第267話 二人の時間
レイに対する教育。
それに関して特殊選抜部隊のメンバーで話し合いが行われた。学校に行かせるべきでは? という話も出たのだが、まだレイの心は完全に癒えてはいない。
そもそも彼が戦場で何を見て、心を閉ざすようになってしまったのか。それすらもまだ分からない。唯一分かることは、レイがまだ心を閉ざしているということだけ。
しかし最近は反応も多くなり、少しではあるが会話もできるようになっていた。
任務が入るときはリディアの姉や他の人間にレイの世話を任せる時間もあった。といっても、レイを世話すると言っても彼は全くと言っていいほど手がかからない。
まだ幼いというのに聡明であり、しっかりとしている。リディアの姉もレイの話を聞いて何かしようと思っていたが、特にすることはなかった……というほどだ。
そしてリディアたちは任務から戻ってくると、レイに対しての教育を本格的に開始することにした。
「レイ! 元気だったか?」
「……うん」
帰宅。リディアは自宅に戻ってくると、レイに話しかける。元気というには明らかに覇気がないが、それでも彼女はニコリと微笑みかける。
そしてリディアは一息つこうとソファーに身を投げると、近くにいたレイがテキパキと彼女の衣服や荷物を片付け始めるのだ。
「? どうした。急にそんなことをして」
「……だめ?」
「いや。非常に助かるが……」
はっきり言ってリディアは家事などに関しては絶望的だ。天才ではあるが、非凡なのは魔術、身体能力、頭脳であり基本的な人間が備えるべき常識というものが欠如している。
だからこそ、この家も散らかっている……はずだったのだが、妙に綺麗になっているのだ。リディアは姉がきっと掃除してくれたと思っていたのだが、ふと疑問に思ってレイに尋ねてみることにした。
「レイ。もしかして、家の掃除とかしてるのか?」
「……うん」
コクリと小さく頷く。
それを聞いて、彼女は諭すように話を続ける。
「レイ。別に無理しなくてもいいんだぞ? 私がやる……のはまぁ、ちょっと大変だがアビーや姉さんがやってくれる。お前が無理にやる必要は──」
と、言いかけるとレイはリディアの袖を軽くつまんで首を横に振った。そしてボソリと小さな声で自分の意見を述べる。
「……師匠に迷惑かけてるから。これぐらいは、したい……」
「レイ……」
まさかそんなことを思っているとは夢にも思っていなかった。リディアは分かっていた。レイはとても聡明で、年齢以上に色々なことを理解しているのだと。
しかし、まさか迷惑をかけているという認識があるとは思っていなかった。その言葉を聞いて彼女は自分の胸が締め付けられる感覚に陥る。
「レイ……よし! 今日は一緒に風呂に入るかっ!」
「……うん」
そうしてリディアはレイを連れて一緒に浴室へ向かうことに。レイはもう女性と一緒に入るのは慣れてしまったのか、特にリディアやキャロルの裸を見ても特に思うところはないようだった。
「って、あれ。風呂にお湯でも張ろうと持っていたが、もしかしてレイがやってくれたのか?」
「……うん」
「そうか。ありがとう、レイ」
わしわしと頭を撫でる。レイは特に表情を変化させることはなかったが、少しだけ満足そうに微笑んでいるような気がした。
「……師匠。せなか、流す」
「レイが流してくれるのか?」
「……うん」
「そうか。ありがとう」
レイはタオルをごしごしとリディアの背中に擦り付ける。程よい強さであり、リディアはそのままそれを受け入れる。
一生懸命に何かをしてくるレイに対して、彼女は感慨深いのか少しだけ遠くを見据える。
初めて出会ったときは同情している側面の方が多かった。
しかし、それからレイと過ごすようになって彼のことが少しずつ分かってきた。
レイは聡明で、とてもいい子どもだと。いやそれはもはや、出来過ぎだと思っていた。リディアが同じ年齢の時は走り回って、自由に過ごしているだけだった。
