記録26 情報収集―漆黒の戦士#2
26話目です。
いよいよ六月ですね。一年の半分が終わりそうですよ、皆さん。まあ、僕はむしろ早く大人になりたいので別に構わないのですが。
そして、前回の活動報告の件ですが、25話周期ではなく、15話周期で行おうかと思います。ぜひ、楽しみにしていてください。
それでは、本編へどうぞ
奇妙ながらもどこか神秘を感じる海流が奏でる低周波の空洞音。本来聞こえてくるはずの音はそんなものではないが、今日この瞬間だけは一層目立って聞こえてくる。
不規則に揺らめく水面の光が千華の濁りの無い水晶を眩く輝かせる。
三人はこの状況らしい表情をしてはいたが、果たしてそれが各々の本心なのかは定かではない。無垢な光を放つ水晶でさえ真実かどうかは明らかではない。
冷たい静寂と温かな談話の中、千華はカラス張りに見える風景を見ていた。光に照らされた彼女の表情からわびしい感情を抱いているのだろうと推測できた気がした。
「――...私はね、元々は獣医を目指してたんだ」
華奢で体に沿うようにして膝上にそえられていた両腕。視線を一切合わせず、ただ揺らぐ水面を見つめる。
「そのためだけに頑張ってたし、それ以外のことなんて考えてもいなかった」
ガラスの枠外から無数の小魚が群れを成してこちらへと泳いで来る。
「本当は、医者になりたかったけど、医者は、特に外科医になるのはとても難しかった。でも、外科医じゃなくても、生き物の命は救える。だから獣医を目指そうって思った」
群れを成す小魚たちは一定の距離と速度を維持し、懸命に泳いでいた。
「パパもママも、お兄ちゃんにお姉ちゃんも、誰一人として否定しなかったし、むしろ肯定してくれて、私のためにいろいろ助けてくれて...、とても、とてもうれしかった」
あれほど細かに動いていた魚群は突如速度を落とし、刹那の静寂の海を嗜んでいるようだった。
「――でも、あいつが全て壊した」
魚群は何かを察したかのように一目散に逃げていき、視界から外れた。
「今でもはっきり覚えてる。高校生のあの時、いつものようにルナとエレンと学校に行っている最中だった。いきなり後ろから悲鳴が聞こえて、振り返ったらたくさんの魔界の兵士たちが風の間の人たちを殺しながらこっちに向かって来てた」
ゆっくりと瞳は閉ざされる。そんな中、お構いなしに温かい料理が運ばれてきた。すぐさまそのわびしさを心の中に押し込み、柔らかな笑みで料理を受け取った。
黒い肌が特徴的な魚一匹分の香草焼きだった。ハーブと香ばしい油が席いっぱいに漂う。
だが、この空気を和ませる要因にはならなかった。
「私は家族のことが心配だから家に戻ろうとした。そのためにルナもエレンも助けてくれた。二人とも戦闘科のエリートだったのもあって、ものすごく強かった。だからあの場を完全に任せて家に戻れた」
「息が切れて、煙を吸って苦しくてもただ走って、家に着いたら、――......そこには――」
「――......そこには、家族の死体が転がって、そこに一人だけ立っていた真っ黒な鎧を着たやつがいた」
「そいつは、私を見た瞬間、黒い霧みたいなのになって消えた......。――...あの時の光景は...、本当に地獄だったよ......。天井にまで血と内臓が張り付いていて...、みんな...、虚ろな目をして......!」
小さな棚から取り出された小さな銀色のナイフは、彼女の手に強く握り締められながら独特な光沢を反射させていた。
「――――......だから......、いつかあいつをこの手で殺せるよう、今まで以上に努力した。遺伝学、統計学、薬学、心理学、医学、解剖学、魔法医学、魔法生物学、戦闘魔法学なんかも勉強した。――ああ、解剖学に関しては、悪魔や吸血鬼に関する情報がなかったから、自分で解剖して勉強したけどね」
徐々に感情が高ぶってきているのか、視線をこちらに合わせ、腕での表現をし始めた。熱弁している姿だが、やはり彼女の内面にしみ込んでいる狂気性は隠しきれていなかった。
