北九州騒乱
――――――――――――1550年2月15日 塚崎城――――――――――――
「ついに割れたか!」
頼氏が持っていた手紙を読んで思わず叫んでしまった。ようやくか。歴史が変わったから起きないかしれないとも思ったがちゃんと二階崩れは起きたのか。いや、史実以上にひどいことになっている。これから大友は没落へ一直線だろう。
「すぐに皆を集めよ。詳細はそこで聞く」
「はっ」
1刻後、評定の間に皆が集められた。全員の顔は訝しげだったがすでに噂になっているのか近くのもの同士でこそこそ話してる。俺が入ると皆が頭を下げた。
「面をあげよ。すでに噂になっているかもしれんが大友家で内乱が起きた。頼氏、詳しい報告を」
「はっ、説明させていただきます。今月の5日に義鎮殿が湯治に行きました。その間に義鑑殿は義鎮殿の廃嫡と三男の塩市丸殿の擁立を果たそうと行動に出ました。まず、義鎮殿の廃嫡と三男の塩市丸殿の擁立を斎藤長実・小佐井鎮直・津久見美作守・田口鑑親に諮りました。
しかしその4人はそれに反対。全ては入田親誠の奸計として翻意を促しました。義鑑殿は説得を断念、次の日になって再び4人を招集し殺害しようとしました。しかし登城したのは斎藤長実と小佐井鎮直だけでした。その2人はその場で殺害されましたが残りの2人は殺害される前に斎藤長実・小佐井鎮直殺害を知らされます。このままでは殺されると考えた2人は義鑑・塩市丸殺害を決意、実行しました。が結果は失敗。
義鑑・塩市丸は大友館を脱出し高崎山城に避難、そこから義鎮追討を宣言。家臣に手紙を送りました。一方の義鎮も吉岡長増を頼って鶴崎城へ避難します。そこから塩市丸及び入田親誠討伐を宣言。家臣たちに手紙を送りました」
ふむ。前半のほうまでは史実通りだったみたいだな。しかし多聞衆が義鑑の周辺にいたので今回は重傷を負うことなく逃げることができたらしい。
「ほかの家臣たちはどうしている」
「角隈石宗・戸次鑑連殿はどちらにも付いていないようです。恐らく自らの影響力を気にしてでしょう。石宗は大友家臣たちに尊崇されていますので各人の判断の邪魔にならないようにと、鑑連殿は御屋形様が介入してくる口実を与えることを恐れたと思われます。残りの家臣たちは自分の領地に戻り、義鑑派と義鎮派の二つに分かれました。義鑑派は入田親誠・瓜生貞延・朽網鑑康・佐伯惟勝・志賀鑑隆・田北鑑富・豊後西部の国人たちです」
あまり聞かない名前ばかりだな。重臣たちの支持はあまりないようだ。
「義鎮派は一万田親実・臼杵鑑続・鑑速兄弟・雄城治景・小原鑑元・佐伯惟教・斎藤鎮実・志賀親守・柴田紹安・田北鑑生・奈多鑑基・鎮基親子・吉岡長増と速水・国東郡の国人たちです」
「ちょっと待て。佐伯は義鑑派ではないのか?」
「佐伯家の当主は惟教です。しかし惟勝は惟教の父、惟常の兄でした。弟に家督を継がれたことに不満を持っていたため惟教が付いた義鎮派ではなく義鑑派に付いたと思われます」
「田北も分かれているようだが」
「これは家を存続させるために分かれたものと思われます」
なるほど、関ヶ原の戦いでの真田家のようなものか。
「同じように志賀家も敵味方に分かれましたが、これは本家と分家が敵対したものと思われます」
「豊前・筑前・筑後・肥後はどうだ」
「豊前国人たちは殆どが大内方に寝返りました。おそらく近々大内が兵を出して豊前を完全に支配下に置くものと思われます。筑前も同様の動きをしております。肥後ですが菊池が再興のため挙兵の準備を行っています。どれほどの国人が味方するかはなんとも言えませぬ。筑後ですが西牟田・溝口・三池は菊池義武と連絡を取り合っています。おそらく義武が蜂起すればそれに同調するでしょう。それ以外の筑後の国人たちは以前から流れていた噂を気にして義鑑派となっています」