だというのにレイはこうして一生懸命に生きている。恩を返そうと思っているのかはまだ分からないが、リディアはそんなレイの行動がとても嬉しかった。
「レイ。しばらくはこっちにいるが、何かしたいことはあるか?」
一緒にお湯に浸かる。小さなレイを膝に乗せると、リディアはそう尋ねた。するとレイは、しばらく間を置いてこう……答えた。
「また……一緒に、遊びたい……」
「そうか。そうかっ!!」
再びレイの濡れている頭をわしわしと撫でる。リディアはそれを聞いて、何故だかとても嬉しかった。
そして翌日。早速リディアはレイを連れて、外へと向かった。前はキャッチボールをしたので、今回選んだのはサッカーだった。
リディアはボールを器用に両足でリフティングすると、レイに同じようにするように促す。
「レイ。こうやって、ボールを両足で上げ続けるんだ」
「……うん」
話を聞くとレイは特に何かスポーツをしたという経験はないらしい。それであの運動センスなのだから、リディアは素直に驚いているのだが……今回のサッカーはどうだろうかと思っていると──。
「……レイ。本当にサッカーはしたことないんだよな?」
「? うん……」
レイはチラッとリディアの顔を見上げて、そう答える中でも器用にボールをリフティングし続けていた。それに両足を器用に使って、しっかりとやっているのだ。
落ちる様子は全くなかった。
「レイ。お前、利き足はどっちなんだ?」
「……分かんない」
手に関しては右手をよく使っているのは見ている。しかし、足に関しては今のところはわからない。ということで、後ろに用意していたゴールで構えるリディア。
「レイ! 好きに蹴ってこいっ!」
「……うん」
何をすればいいのか理解した彼は、助走をつけるとそのまま思い切りボールを蹴った。
それは綺麗な放物線を描くと、ゴールの右隅へと突き刺さった。それは縦に回転がかかっており、いわゆるドライブシュートの類だった。まさかボールに変化をつけてくるとは思ってなかったので、リディアは普通に見逃してしまう。
「あ……は? 私が動けない、だと?」
リディアはただ呆然とその場に立ち尽くしているだけだった。レイの蹴ったボールのシュートコースは完璧だった。しかしそれ以上に、ボールにスピードがあったのだ。そのため、リディアは一歩も動くことができなかった。
「レイ! もう一度だっ!」
「……うん」
コクリと頷くと、もう一度レイはシュートモーションへと入る。リディアとしては負けたままなのは絶対に嫌なので、全神経を集中してレイと向き合う。
彼がどこにボールを蹴るのか、どのコースに、どれくらいのスピードで蹴るのか。
それをギリギリまで見極めようとしたが……。
「なぁ……!!? 左足、だと……っ!!?」
無残にもボールはネットに突き刺さる。しかし今回はリディアが言ったように、レイは左足を使って蹴ったのだ。先ほど右足で描いた放物線を全く逆の軌道で描くようにして。
レイはただじっと、悔しがっているリディアのことを眺めていた。そして彼女はボールを拾うと、もう一度レイに蹴るように促すのだった。
「レイ。もう一度だっ! ただそうだな……次は距離と角度を変えてみよう」
「……分かった。師匠」
その後、二人は数時間に渡ってサッカーを楽しむのだった。
「ふぅ……いい汗かいたな」
「……うん」
夕焼けの光が二人を包み込む。そろそろ日が完全に暮れてしまうので、帰ろうという話になった。
「レイ。今日はどうだった?」
小さな手を握る。レイの表情は見えないが、彼は少しだけ大きな声でこう告げるのだった。
「……楽しかった。またやりたい」
彼は顔を上げると、じっとリディアの瞳を見つめる。そんなレイの様子を見て、彼女はニコリと笑みを浮かべる。
「そうか。じゃあ、またやろうなっ!」
「……うん」
そうして二人は夕焼けに包まれるようにして進んでいくのだった。