「そしたら、最高神様はその努力と実力を認めて私を新たな七望星の英傑団の総長にしてくれた!本当なら、私のお姉ちゃんがなるはずだったけど、私に譲ってくれた!」
とうとうその本質は顔に現れ、握り締められたナイフは勢いよくまだ温かい料理に振り下ろされた。力と感情のまま振り下ろされたそれは、魚の首を綺麗に叩き潰した。
叩きつけられた鈍い音と、その衝撃で揺れる器具がぶつかり合う音が響く。元からかなり騒がしい空間だったからか、周囲からの視線はそれほどの量ではなかったが、薄皮を絶え間なく突き刺すような感覚が絶えなかった。
「――...ねえ、ユスティ君もそう思うよね?エレンが誰かに殺されたら、その人を殺したくなるよね?恋人のあなたなら......、ユスティ君ならわかってくれるよね?」
口角が裂けそうなほど吊り上がるが、こちらを見つめてくる彼女の薄暗い緑の瞳には海面の揺らぎのようなものが見えた気がした。
彼女に異常さは、当然、恐怖を覚えるものだったが、同時に同情する部分もあった。
彼女のこの思いは、どうにかして浄化しなければならないが、下手な言葉は彼女の感情を逆撫ですることになるだろう。
だが、やはりこの話を聞く者としては絶対に彼女の意志を完全に肯定してはならないのもまた一つ。
確かに、魔界が天界を襲撃し、数多くの犠牲者を出し、永遠に癒えない傷跡を残したのは事実だ。
だが、彼女が目的を果たしたその先に、一体どんな未来が待ち受けているだろうか?
そこにある未来は、おそらくいいものではないだろう。
「――千華様は、真っ当に生きるべきです」
水面から射す揺らめく陽光に照らされながら、深く悩み込んでしまった主人を差し置いて、唐突に放たれた言葉。二人は終始、面を喰らった顔をしていた。
「私はまだ、人の心というものがよくわかりませんが、千華様が今していらっしゃる行為は自分の負の感情を浄化させるためではなく、さらに燃やし、勢いを増しています。千華様、もし御家族のために生きるというのであれば、あなた様は獣医となり、幸せな生活を築くべきではないでしょうか?」
彼女のその表情は、とても透明なものだった。一片の濁りもない、まさにこの透き通った海のように純粋なものだった。悪意もない。偽善でもない。これが、彼女なりの慰めであり、彼女の判断なんだ。そう二人は認識した。
ユスティティアは眉を顰め、手を額に当てて机に肘をつく。酷くうなだれているのが誰にも察せるが、それ以上に深刻な表情と仕草、ため息をしていた。
千華は、初めこそひしひしと怒りを露わにしていたが、彼女なりの善意だと認知すると、徐々にその思いが薄れていった。
「――......ノースちゃん...、悪いけど、今の私はそうはいかないの...」
慈母のような温かな瞳と言葉で優しく包み込むような声だった。今にも、その伸ばしてきた手で頬をそっと撫でてきそうな程だった。
「どうしてですか?御家族に、仇を討てと言われたのですか?」
彼女はまだ自身が理解の範疇を超えた内容だとは思っていないのか、さらなる情報を聞き出そうとややムキになる。
「――――......これは、私自身が決めたことなの......」
「なら、なおさらその行為は今すぐ止めるべきです。彼が罪人だとしても、罪は正しい方法でさばかれるべきです」
「――......ノースちゃん、そうじゃないの.........そうじゃ――」
「御家族は、あなた様のその行為をきっと喜ばないはずです。あなた様は――」
「私にはこれしか残されてないのよ!!」
耳が張り裂けそうなほどの悲痛の怒号は、一瞬にして場の空気を凍らせた。先ほど以上の視線がこちらに集中し、今にも限界がきそうなのか、とうとうユスティティアは頭を抱え始める。
「私は.........、私には、もう家族はいない...!本来の目的も、帰る場所も、平和な日常も、全部あいつに奪われた!私の生きる目的は、ただ一つ...!あいつに、私が受けた苦しみ以上の苦しみを味合わせること!それ以外何でもない!それが、私に残された、唯一の生きがい!邪魔するなら、ノースでも容赦しないから......!!」
