吾輩、猫になる
吾輩は猫である。名前はティアラ。
などと、某文豪のような気取った挨拶をしている場合ではない。人生最大の緊急事態である
鏡を見てほしい。そこに映るのは、白くふわふわした毛皮、宝石のように澄んだ青い瞳。全人類を跪かせる破壊的なキュートさを秘めた子猫の姿だ。
だが、その内実を言えば、愛する妹をダンプカーから救って散った、三十路手前の独身男である。
ちなみに趣味は筋トレとサウナ。週五でジムに通い詰め、ササミを主食として生きてきた。若くして命を散らしたが、それは愛する妹を守るためだ。悔いはない。
しかし、なぜ猫なのか。
神の気まぐれかバグか知らないが、よりによって猫とは。当方は断固として犬派だというのに。
しかも、この環境にも文句を述べたい。
ファンタジー感満載の豪奢な屋敷。廊下を行き交うのは、本物のメイド服を着た使用人たち。壁には金ピカの装飾品が並べられており、子猫の視力では眩しすぎる。
何故、こんなにもきらびやかな場所にいるのか。答えは明確である。
「おかえりなさいませ、プリシラお嬢様」
大理石の玄関ホールに、主人の帰還を知らせる声が響き渡る。軽やかな足音が階段を駆け上がり、部屋に飛び込んできた美少女が、吾輩を見つけるなり声を弾ませた。
「ティアラ! おいで、ブラッシングをしましょうね」
どうやら吾輩はこの美少女、プリシラお嬢様の愛猫に転生したらしい。
セレブの飼い猫、ペルシャ猫。それは即ち、三食おやつ付き、寝るのが仕事の貴族生活。お嬢様の溢れんばかりの愛情により、見事なまでにふっくらとした、マシュマロわがままボディに仕上がっていた。
「いいこね、ティアラ」
プリシラお嬢様の細く柔らかな手で撫でられるのは、正直に言って極上のサービスだ。それに、お嬢様の優しげな眼差しを見ていると、前世の生きがいだった、愛する妹の姿が重なった。
『お兄ちゃん! 』
引っ込み思案で、お人好しで、筋肉バカな兄を慕したってくれた我が妹。彼女を守るために咄嗟に体が動いたのは、日々のスクワットで鍛えた瞬発力のおかげだった。後悔はない。だが、彼女の安否だけが心配だった。
それに、もう妹に会えないのはとても寂しい。
「ティアラ? どうしたの?」
お嬢様が心配そうに覗き込んでくる。その無垢な瞳を見つめていたら、部屋の重厚なドアが開いた。そして一人の青年が姿を現し、大きく手を広げる。
「帰ったか、プリシラ!」
「アドリアンお兄様!」
現れたのはプリシラお嬢様の兄、アドリアン。お嬢様が嬉しそうに飛び込んだその胸板……ほう、悪くない。ジャケット越しでもわかる、あの大胸筋の厚み。かなりの強者だとお見受けした。
兄妹が仲睦まじく抱き合う光景。うん、なんとも微笑ましい。子猫ながら気を使い、兄妹だけの空間にしてやろうと部屋を後にした。その瞬間だった。
「ニャ……!?」
吾輩の脳内を、電撃が突き抜けた。
脳裏に浮かんだのは、冷たいダンスホールの床に倒れ伏すプリシラお嬢様。そしてその亡骸を抱いたアドリアン殿が、絶望に叫ぶ姿。その光景は、前世で妹が愛好していた乙女ゲーム『プリズム☆らばーず!』のエンディングの一つ、『悪役令嬢プリシラの断罪エンド』そのものではないか。
我輩は猫である。名前はティアラ。断罪寸前の悪役令嬢の愛猫である。




