第176話 夕ご飯を、ご一緒に
「失礼する」
軽く頭を下げて、アリアーヌの部屋に入る。寮の作りは、基本的にはどの学院も同じだ。それに、女装して潜入した際には彼女の部屋に一度だけ入っているので、どこか懐かしい気分だった。
「それで、カレーを作るんですのよね?」
「そうだ」
すでに袋に入っている材料は回収してある。
中には各種野菜や、肉などが入っている。しかし俺が作るカレーの中でも、一番重要なのはこれだろう……。
「そのビンはなんですの?」
「ふ。流石の慧眼だな」
ニヤリとした笑みを浮かべて、袋からそのビンを取り出す。
これはエインズワース式秘伝のタレをビンに詰めたものだ。
この師匠が開発している謎の調味料はもはや万能である。それは、魔術剣士競技大会の時に売り出した、『悪魔のとうもろこし』の売上を見れば一目瞭然。
その中でも、軍人時代に俺がよく作っていた──というよりも、師匠たちに作らされていた──カレーを彼女に振る舞おうと思っている。
「これは、エインズワース式秘伝のタレだ」
「……確か、夏のとうもろこしに塗っていたとお話ししていましたけど」
「そうだ。こいつはカレーにも合う。いやむしろ、カレーにこそ本領を発揮すると言ってもいいだろう!」
いつになくテンションが上がってしまう。
最近は学食で食事を済ませてしまうことが多いので、こうして自分で調理するのは久しぶりだ。まぁ……文化祭では調理をしていたが、直接目の前で振舞うのは思えば学生になってからアリアーヌが初めてだろう。
「……いつになく、テンションが高いですわね」
「学生になってから、こうして個人的に目の前で誰かに振る舞うのはアリアーヌが初めてだからな。気分も上がるものだ」
「え……そうですの?」
明らかに、まずい……といった表情をするが、何か問題でもあったのだろうか。
「レイ」
「どうした?」
真剣な顔つきになると、彼女は冷静に言葉を紡ぐ。
「改めて今日のことは、決して他言してはなりませんわよ」
「……? どうしてだ?」
「乙女には色々とありますの! 特にアメリアとレベッカ先輩は特にっ! わたくしが死んでしまいますわっ!」
ズイっと体を近づけると、右手の人差し指を俺の胸にトントンと当ててくる。
その顔は少し怖いくらいだった。
なるほど……乙女には色々とある、か。
ここは深く言及しておかない方が、いいと判断する。
「わかった」
「……くれぐれも気をつけてくださいまし」
そして、話を切り上げたところで早速キッチンに移動する。
普段は使っていないということで、綺麗なままだった。特に汚れなどはない。そして俺は、バックパックから持参した調理器具を取り出していく。
「なんだかたくさん持ってきていますのね……」
「あぁ」
「わたくしに手伝えることはありますの?」
「……」
迷う。
ここはおそらく、俺が一人で調理した方が手際がいいだろう。しかし、今回はコミュニケーションを取るためにこの場を設けたのだ。
一緒に調理することで、より近づけるかもしれない。
「そうだな。では、野菜の皮を剥いてもらおうか」
「分かりましたわっ!」
腕まくりをすると、その瞳を輝かせる。
聞けば、昔から料理などには興味はあったのだが、なかなか踏ん切りが付かずに機会を逸していたという。曰く、「今回は良い機会ですわっ!」と彼女は嬉しそうに話していた。
「……」
「……」
話すこともなく、淡々と互いの作業に集中する。
アリアーヌはペティナイフで皮を懸命に剥いており、俺はその間に肉をぶつ切りにしていた。もちろん調味料も用意して、下味を整えていく。
チラッと、彼女の方を見る。
やはり慣れていないようで少し苦戦しているようだった。
「アリアーヌ」
「む……すみません。ちょっと手間取ってしまって……」
俺は彼女の後ろに立つと、抱きしめるような形でその両手に触れる。
「いいか。野菜の皮を剥くときは、何も力任せにナイフを動かしてはいけない」
「そうなんですの?」
「あぁ。表面を滑らせる感じだな」
「なるほど。勉強になりますわ」
