたのだろう。特に、金銭面だ。全然迷惑なものか。この子がやりたいと思った事を叶えてあげたい。この子が目指す明るい未来を。
「それじゃあ、さっそく次の休み出掛けるぞ」
「お出掛け? 養成所に?」
「いや、本物のアイドルを見に」
「え!?」
こんばんは!2回目の更新です!!
毎週金曜日に更新を予定しているのですが、書くのが楽しく結構遅くまで書いてしまっています。
1話にもコメントやTwitterでも反応をいただけて、大変嬉しいです!
今後ともよろしくお願いします♪
いぬまき。