深い憎悪と怒りで瞳は酷く吊り上がり、眉間にとんでもない力がこもっていることが見てわかる。杖を魔法で取り出し、深紅の樹液がはめられた先端をノースに向けた。
当然、周囲の者たちはたちまち先ほどとは異なる意味で騒がしくなり、こちらに襲い掛かる薄皮の痛みも増していく。
相変わらず、どうしてこんなにも怒っているのか理解できないノースは、当惑しながらも弁明をしようと口を開く。
ついに我慢の限界に達したユスティティアはノースの腕をひっつかみ、
「あ、あはは、ちょっと今日のノースはどうやら少し空回り気味のようだ!最近、よくわからないパーツをいじってるから変なことになったのかな?それなら、早く修理しないと!ってことだから、また明日!」
そう言い残し、ノースを連れてテレポートした。騒ぎはなんとか静まり、元の騒がしさに戻ったが、あとに残ったのは、なんとも言えない悪臭と、後味の悪い苦味だけだった。
彼女の瞳に映った海の光景は、どれだけ覗いても、底の見えない深淵だった。
そのころ、強引に自室にテレポートさせて逃げたユスティティアは、椅子に腰かけ、前に倒れ込んで頭を抱えてただ俯いていた。悩みすぎて、もはやどこか体調でも悪いのかと不安になるほどだった。
「――...ユスティティア様...、私は、一体何が間違っていたのでしょうか?」
どれほど質問をしても、
「――...ユスティティア様...、私は、大変申し訳ございません」
どれほど謝っても、
「――...ユスティティア様...」
どれほど彼の名を呼んでも、
彼は俯いたままだった。
こうしている間にもどんどん時は過ぎてゆく。
どれだけ声をかけても無反応だと知ると、彼女は机に山積みにされた書類の束を整理し始めた。
彼女にできることは、せいぜい書類の仕分け程度だったが、今彼の役に立つにはこれしかなかった。
紙が一枚一枚めくれ、擦れ、整えるために机にぶつかる音が一定のリズムを刻む。
あれからそれなりの時間が経過した。白昼の陽光は傾き、窓から入る光は長く伸びていた。今ならほとぼりも冷めて少しは落ち着いてくれたかと思い、相変わらず俯いていた彼の名を呼んだ。
「――...ユスティティア様」
ようやく顔を深いため息とともにゆっくりと上げ、鬱屈とした表情を露わにした。顔はやや俯いたまま、目線だけ上に向けて目線だけは合わせた。
「――...申し訳ございません...。作業しながら私の何が謝りだったのか必死に考えてみたのですが...、私には、さっぱり――」
仕方ないと言ってしまえば、それまでなのかもしれない。しかし、これまでノースを見てきた彼の目には、彼女は一人の人物としか見えなかった。だからこそなのだろう。このうちから湧き上がる感情は。
やはり、どれだけ姿形を真似たとしても、どれだけ感情を再現したとしても、仕草や個性までも作ったとしても、胸の中からこみあげるものの再現や非効率の中にある意味を完全に理解するのは不可能なのだろう。
彼はしばらく彼女を睨むように見上げていたが、深いため息を吐き捨てると、そのまま見上げたまま核心となる問いを投げかけた。
「......ノース、君は一体何者なんだ?」
初めは、魔界の裏組織で流通していた人型のオートマタかあの研究所で仕事を全うしていた人型の作業ロボットかと思っていた。
しかし、出会って初期の段階では感情的な一面も見せた。
なので彼は、コミュニケーション目的で作られたメイドロボットを戦闘用に魔改造した物かと思われたが、今度は識別不能な基盤が見つかった。
一向に答えが出せず数日が経過した。
そして、この問いかけも移動中の時に何度もした。だが、相変わらず答えは変わらなかった。
「――...わかりません...」
重苦しくて、息をするのも困難な部屋の空気に負けたのか徐々にノースも俯いてしまう。
