第275話 偶然の出会い
早朝。
レイはいつも通りに目を覚ます。いつもならばすぐにリディアを起こすのだが、今日の予定は昼からなのでそれは後回しにする。
彼は一人で朝食の準備をすると、手早く着替えを済ませて外出する。実はリディアに頼まれていたのだが、今日はある作家の本が出版されることになっている。
レイはよく知らないが、なんでも王国の中でもっとも有名な小説の大賞を受賞したとか。そのため本屋はきっと混雑すると予想されるため、レイはこうして早朝に一人で準備をしている。
「……よし」
背中に小さなリュックを背負うと、彼は玄関から出ていくのだった。
王国は現在、春真っ盛りである。気温もちょうどよく、過ごしやすい時期である。そろそろ夏も近づいてくることもあり、中には半袖で出歩いている人もいる。
そんな中、レイは一人で歩みを進める。
すでに王国内の構造はある程度は把握しているので、一人で買い物に行くこともできるようになっていた。そして、目的の本屋へと向かうとすでに少しだけ列ができていた。
間違いなく、今日発売される本の列だろう。
その作者の名前はルナ=エテル。本のタイトルは、【人と心】。なんでも群像劇になっており、登場人物の心理描写が新人とは思えないほど……という噂が立っている。
そしてレイは一人で大人の中に紛れて、列に並ぶ。彼はリディアやアビーなどの教育の中で読書はしっかりとしておくように言われていた。それはジャンルは問われない。
好きなもの、気になるものならば好きなだけ読むといい。と、二人には言われている。レイもまた特に小説は好きだった。そこには彼自身が知りもしない、広大な世界が広がっているからだ。
「開店でーす! 押さないでくださーい!」
店員の声を合図についに書店が開店。レイは早朝に起きてすぐに来たということもあって、列の前の方にいる。
その波にのまれながらも、彼はお目当ての書籍を二冊手にとった。それを持ってカウンターに向かうとした瞬間。彼は誰かにぶつかってしまい、転んでしまいそうになる。
ここにいるのは大人ばかりだ。身長の低い彼は、周りの人間の視線にあまり入らないのでぶつかってしまったようだ。
「うわ……っ!」
「おっと。大丈夫かい?」
と、彼が転ぶ手前で助けてくれたのは女性だった。
綺麗な栗色の髪を後ろに流して、彼女はレイの体をしっかりと受け止めてくれた。
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げる。
「いや、別に構わないよ。それにしても、君もその本を楽しみに?」
相手の顔をじっと見つめる。レイはその女性の顔を見て思った。とても愛嬌があって、可愛らしい人だというのに……どこか無機質な印象を受ける。まるで人形のようだ、と。
「はい。それに師匠にも買ってくるように言われたので」
「師匠?」
「えっと……その、お世話してもらっている人です」
「そうか。しかし、壮観だね。こうして本が並ぶというのは」
「? そうですか?」
レイは彼女が何を言っているのか、いまいち理解できなかった。しかし、人としてどこか惹かれるようなそんな雰囲気が目の前の女性にはあった。
「少年。是非、その本を楽しんで欲しい。では失礼するよ」
「楽しんでほしい? それって──」
どういう意味ですか、と尋ねる前にその女性はいなくなってしまった。レイが別に目を逸らしたわけではない。だというのに、その人はまるで忽然と消えてしまったのだ。
魔術の類だろうか……とレイは考えるも、分かったところでどうしようもない。
そして彼は目的の本を購入すると、自宅に戻っていくのだった。
レイはまだ知らない。その時出会った女性が、その本の作者であるルナ=エテルであるということを。
さらには、彼女の本当の名前はリーゼロッテ=エーデンであるということを。
二人の次の邂逅は数年の時を有するのだった。
「アメリア、行きますわよー!」
「ま、待ってよーっ!」
帰路。
レイの隣を麗しい二人の少女が走り抜けていく。一人の少女は真っ赤に燃え上がるような紅蓮の髪を靡かせながら、走っていた。もう一人の少女はいかにも活発そうな見た目であり、その麗しい白金の髪の毛をポニーテールにまとめていた。
何故だろうか。
すれ違った際に、レイは後ろを振り返った。その二人は互いに笑い合いながら走り去っていく。
その様子を見て思う。
──自分はやっぱり、一人なのかもしれない。
レイがなんとなく孤独感を覚えてしまうのはきっと、彼の周りに同じ歳の友人がないからだろう。彼の環境は特殊だ。そのことをなんとなくレイも理解している。
佇む。
胸に本を抱えながら、彼はまるで虚空でも見つめるかのようにその二人の少女を見つめていた。
きっといつか自分も、友人と呼べる存在ができるのだろうか……そんなことを思いながら。
◇
「師匠。買ってきましたよ」
流石にこの時間になれば起きているだろうと思っていたレイだが、リディアの寝室からは大きないびきが聞こえてくる。
「はぁ……まだ寝ているんですか」
一人、そう声を漏らしてレイは寝室へと向かう。
「師匠。起きてください。今日はお昼から予定があるという話でしたよね」
「ううん……あと五時間」
「それだと夕方になりますよ。軍の方の用事ですよね? 遅れるとまずいのでは?」
「レイ……代わりに行ってくれ……」
リディアはベッドから出ようとしない。このような時、どうすればいいのかレイはすでに心得ている。
「うおっ……!!」
レイは思い切り布団を剥がしとった。そしてその中で縮こまっているリディアに改めて声をかける。
「師匠。起きてください」
「仕方ねぇなぁ……」
ベッドから出ると、「ふわぁ」とあくびをする。髪もボサボサでラフな格好なのでその豊満な胸がしっかりと強調されてしまう。
レイは特にそれに気を留めることもなく、朝食を温め直す。
「サンドイッチです。卵とハムにしておきました」
「おぉ! それは助かる!」
テーブルにつくとサンドイッチとミルクがすでに用意されていた。それは全てレイが準備したものだが、リディアは当たり前のようにそれを享受する。
アビーには色々と苦言を呈されているが、こればかりは適材適所ということでアビーもすでにこの件は諦めている。
「む……! 美味いな……っ!」
「お口にあったようで何よりです。それでなのですが、先ほど買ってきましたよ」
「あの本か?」
「はい。すでに行列ができているようでしたが、早めに行ったので普通に買えました」
「ありがとう。これ、金だ」
と、ポケットから取り出した金銭は明らかにレイが消費したものよりも多い金額だった。
「師匠。これだと多いのですが」
「いいんだよ。子どもは黙ってもらっておけば」
「……分かりました」
コクリと頷く。レイはこうしてよく金銭をリディアから受け取るのだが、その全ては豚の形をした貯金箱にコツコツと貯めている。生活費などはアビーが管理しているので、それとは全く別のレイが持っている金銭。
それは今後のために大事にとってあるのだ。
「さて、と。今日は基地に向かうか」
「自分は待ってますので」
「何言ってるんだ。レイも行くぞ」
「え? そのような話ではなかったはずですが」
「あ? 言ってなかったか? すまん、すまん。ガハハ!!」
頭を掻きながらリディアはそう笑い飛ばす。レイとしては全く笑えないのだが、どうせこの後の予定もないのでいいだろうと……彼は内心で思う。
「それで、何をしに行くんですか?」
「それは私の考案したあるトレーニングを来週から導入しようと思ってな。その件だ」
「トレーニング、ですか?」
「あぁ。その名称は──」
一息置くと、リディアはニヤッと笑ってこう告げた。
「エインズワース式ブートキャンプ、だな」
こうしてついに王国軍にある種の革命がやってくるのだった。




