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カーラーマの人びと

 そしてまたコーサラ国を遊行し、ケーサプッタというカーラーマ族が住む町に着いたときのことである。人々はその地を訪れた仏陀に対し、出家たちのどの教えが正しいのか、と素朴な疑問を投げかけた。

「世尊、ある出家たちはこの町に参りまして、自分の教えを美しく(たた)えて他の教えを(あざけ)り、非難いたします。すると間もなくまた、他の出家たちが参りまして、同様に自分の教えを讃え他の教えを非難いたします。世尊、それで私どもには、これらの出家のうち、いずれが真実(まこと)を語っているのか、いずれが虚妄(いつわり)を云っているのか、という疑いが起こりました」

 ある者たちは素直にそう思い、また他の者たちは、

(この大沙門は、はたしていかなる答え方をするであろう)

 と思っていた。彼らが問いを投げかけた世尊も出家の一人である。すると、

「カーラーマの人々よ、それを疑い、惑うはもっともである」

 世尊は率直に彼らの心の揺れを認めた。

「カーラーマの人々よ、知らせによって聞いたことを受け入れてはならぬ。言い伝えをそのまま受け入れてはならぬ。経に載せられてあるということや、そうかも知れぬという想像や、自分の考えに合うているからとか、または名高い出家の言葉であるというようなことで、()け入れてはならぬ。

 カーラーマの人々よ、(あなた)(がた)何時(いつ)でも正しく、自分にこの法はよくない、罪垢(つみあか)があり、真の智慧ある人には(いと)われており、それに執着すれば不利と悩みとを招くものであると知ったならば、それを避けねばならぬ」

(ほう、この大沙門は、我らが自ら自身を信じよ、というか)

 今まで誰も云わなかったことである。彼らは目を見開かされたような感じを受けた。

 翻って、世尊は人々に問う。

「カーラーマの人々よ、(あなた)(がた)はいかに考えるか。貪欲(むさぼり)瞋恚(いかり)は、それを生んだ人にとって得になるであろうか、損になるであろうか」

「それは損になります」

「カーラーマの人々よ、欲が深くて(いか)り易い愚かな人は、つねに貪欲(むさぼり)瞋恚(いかり)愚癡(おろかさ)に打ち勝たれ、心を奪われ、生き物を殺し、与えられぬものを奪い、他人の妻を犯し、虚言(いつわり)をはき、他人にもこの様なことをなさしめる、これはその人にとって永劫の不利と苦悩(なやみ)とにならぬであろうか」

「世尊、その通りであります」

「カーラーマの人々よ、これらの法は善であろうか、悪であろうか。また、罪垢のあるものであろうか、ないものであろうか。誠の智慧ある人に(いと)わるるものであろうか、喜ばるるものであろうか。それに執着すれば、不利と苦悩(なやみ)とを招くものであろうか、招かぬものであろうか」

「世尊、仰せの通り、それは悪でありまして、不利と苦悩(なやみ)とを招くものであります」

「カーラーマの人々よ、これは前に私が、『知らせや言い伝えや経に載せてあるということや、想像や好みや敬う人にいわれたと云う事などによって、その法をそのままに受け入れてはならぬ、実際正しく自分がその法の悪いことと、(まこと)の智慧ある人に(いと)わるるものであること、それによれば不利と苦悩(なやみ)を招くものであるということを知ったならば、捨てよ』と云った意味である。これと同じく、自ら正しくこの法は善であり、罪垢がなく、賢い人に喜ばれるもの、それに()るものに利益(みのため)(しあ)(わせ)を与えるものであると知ったならば、それに従わねばならぬ。

 カーラーマの人々よ、欲を離れ、(いかり)を離れ、愚癡(おろかさ)を離れるということは、その人のために利益(みのため)になるであろうか、不利益(ふため)となるであろうか」

「世尊、それは利益(みのため)となります」

「カーラーマの人々よ、欲を離れ、(いかり)なく愚かでない人は、貪欲(むさぼり)瞋恚(いかり)愚癡(おろかさ)に打ち勝たれず、心を奪われず、生き物を殺さず、与えられぬものを取らず、他人の妻を犯さず、(いつ)(わり)を吐かず、他人をしてまたこのようなことをなさしめぬ。これはこの人にとって永劫(とこしえ)(みの)(ため)幸福(しあわせ)となるのである。 

 カーラーマの人々よ、かように欲を離れ、(いかり)を去り、愚癡(おろかさ)を離れ、(おも)い正しく思慮深く(いつくしみ)の心と(あわれみ)の心と(よろこび)の心と(しゃ)[平等]の心とを以ってすべての世界を憎みなく怨みなくあまねく満たす。この教えの弟子は、かように貪欲(むさぼり)なく、瞋恚(いかり)なく、(けがれ)のない清らかな心をもって、現在においてさえ四つの安慰(なぐさめ)に達するのである。

『もし来世というものがあって、善業(ぜんごう)悪業(あくごう)の結果があるならば、私は死後、善趣(ぜんしゅ)天界(てんがい)[善い(ところ)]に生まれるであろう』と、これは第一の安慰(なぐさめ)である。

『もし来世がなく、善業、悪業の結果がないとしても、私はこの現在において(むさぼ)りなく(いかり)なく、苦悩(なやみ)のない幸福(さいわい)に住まうであろう』と、これは第二の安慰(なぐさめ)である。

『たとえ悪を為した者に悪が報いられるということであっても、いかなる悪をも考えず、悪業をなさぬ私にいかなる苦悩(なやみ)が触れ得よう』と、これは第三の安慰(なぐさめ)である。

『たとえ悪を為した者に悪が報いられないということであっても、私は悪を犯さぬという事で、清浄であると自分を認めるものである』と、これが第四の安慰(なぐさめ)である。

 この教えの弟子は、かように親切にして(いかり)なく、(けがれ)なく、清らかな心を以って、現在にこの四通りの安慰(なぐさめ)を持つのである」

「世尊、その通りであります」

 カーラーマ族の人々の胸には、清浄で深い感動が広がっていた。そして、云う。

「まことに(きよ)いあなたの御弟子(みでし)たちは、親切にして、(いかり)がなく、(けがれ)のない、清らかな心をもって、この現在(うつしよ)に四通りの安慰(なぐさめ)に達しておられます。どうか世尊、今日(こんにち)以後、命終わるまで、生涯帰依いたす信者として私どもを受け入れてください」

 と、彼らは帰依を誓った。





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