頭も、胸も、指先に至るまで全身が燃え上がるような感覚を覚えながらも、必死に全ての可能性を考えた。
しかし、両者ともに結論が出ることはなかった。
しばらくの間、自身の専用の殻に閉じこもり、排熱の音だけが響く静寂の中、こうした空気は魔力通話によって破壊された。
「やあ、ユスティ君。あの日以来、二人ともどうかな?何か異常はないか?」
口調と声色で嫌でも鳳凰だということを瞬時に理解した。
「――...おかげさまでこっちは頭がこんがらがっているよ。君のせいとは一概に言わないけど...」
相変わらず吐き捨てるようなため息は、より一層場の空気を重くした。
「...はは、それはすまないな。ならば、明日、最高神様に軽く祝福を受けてもらったらどうだ?少しは楽になるのではないかな?」
「――...いや、そんな宗教チックなことは――」
反論するより先に切られた通話は、さらに彼らを不快にさせた。
どうしてこうも変なことに巻き込まれるのか。
エレンもあの調子では、きっと相談に乗ってはくれないだろう。
他の団員も、原因までは解決はできない。
漆黒の戦士も、その日によって話す内容が異なる。
そして何より、ノースは一体何なのか。
一向に答えが見つからず、ついに頭を激しく掻きむしる。
黄金の短髪は、ブチブチと痛烈な音とともに舞い落ちていく。
ノースはその姿を見て、そっと手を当てた。
すぐさま動きは止まり、再び重苦しい静寂が二人を包む。
鼻で荒々しく息を吐くと、その椅子に座ったまま机に向かい、ノースがある程度整理してくれた書類に手を付ける。
一枚ずつ、紙をめくり、時計の秒針と排熱音だけが微かに聞こえる夕暮れの斜陽が射しこむ部屋の中、二人は一切の言葉を発することはなかった。
――明日は、何か一つくらいは明かしたい。
そんな淡い期待をしながら、懐にしまわれた手帳を開く。
そこには、これまでの不可解な事象が完結に書き記されたページがあった。
「――ずいぶん疲れた様子だな」
落ち着いた口調が背後から聞こえた。ノースはすぐさま後ろを振り返り、彼の姿を確認したが、ユスティティアは一切振り返ろうとせず、黙々と書類を片付けていく。
「ちょうどよかった。あんたにも聞きたいことがあるんだ」
疲れのせいか、少し挑発的とも言える口調をしてしまった。しかし、彼はそんなことなんて気にする余裕すらなかった。それを感じ取れたのか、彼はそのことについて言及することも、注意することもなかった。
「――あんたは、何がしたい?」
今度は怒り混じりの口調だった。視線も合わせず、力強さもなかった一言だったが、その圧力はなかなかだった。彼の本気の圧力には到底敵わないかもしれないが、並大抵の者なら怯ませられるほどのものだった。
それでも、結果は変わらなかった。
「――それについては、話せない。仲間になってくれるなら、別だが」
やはりというべきか、淡くも期待した思いはすぐさま切り捨てられ、打ち砕かれた。さほどダメージではないのか、作業の手は止まらなかった。
「――だが、あの研究所の件の借りもある。一つだけヒントを出そう」
その言葉にこれまでないほどの執着を露わにしたユスティティアは、積まれた書類の束をお構いなしになぎ倒し、勢いよく振り向いた。机から豪快に散らばり、机の下やベッドの下になど、あちこちに乱雑に舞い落ちた。
「――...最高神の祝福とやらに騙されるな」
部屋の片隅の暗がりで立ち尽くす戦士は、兜の隙間から微かに赤くて怪しい光を放つ。
貴重な情報をさらに聞き出そうとさらに言及しようと立ち上がった瞬間、確かにいたはずの彼は既にいなくなっていた。あたかも、初めからそこに存在しないかのように。
ユスティティアは、再び手帳を開いた。不可解な事象が箇条書きされたページを一枚めくり、その裏に丁寧に書き記した。
<明日の予定>
・最高神に会い、祝福を受けに行く
※ 最高神の祝福に要注意
・鳳凰に会い、最高神の祝福について問い詰める