その柔らかい手を包み込むと、実演するような形で野菜の皮を剥いていく。まずは体に覚えさせることが大事だからな。俺もこうして教えてもらったものだった。ちなみに料理は師匠ではなく、主にアビーさんとキャロルに教えてもらった。
「……ひゃっ!」
瞬間。
俺の吐息がアリアーヌの耳に触れてしまった。
「す、すまない。夢中になっていてな」
「い、いえ……わたくしも夢中でしたから。その、もう自分でできますわ」
「あぁ。そうだな」
そっと離れると、確かに一人でしっかりとできるようになっていた。まだぎこちなさは残っているものの、飲み込みが早い。
料理などの家事は、おそらく三大貴族の令嬢ということでしたことはほとんどないのだろう。メイドに任せるのが、一般的な貴族の在り方だからな。
だというのに、彼女は一生懸命に取り組んでいる。
そんな姿に、どこか過去の自分を重ねてしまう。
「どうしたんですの?」
「ん? 何の話だ」
「レイが微笑んでいるなんて、珍しいので」
そう指摘されて、自分が初めて微笑んでいることに気がついた。
そうか。幼少期に一生懸命だった自分を見ているようで、俺はおそらく……懐かしく思ったのだろう。
「小さい頃を思い出してな」
語る。
別に隠すようなことでもないので、俺は素直に話すことにした。
「小さい頃……ですの?」
「あぁ。その時は、誰かに料理を振る舞うことなどするつもりもなかった。ただ、師匠に促されていやいや作っていたものだが……他の大人に教えてもらいながら」
過去を思い出しながら、俺は手際良く調理を進めていく。
「しばらくして、誰かのために何かをする……その行為自体に意味があったのだと分かった。師匠はきっとそれを分かっていたんだろうな」
「そうですの……」
そして、ある程度の調理が終了し、あとはカレーを煮詰めるだけになった。
「よし。こんなものだな」
最後にエインズワース式秘伝のタレを垂らして終了。
その後、アリアーヌと他愛のない話を続けているとちょうど完成した。カレーの横では二人分のご飯も炊いておいたので、今日はライスカレーにしようと思っている。
「完成、だな。皿はあるか?」
「えぇ。一応、おいてありますわ」
彼女から平皿を受け取ると、それに白いご飯とカレーを注いでいく。
「とってもいい匂いがしますわね」
「だろう?」
「はい。食べる前から、美味しいと分かりますわっ!」
その両眼を輝かせて、皿を受け取る。
二人でそのままテーブルへと向かうと、水も用意してからさっそく食べることにした。
「よし。では、いただくか」
「えぇ!」
「「いただきます」」
スプーンをでルーを救い、口へと運ぶ。
互いに同時にパクリとそれを食べた瞬間……口の中には豊潤な味わいが広がる。あらゆる調味料が最高のバランスで絡み合う。今回はアリアーヌが甘口がいいということなので、スパイスは抑えめにしておいた。
「うん。美味いな」
予想通り、美味くできている。俺の腕もどうやら衰えてはいないようだった。
「ん〜〜〜〜〜〜〜っ!」
一方のアリアーヌと言えば、頬を左手で押さえながらその場で呻き声を上げていた。
「美味いか?」
「えぇ! とっても美味しいですわっ!」
溢れ出る笑顔。自分の料理を食べて、ここまで笑顔になってくれる。それだけでも、今日はわざわざ作りにきた甲斐があったというものだ。
「レイは本当になんでもできますのねっ!」
「なんでも……というわけではないが、一通りのことは教育されたからな」
「ふふっ。本当にあなたは不思議な人ですわ」
微笑を浮かべながらも、彼女の手が止まることはなかった。
もちろんおかわりする分もあるのだが、あっという間に食べてしまうと、アリアーヌはすぐに二杯目を食べ始める。
そのペースは俺よりも圧倒的に早いものだった。
「はっ! わたくしったら、つい食べ過ぎてしまったようで……っ!」
気がつけば、彼女は三杯ほどおかわりしてルーがなくなってしまった。俺は一杯だけで納めておいた。今日はアリアーヌに振る舞うために作ったからな。
「いや。構わないさ。またいつか、一緒に食事を取ろう」
「えぇ!」
元気よく声を上げるその姿を見て、俺は少しだけ笑みを浮かべるのだった。
あの頃を、思い出しながら──。