うーん。思ったより大内が大きくなりそうだな。対尼子の戦に集中するためにこっちには来ないと見ていたけど或いは豊後まで攻めるかもしれないな。
「さて、これで大友家は二つに割れたことになっているが皆はいかがすべきだと考えるか。忌憚のない意見を述べよ」
そう言って周りを見渡すが誰も意見を述べようとしない。まぁ、あの大友がこんな形で割れるとは思っていなかったから意見が纏まらないのだろう。
「某は義鑑殿に味方するべきと考えまする」
最初に意見を述べたのはいつも通り盛廉だった。しかし盛廉は義鑑派か。
「義鑑派は義鎮派に比べて動員できる兵の数が多く有利です。この混乱が長引けば得をするのは大内だけで我らは南の相良・島津を気にしながら筑前の大内と争うことになるでしょう。そのようなことになっては我らだけで対応できるとは思えません。出来るだけ早く大友には立ち直ってもらい大内との戦に備えるべきです」
確かに大内はかなり脅威と言えるな。それに島津もそろそろ大隅が片付くはずだ。そうなると二正面作戦を強いられる可能性もある。
「いや、某は義鎮に味方するべきかと考えます」
次に意見を述べたのは勝利だった。
「塩市丸殿に味方した場合と義鎮殿に味方した場合、より多く恩を売ることができるのは劣勢である義鎮殿に味方した場合です。それに国人の多くは義鎮→義鑑に味方していますが主要家臣は義鎮に味方しています。塩市丸殿が当主になった時、内政を担っていた家臣がいないのでは早期に立ち直ることはできないかと。ならば恩を多く売ることができて早期に立ち直る可能性が高い義鎮殿に味方するべきかと」
つまりは勢力は大きいけど中身がスカスカな義鑑より勢力は小さいが中身が詰まっている義鎮に味方するべきということか。
その後は皆がまちまちに意見を述べていたが基本的には早く大友に立ち直ってほしいという考えには変わりはないようだな。
「別に大友には立ち直ってもらう必要はないのではないか」
「御屋形様、何を言われますか。大友なくして大内に対抗することは難しいですぞ」
勝利が目を剝いて反論して来た。
「大友から抵抗するのに必要な領地を奪い取れば良い。大内が筑前・豊前を抑えるのに時間がかかろう。それまでに肥後・筑後を抑えれば十分に対抗できる。そもそも我らに大内と敵対する理由はあるか?大内の同盟者を攻めたことはあるが大内を攻めたことはない。惟宗と大内の間には蟠りは特にないのだ」
「そ、それはそうですが」
「それにやり方次第では大友と敵対しない可能性もある。我らが義鎮を支持すれば良いのだ。そうすれば筑後を攻める理由になる。あとは肥後だな。義武が蜂起すれば大友より先に我らが潰す。ついでに不安材料の相良も義武蜂起に加担したとして潰す。さすれば肥後の大部分は惟宗のものとなる。肥前・肥後・筑後でだいたい130万石ほどになるな。そこまで大きくなれば大友・大内もすぐに敵対しようとはするまい」
「し、しかし・・・」
「それにだ」
勝利から目を離して周りを見渡す。皆、不安そうにこちらを見ているな。
「もう17年前になるが俺が当主になるとき九州を取ると言った。あの時はただの夢物語だったが今はどうだ。大友は混乱し大内は尼子にかかりきり。今動かずしていつ九州統一ができる?今動かずにしていつ大友を倒すことができる?今しかないのだ。大友の力を削ぎ落とし我らが大きくなるのは今しかない。そんな時に行動を躊躇ってどうする」
「九州統一・・・」
今呟いたのは誰だろう。
「そうだ、九州統一だ。大友に代わり惟宗が九州の旗頭となるのだ。そのためにも今動く。肥後・筑後を取り大内を九州から追い出すのだ。さすれば残りは豊後・日向・薩摩・大隅。梃子摺るだろうが無理難題ではない。皆はどう思う。今動かず大友の顔色を窺いながら家を存続させるか、今動いて九州の覇者になる方に賭けるか」




